Previous/奥野恒久 奥野恒久200504日本国憲法の平和主義は「一国平和主義」か

本稿は「日本の科学者」2005年4月号に掲載されました。


奥野恒久200504日本国憲法の平和主義は「一国平和主義」か

現在の改憲論を特徴づける一つのキーワードが「国際貢献」である。改憲論者は、この名のもとで何をめざしているのか。2003年3月以降の米英軍によるイラク攻撃に際して日本政府がとった対応から検証する。そのうえで、「平和的生存権」と「非軍事」という日本国憲法の平和主義がもつ積極的・今日的意義を確認するとともに、そのことと日本の安全保障との関係を考える。

はじめに

1990年代以降の改憲論の一大特徴は、「日本も国際平和に貢献するぺきだ」という、「国際貢献」論や「国際協調」論で彩られていることである。自民党は、2004年6月、憲法改正プロジェクトチームの「論点整理」において、「(わが国は)自由と民主主義という価値を同じくする諸国家と協働して、国際平和に積極的能動的に貢献する」と述べ、民主党も同年同月の「憲法提案中間報告」で、「地球規模の脅威と国際人権保障のために、日本が責任をもってその役割を果たす」としている。このような「国際貢献」論は、1991年の湾岸戦争(1990年のイラクによるクウェート侵攻、併合の後に、アメリカを中心とする多国籍軍が国連安保理の決議を得て行ったイラク攻撃)時に噴出した、日本は「カネだけ出して汗や血をださない」という批判、いわゆる「一国平和主義」批判を出自とするが1)、その後十数年の間に、「国際貢献」論の中身は変容してきている。

本稿では、現在の小泉政権のいう「国際貢献」の中身を明らかにするとともに、日本国憲法の平和主義カが「一国平和主義」なのか、もしそうでないとすれば、世界に向けてどのような積極的役割を担いうるのかを検討する。

1、小泉政権のいう「国際貢献」

自衛隊の海外派遺体制の確立

1990年前後から、巳本の安全保障政策はそれまで「国是」とされてきた「専守防衛」という枠を破り、自衛隊の海外派遣体制の確立へと進みだす。日本政府は、1991年の湾岸戦争後に自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣して以来1992年にはPKO等協力法(1992年6月15日成立)を成立させてカンボジア等に自衛隊を派遺、2001年のアメリカでの同時多発テロ後には、「テロ対策特別措置法」(2001年10月29日成立)を成立させインド洋に、そして2003年には「イラク復興支援特別措置法」(2003年7月26日成立)のもとイラクヘと自衛隊を派遣している。もっとも、憲法9条により、自衛隊による武カ行使は当然のことながら禁じられているし、自衛隊の海外派遣には個別根拠法の制定を要するなど、手続き面でのハードルもある。その意味で、この体制はいまだ確立しきれておらず、だからこそ、自民党などは自衛隊海外派遣のための恒久法整備等を強く求めているのである。このような脈略のなかで「国際貢献」論や、そのための改憲論が主張されていることをまず確認する必要がある。

米英軍のイラク攻撃への日本政府の対応

2003年3月20日、米英軍はイラクが大量破壊兵器を保持しているとして攻撃を開始した。この攻撃が国際法違反であることは明らかである2)。国違憲章では2条で原則的に武力行使と武力による威嚇を禁じたうえで、二つの例外を認めている。一つは、国連憲章42条のいわゆる集団的安全保障に基づく強制措置で、安全保障理事会が「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為」にさいし、非軍事的措置では不十分であると判断した場合の武力行使である。そしてもう一つは、国連憲章51条による自衛権の発動として、安全保障理事会が必要な措置をとるまでの暫定的な武力行使である。イラクヘの攻撃は、安全保障理事会の決議のないなかでなされた「先制攻撃」(「予防戦争」)であるから、二つの例外には該当しない。また大量破壊兵器については、2004年9月13日にバウエル米国務長官(当時)自身が「発見されることはないだろう」と米議会で証言しており、事実的根拠すら欠いたものと。言わざるをえない。

このような攻撃を一貫して「支持」してきたのが日本の小泉政権である。小泉首相ほ2003年12月10日、「日本国民の精神が試されている」「いずれの国家も、自国のことに専念して他国を無視してはならない」として、自衛隊のイラク派遣を決定した。これが、「国際貢献」というのである。自衛隊は、給水や道路補修など非軍事の「人道復興支援活動」と、米英軍への燃料補給や兵士輸送といった「安全確保支援活動」を行っているが、非軍事の「人道復興支援活動」ですら、「国際貢献」としての問題性は強く指摘されている。すなわち、自衛隊のような軍事組織は、①最も脆弱な人々に注意を向ける専門性をもたず、②国益を反映するため、中立性や公平性を守り難く、③それによる人道支援は、ともすれば国連やNGO(非政府組織)などの中立性にまで疑問を生む。したがって、軍事組織は人道支援をするべきでないというのが、国際NGOなどの意見である3)。にもかかわらず、政府は、イラクでの日本人人質事件への対応が示すように、ボランティア等を「自已責任」論で抑えつつ、その一方で国民の反対世論を押し切って自衛隊の派遣を延長するなど、自衛隊の活動に固執するのである。イラク国民への支援という視点ではなく、自衛隊を派遣すること自体を目的とし、それを「国際貢献」の名のもとで正当化しようというのである。ちなみに、「安全確保支援活動」については、政府見解からしても違憲の疑いが濃い。政府見解では、「我が国が他国の軍隊等に対して行う補給、輸送等の協力について、仮に自らは直接武カの行使をしていないとしても、他国が行う武カの行使への関与の密接性から、当該他国による武カの行使と一体化し、我が国として武力の行使をしたとの法的評価を受けるような行為を行うことをも禁ずる」4)としている。自衛隊による「安全確保支援活動」の実態について、政府は「軍事的な活動内容は公表しないのが通例」として明らかにしないが、たとえば航空自衛隊が1200人の武装米兵を輸送したと報じられており(「北海道新聞」2004年12月9日付朝刊)、自衛隊の活動が米軍の武力行使と一体化しているとの評価は避けられないであろう。

国連重視路線から日米同盟路線へ

1991年の湾岸戦争以来主張されてきた「国際貢献」論であるが、その中身は、自衛隊の海外派遣体制の確立という点を維持しつつも、「国連の名の下」から米国支援へと変容を遂げている。2005年に入って、政府が検討している自衛隊海外派遣の恒久法に、国連決議のない多国籍軍への支援活動も含まれることが明らかになった(「読売新聞」2005年1月12日付朝刊)。国連の認めない米国中心の「有志連合」への参加までが想定されているのである。

1991年の湾岸戦争は、安保理決議を得てなされたが、2003年の米英軍による攻撃が安保理決議を得ていないことは先述の通りである。この点をさして、「国連はもはや無力だ」との主張も出された。しかしむしろ、このとき国連安全保障理事会は、「含法化できない戦争は合法化しない、と意思表示するというかたちで機能し」、「久々に、規範の弛緩と法の支配の退行にブレーキ」をかけた5)と見るべきであろう。そのようなときに、日本政府は、イラク攻撃を無条件に支持したのである。いわば、「国際貢献」の名で「侵略の側」に加担したのである。ここから見える小泉政権の「国際貢献」とは、軍事によることを前提とした、国連や国際社会ではなく、単なる米国支援であるといえる。

2004年1月、小泉首相が「日本が侵路されても国連が守ってくれるわけではない」(1月27日衆議院予算委貝会)と語ったように、イラクヘの自衛隊派遣について、「そうしないと、いざという時にアメリカ軍に守ってもらえない」との説明が多くなされた。しかしこの説明こそ、「国際貢献」とはほど遠いはずである。

2、「国際貢献」論の背景

1990年代以降の自衛隊の海外派遣を含む日本の軍事大国化の背景として、渡辺治教授(一橋大学、政治学)が指摘するように6)、主として次の二つの要因があるといえる。

アメリカによる軍事的分担の要求

「冷戦」が緩和する1980年代末から、経済の地盤沈下が進み「双子の赤字」に苦しむアメリカは、日本を「安保ただ乗り」と批判し、責任分担を求めるようになる。もっとも当初アメリカは、自衛隊が攻撃軍化することを警戒し、主に財政支援を求めていたが、「冷戦」が終結し唯一の超大国になると、世界秩序を維持するため、日本に軍事的協力をも求めだす。とりわけ、アメリカ中心の同盟国による「ならず者国家」転覆を強調するブッシュ政権は、2003年11月から、先制攻撃戦略に沿った米軍の地球的規模での緊急展開能力の強化や同盟国の役割拡大を求めており、日本に対しても米軍と自衛隊の一体化を図る在日米軍再編や、全面的な後方支援を要求してきている。たとえば2004年11月、ファイス米国防次官は、在日米軍再編の目的について、「より広範な地球規模での安全保障問題のみならず、アジア太平洋地域に直接関連する問題に(日米)が各自に取り組めるようにすることだ」とし、日米関係を「単に維持するだけにとどまらず、強化することに関心を払っている」(2004年11月15日、米大使館での記者団との懇談)と語っている。2003年から日本で具体化が進められている、いわゆる有事法制も、このようなアメリカの要求に応じた、国民的規模での米軍支援体制の整備といえる。

グローパル化した日本企業の要請

ところが、自衛隊の海外派遣体制確立への衝動は、アメリカの圧力だけでなく、日本の財界の要請に応えるものでもある。日本の大企業は、円高と経済摩擦という困難に直面した1980年代後半から多国籍化を進め、アジア諸国を中心に海外進出を始める。海外に権益をもつようになった日本企業は、進出先の安定を確保するため、軍事的な圧カとして、自衛隊の海外プレゼンスを求めるようになる。1990年代前半に、経済同友会や経団連といった財界から、「平和の負担」としての国際貢献、自衛隊の海外派遣が声高に主張されたのはそのあらわれである。

また、2004年10月4日に出された「安全保障と防衛カに閤する懇談会」(小泉首相の私的諮間機関)の報告書は、自衛隊の国際平和協力活動の本釆任務化を主張しているが、そこでは「日本がとるべき統合的安全保障戦略の大きな目標は二つある」としたうえで、「日本防衛」とともに、「世界のさまざまな地域での脅威の発生確立を低下させ、在外邦人・企業を含め、日本に脅威が及ばないようにする『国際的安全保障環境の改善』」をあげている。在外邦人・企業を含めて日本と把握し、その安全を確保するため自衛隊を派遣するというのである。しかしこのような議論は、露骨な自己利益の追求であって、「国際貢献」の名に値するとは到底いえない。むしろ、これこそ「一国平和主義」ではなかろうか。仮に、アメリカとの共同利害に基づくものだとしても、それは日米の「二国平和主義」に過ぎないであろう7)

3、日本国憲法の平和主義

世界平和への貢献とは

日本国憲法は、9条で「非軍事平和主義」を規定するまえに、前文で「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と述べ、さらに「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」としている。また、教育基本法はその冒頭で「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した」と述べるなど、世界平和に貢献するとの立場を明らかにしている。「一国平和主義」では決してない。

小泉政権のいう「国際貢献」が、普遍的価値を目指したものではないとしたうえで、では、世界の平和に貢献するとは、どういうことであろうか。非常に困難な問題で、たとえば戦争責任や日本国内での外国人の人権保障、さらには「人道的介入」8)の問題を含め、広い領域にわたる真撃な議論と取り組みが必要である。また、現在、人類社会の存立を脅かしている一群の問題、いわゆるグローバル・プロブレマティーク(gIobal problematique)としては、①核兵器など大量破壊兵器の集積、②戦争・民族紛争・内戦、③世界経済の停幣や不安定、④発展途上国における大量の慢性的飢餓・貧困、⑤人権抑圧、⑥環境破壊があげられている9)。取り組まなければならない問題の多さと、軍事を前提とした「国際貢献」論がいかに問題を矮小化しているかが確認できる。

直接的暴力と構造的暴力の克服

問題を限定するため、現在平和学の平和についての共通認識を見ておきたい。君島東彦教授(立命館大学、憲法学・平和学)によると、「平和の実現とは暴力を克服することであるが、われわれが克服すべき暴力には戦争のような直接的暴カの他にも、構造的暴力がある。構造的暴カとは、社会構造の中に組み込まれている不平等な力関係、さまざまな格差などであり、経済的搾取、政治的抑圧、さまざまな差別、植民地支配などが挙げられる」という。そして教授によると、日本国憲浅は、前文により専制、隷従、圧迫、偏狭、恐怖、欠乏といった構造的暴力を、また9条により直接的暴カを克服しようとしており、「平和学の到達点、共通認識に照らしても、その妥当性が再確認される」と主張する10)

人間の安全保障

また、「人間の安全保障」11)を主張する立場からも、日本国憲法の平和主義の意義が強調されている。周知のとおり、「人間の安全保障」とは、国運開発計画(UNDP)の1994年毅告書以来論じられている「国家の安全保障」に対置する安全保障観で、「国境に対する脅威」や武器へではなく、人間の生活や尊厳に関心を向ける。最近では、日本政府や改憲論もこの「人間の安全保障」を主張しているが、浦辺法穂教授(名古屋大学、憲法学)によると、政府の「人間の安全保障」論は、『国家の安全保障』を当然の前提とし、その補完物としてそれを位置づけている議論だと批判し、「人間の安全保障」論の本来的意味は、「「『人間不安全』状況の根本原因にまで遡って、その根本原因を取り除くことに向けられる議論」だという。そして、今日における「人間不安全」状況の根本原因とは、グローバル資本の野放図な利潤追求だ、とする。

「人間の安全保障」は「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」を重要な構成要素とするが、それらは、いうまでもなく日本国憲法が全世界の国民の「平和的生存権」として確認していることである。浦部教授によると、重要なことは、日本国憲法がこの「平和的生存棒」を確保するためには、「戦争や軍備の保有は否定されるべきものであるという立場を明確にして、憲法9条をおいている」ことだという。つまり、日本国憲法は、戦争や軍備の否定によってこそ「人間の安全保障」が実現されるということをいわば歴史的に先取りしたのだ、というのである12)

「信頼の原則」

憲法前文の平和的生存権と憲法9条とを一体として理解することにより、非軍事平和主義の、世界に向けての積極的意義が見いだされる。問題は、平和主義のこのような積極的意義と、9条論につきまとう日本の安全保障問題とが、従来切り離されて論じられてきたことである。最近の憲法学説の中には、9条の非軍事平和主義を「無手勝流平和主義」13)と評したり、「ある地域を実力で防衛する意思がないという誤ったシグナルを相手方に送る」14)と否定的に解する見解がある。だが、はたしてそうであろうか。

憲法前文は、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と述べている。「攻められたらどうするのか」という不信を出発点にするものでも、安全保障について無気力・無関心というものでもない。日本国憲法は、そもそも「攻められる」などを問題にするまでもないよう、諾国民との信頼関係を築くことに全カを傾注する、という立場なのである。その意味では、1945年以前、東アジアの平和にとって最大の脅威であった日本の軍国主義を憲法9条が封じ込めているということ自体が、東アジアの人々との信頼関係を醸成してきた(今日では、かろうじてつなぎとめている)といえよう。憲法9条のリアリテイーである。日本政府には、全世界の国民の「平和的生存権」の実現に向けての努カをはじめ、諸国民との信頼関係を形成することにより、日本国民の平和と安全を保持することが要請されているのである。この議論はテロに対しても基本的に妥当するであろう。テロの根本原因は貧困であり、その貧困をグローバル化した熾烈な競争が拡大させているとされる15)。だとすると、貧困の解消やグローバルな競争の規制に向けての努力こそが、テロから日本国民を守ることになるはずである16)。さらに、経済格差の拡大に加え、環境悪化や資源の枯渇、災害への恐怖といった問題に直面している今日、日本社会は「豊かさ」や経済成長に対する「問い直し」を、政策レベルでも国民の日常生活のレベルでも真剣に行っていく時にきているように思われる17)

結ぴに代えて -平和的生存権論の今日的意義と課題-

非軍事平和主義の利点を生かして、軍事によらない世界の平和実現に向け、真撃に取り組む。そうすることで、諸国民との信頼関係を築き、非軍事のもとでの日本国民の平和と安全を確保する。この相乗的な関係こそが、日本国憲法の平和主義ではなかろうか。

最後に、この関係の鍵となる、平和的生存権について若千触れて結びに代えたい。平和的生存権は、長沼訴訟や百里訴訟などで、自衛隊や日米安保といった軍事に対抗するための人権として主張されてきた。しかし今日ではそのことを踏まえつつも、新たな意味づけが求められているように思われる。

被害者にも加害者にもならない権利

日本国憲法が平和的生存権という形で、平和を「政策」の問題としてではなく、「人権」の問題として把握していることは、多数決決定にも対抗しうるという点で非常に重要である。しかも、「全世界の国民」がそれを有すると確認していることから、日本国民が、殺されない権利だけでなく、加害者にならない権利や殺さない権利も含むものと解すぺきであろう18)。とりわけ、「攻められる」蓋然性が問題とされてきた「冷戦」時と異なり、日本が加害の側に立っている今日、そのことを国民として拒みたいという真撃な要求を裁判上の権利として主張することは可能ではなかろうか。2004年から北海遺の「箕輸訴訟」をはじめ、東京・名古屋・犬阪など全国各地で提訴されている「自衛隊のイラク派兵違憲訴訟」は、原告の被侵害利益という入り口の段階で困難が強いられている。しかし、イラクヘの自衛隊「派遣」という政府による「侵略の側」への加担行為は、再び「侵略した側」として歴史に刻まれたくないという戦後平和憲法のもとで培われてきた日本国民の極めてまっとうな「平和を求める公的良心」19)の直接的ないしは間接的な侵害といえるのではなかろうか。

平和的生存権が、議会や政府を拘束し国民の運動を支える憲法規範たることは承認されているが、裁判上の権利性については消極的な見解も多い。今後、憲法規範としての平和的生存権の意味内容をよリ深化させていくとともに、それを裁判上の権利へと架橋していくことが課題として重要であろう。

1)1991年の湾岸戦争時に噴出した「一国平和主義」論を批判するものとして、樋口陽一「『一国平和主義でなくて何を、なのか」『「世界」主要論文選』岩波書店、1995年、978頁。ここで教授は、「正義の戦争」をも否定した憲法9条に凝縮された理念を実現する方向でこそ、日本の国際的責任が果たされなけれぱならない、と主張する。本稿の基本的立場でもある。

2)イラク攻撃の違法性について論じる国際法学者の文献として、たとえぱ、松田竹男「自衛隊のイラク派兵と国際法」『法律時報』2004年6月号、48頁。「今回のイラク戦争が国際法違反であることは、国際法学者の間では常識であると言ってよい」という。

3)参照、熊岡路矢「『人道』支援ということ」『世界』2004年6月号、61頁。

4)八木一洋「憲法9条に関する政府の解釈について」『ジュリスト』1260号、2004年、69頁。

5)憲法再生フォーラム編『改憲は必要か』岩波新書、2004年、45頁[最上敏樹執筆]。

6)渡辺治・後藤道夫編『「新しい戦争」の時代と日本』大月書店、2003年、344頁以下[渡辺治執筆]。

7)参照、前掲5)『改憲は必要か』91頁[坂口正二郎執筆]。

8)「人道的介入」については、最上敏樹『人道的介入-正義の武力行使はあるか-』岩波新書2001年。

9)加茂利男、大西仁、石田徹、伊藤恭彦『現代政治学』有斐閣、2000年、206頁以下。

10)君島東彦「『武カによらない平和』の構想と実践」『法律時報2004年6月号、79頁。

11)「人間の安全保障」については、根本博愛「『人問の安全保障』と日本国憲法」『日本の科学者』2004年8月号、16頁。

12)浦部法穂「憲法9条と『人間の安全保障』」『法律時報2004年6月号、65頁以下。

13)棟居快行「9条と安全保障体制」『ジュリスト』1260号、2004年、76頁。

14)長谷部恭男「平和主義と立憲主義『ジュリスト』1260号、2004年、60頁。

15)参照、中野洋一「テロ根絶と国際連帯の課題」『日本の科学者2004年8月号、16頁。

16)ところが小泉首相は、米軍のイラク攻撃に追随しておきながら、「国民の皆さんも日頃から外出する際にも心構えというか、どの地域でもテロは起こる可能性はある。ご自身の注意はもちろん、社会全体を自分たちで守るという認識を持ってほしい」と語っている(「朝日新聞」、2004年3月27日付朝刊)。政府の行為により、国民にテロの脅威を与えたことを認めるという全く「逆立ち」した行動といえよう。

17)1990年代には、「豊かさの問い直し」を提言する憲法論も有力に主張された。たとえぱ浦部法穂「『経済大国と改憲論」渡辺治ほか『「憲法改正』批判」労働旬報社、1924年、299頁。浦田一郎『現代の平和主義と立憲主義』日本評論社、1995年、、46頁以下。和田進『戦後日本の平和意識-暮らしの中の憲法-』青木書店、1997年、256頁。

18)参照、浦田一郎「平和的生存権」樋口陽一編『講座憲法学』2巻、日本評論社、1994年、155頁。

19)参照、浦田賢治「平和的生存権の新しい弁証-湾岸戦争参戦を告発する憲法裁判-」浦田賢治編『立憲主義・民主主義・平和主義』579頁。

(おくの・つねひさ:室蘭工業大学、憲法学)