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阿部政雄200406011)話芸の国際交流 -自己紹介をかねて

1)話芸の国際交流 -自己紹介をかねて

                             2004年6月1日
以下は、故小島貞二氏が主宰されていた有遊会編『笑笑御免なさい』に寄稿したもの
です。小島先生はじめ有遊会の諸先輩には随分お世話になりました。心からお礼申し
上げます。

 1928年、愛知県生まれ。旧制名古屋中学卒、南山大学英文科中退。1955年
のバンドン会議の頃から、アジア・アフリカ諸国に関心を持ち、1957年のエジプ
トのカイロでの国際会議に参加して以来、今日に至るまでアラブ諸国との文化交流に
携わってきた。もともと、戦時中憧れていた『大東亜共栄圏』の実態がアジア諸国へ
の侵略であったことを無念に思い、アジア諸国との真の提携を図ることを一生の道に
選んだのである。

 1957年末、エジプト大使館の文化部に招かれ約5年勤め、アラブ連盟東京事務
所に7年、1985年、当時日本人の誰もいなかったイラク大使館の要請を受けて手
伝った。1973年の石油ショック以来、東海大学国際学科で『中近東』の講義を続
けた。(99年終了)

 アラブ諸国へは、約60回訪問。1971、72年に当時『三時のあなた』の司会
者だった山口淑子さん(のちの大鷹淑子参議院議員、日本パレスチナ友好議員連盟事
務局長)の『中東レポ-ト』取材班に同行したり、アラブ諸国の文化フェスティバル、
国際会議、観光・文化等のTV取材班等に参加、現地の視察と、多くの文化人、芸術
家の知己を得た。

 1962年に、石原裕次郎と芦川いづみのエジプト・ロケによる『アラブの嵐』
(中平泰監督)の製作で日活に協力。裕次郎のアルバムにある主題歌の『アラブの嵐』
(大久保徳二郎作曲)の作詞者、故大高ひさお氏とは、1980年のアルジェリア大
地震への同氏100万円の義捐金(『カスバの女』への謝礼)を縁に親しく交際して
頂いた。

 とりわけ、少年時代からの憧れの大作曲家である古賀政男先生が、1964年の暮
にヨ-ロッパ旅行の帰途、カイロでアラブの作曲界の重鎮アブデル・ワッハ-ブ氏と
会見されたのを斡旋したことから、亡くなれる前の三年間、代々木上原の邸宅によく
出掛け、1985年5月、古賀邸で全アラブの大使夫妻を招待、吉田正、服部良一、
遠藤実、猪俣公章、ペギ-葉山、尾崎紀代彦氏ら第一級の音楽家ら約60名の豪華な
アラブ親善大音楽パ-ティを開催出来た。古賀先生は、病気で倒れられる直前まで、
明大マンドリン倶楽部をカイロに連れて行って、日本の歌謡紹介の演奏旅行を企画さ
れていた。古賀先生が作曲されたアラブ風組曲『夕陽の砂漠』は、追悼の音楽会でも
披露されている。さて、小生と有遊会との関係は、小生の卒業した旧制「名古屋中学
校」の六年下の後輩の都家歌六師匠のCD・カセット『明治大正夢の名人寄席』の完
成記念パ-ティ(1987年)で、小島貞二先生に紹介され、「話芸に関心があるな
ら有遊会に入りなさいよ」と勧められたのがきっかけである。
  
 最初の有遊会の宿題は、短歌の頭の音を統一するというものだったが、小生の作品
(一)サラサラと砂漠の砂の寂しさよ  サハラの旅はさすらいの旅
(二)暁の明るさに似て、アカアカと  アラブの空に、油燃えたり
(三)汝(なれ)や知る  長き歴史の何事もナイルの水の流れなりけり
には「若山牧水ばりだね」と出席者の誰かが漏らされた言葉が何よりの励ましになった。

 話芸と言えば、綾瀬の無声映画鑑賞会で松田春翠氏から活弁を三年ほど習い、『ジ
ゴマ』『坂本竜馬』など短い映画の活弁を務めた。大正演歌も桜井敏雄師匠から六年
越しに色々な歌を教えて頂いた。朗読も下北沢の放送表現教育センタ-(山内雅人氏
主宰)で三年ほど勉強した。お蔭で、大学での授業が本当に楽しくやれるようになった。

 懐メロが大好きで、カラオケももう20年選手となり、有遊会での修練に基づいて
作詞した「カラオケ-晴舞台」に長年の友人いづみたく氏が作曲してくれたのと、超
健康野菜のモロヘイヤの作詞に、女性ジャズシンガ-のNAOMIが美しい曲を付け
てくれた。この『カラオケソング』と『モロヘイヤ』の二曲のCD(ブル-ベリ-レ
コ-ド)がこの新年に完成、すでに通信カラオケの『ジョイサウンド』の中に曲が入
ることになった。「こいつは春から縁起はいい」話。

 有遊会での抱負は、田谷力三の『恋は優し野辺の花よ』、柳家三亀松の『さのさ』、
『どどいつ』、エノケンやミルクブラザ-の歌など戦前の懐メロは言うまでもなく、
とりわけ、戦前の『ノミの夫婦』、戦後の『買物ブギ』、『僕は特急の機関手で』な
どコミックソングを持ち歌としていきたいと夢は果てしない。もちろん、いづれこれ
らの歌を古賀先生の遺志を継いでアラブ諸国に持って行きたいとも思っている。

 最後に、今の日本の政治のていたらくを見ていると、「慷慨(こうがい)悲憤の涙
そは何をか嘆ぜん」の思いがする。そこで、幕末の志士、坂本竜馬にならい、筆者な
りの日本の未来像として「新・船中八策」を書いてみた。読者からお教えを乞う。多
分に舌足らずだが、憂国の熱情お汲み頂れば、かたじけない。

私の「新・船中八策」
一、大政掌握(国民は主権者なり)
二、敬天愛人(倫理とヒュ-マニズムの再生を)
三、憲法実践(憲法は飾りなりや)
四、第三世界への開国(日本の眠れる潜在力の発見へ )
五、世界平和(戦後平和・文化国家として再出発を決意した筈)
六、国際文化交流(世界は広いぜよ、学び会い、新文化創造を)
七、諸民族の主権尊重(普遍の原理)
八、世界への貢献(求められる日本を目指そう)

阿部拝