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笠井一朗20060325増田康紀「軟弱者」
笠井一朗20060211笠木透at室蘭市民会館
江原元20050720喜納昌吉と笠木 透──個立無限

笠井一朗20060325増田康紀「軟弱者」

この国を守るために
軍隊がなくては ならないとしたら
軍隊がなくては 滅びていくとしたら
滅びて いこうではないか

私たちは どんなことが あっても 戦力は持たない
私たちは なんと 言われようと 戦争はしない

「笠木透と雑花塾」のCD「ピース・ナイン」が届いた。なかでも笠木透作詞で増田康紀作曲/唄の「軟弱者(Audio5分20秒1254kB)」は強烈だ。前向きに力強く平和主義を唄う歌詞だ。ここに紹介したい。容量の関係で「モノラル+音質がいまいち」なのは少し我慢してください。本物を聞きたい方は、至急ヒューマン・ファーマーズまたは雑花塾に注文して頂きたい。楽天でも注文できる。

なお、誤解の無いように念を押しておくが、この歌のタイトル「軟弱者」は、反語的な意味で捉えるべきだ。「軍隊がなくては滅びていくとしたら滅びていこうではないか」の部分も然り。今朝の町村信孝前外務大臣がTV番組で発言していたのは、米軍が再編すると米国に言われ、説明を受けに行き、納得させられ、従って、日本国民にも納得してもらう、という展開だった。町村氏サイトの表紙にある「人間性にあふれた保守主義」というキャッチも難解だが、米軍の提案を鵜呑みにしつつ、沖縄県民の負担軽減を一義に据えたかのような物の言い方は、二枚舌以上である。

「滅びていこうではないか」の件(くだり)は、町村議員の言葉を借りれば「北朝鮮に責められてから、アメリカ頼みでは、、、」といった、外交努力皆無の脅威論に、きっぱり決別する意志を込めた、実に力強い物言いである。(一朗20060325)


笠井一朗20060211笠木透at室蘭市民会館 Audio75分18MB

KASAGIToru20060211.gif

昨日、室蘭市民会館で笠木透のステージを観てきた。昭和44年、32才で中津川フォークジャンボリーを企画・主催し、日本フォークの黎明期を形作った人物だ。アメリカで生まれたフォークソングのスタイルは、PPMやボブディランに代表されるように、あくまでその基調には「反戦・反体制」の気概があった。日本のフォーク界が商業主義に流されてきた中、笠木氏は一貫して、そのフォークソングの基調を守り、フィールドフォーク(芸能界でなく在野で活動することの意)を提唱している。

笠木氏の「反戦・反体制」スタイルは、加虐する側・侵略者としての日本国の立場をしっかり歴史認識しようというものだ。自らが属する地域や組織、ましてや国の負の側面を見つめ認識するのは自己否定にもつながり、とても勇気の要る作業である。のみならず体制側からは自虐的といわれ、世間からは「心地悪いことを聞かす変人」扱いされる。彼の場合も、大手のレコード会社からは見向きもされていないとのことだ。それがゆえのフィールドフォークなのだろう。

「加虐する側・侵略者としての日本国」という歴史認識をするのは、残念ながら少数派ではなかろうか。そういった人方でさえ、アジア人蔑視や白人コンプレックスの意識を潜在的に抱く人もおり、根は浅くはない。そういった世相の中で氏は傑出した個性である。同様な論陣を張る芸能人として、田中哲朗氏(シンガーソングファイター)と高岩仁氏(映画監督)を紹介したい。(訃報200801291246高岩仁さん亡くなる

笠木氏は当年とって68才、私の20才年上にあたる。艦載機から機銃掃射を受けたり、艦砲射撃や、B29による絨毯爆撃を身近に感じた年代である。声に張りがあり、とても生き生きとして見えた。50を目の前に加齢による萎えを感じていた自身を恥じた。

あの日の授業」という曲があった。その3番目の歌詞がこうだった。

あの日の先生は 涙ぐんでいた
教え子を戦場へ 送ってしまった
 自らを責めて おられたのだろう
今ごろ分かった あの日の授業

私は落涙を禁じ得なかった。

最後に、コンサート開場での演目のひとつ「ホウセン花(Audio9分07秒2138kB、歌・ギター/増田康記、アコーディオン/山本忠生)」を紹介する。良い働き口があると言われて騙され、南方戦線で従軍慰安婦となる朝鮮人少女の境遇と心情を唄ったものだ。笠木氏の語りも含めて聞いていただきたい。(一朗20060212)