Previous Dr.OKUNOTsunehisa奥野恒久
憲法学が専門の
室工大の奥野氏が
出前講座に駆け回る

何が何やら大変と
聞いてみてみりゃ玉手箱

いつの間にやら物騒な
有事法案数々の
あれやこれやは過去のこと
あとは仕上げに憲法の
条文あれこれ書き換えて

平和主義なぞなんのその
立憲主義をも逆さまに
据えてみてみりゃ美しい
侵略国家の出来上がり


おあとが宜しいようで、、、

一朗20070416国民投票法案、出前講座のお知らせ

改憲手続き法案は大変な法案です。この法案について、事務局長の奥野が、交通費をいただけれぱ、出前学習会に参ります。この問題に関心のある方が10人でも5人でも集まられるならぱ、ご連絡ください。時間調整をいたします。0143-46-5821(奥野)へご連絡ください!


室蘭工業大学で憲法学を教えている奥野恒久(助教授)氏の市民講座(憲法学習会)を、レジュメ(Print)はpdf形式のファイルで、録音(Audio)はmp3形式のファイルで公開しました。どうぞご活用下さい。
 ファイル名PrintAudio
第20回憲法学習会奥野恒久20060808地方自治pdf4頁14kBmp31時間04分54秒15MB
第19回憲法学習会奥野恒久20060711裁判所の役割pdf2頁8kBmp31時間12分43秒17MB
第18回憲法学習会奥野恒久20060613内閣と行政pdf3頁12kBmp31時間08分38秒16MB
 奥野恒久200606北海道自治研究6月号精神的自由の憲法上の意義と現状  
第17回憲法学習会奥野恒久20060411国会pdf3頁10kBmp31時間03分52秒15MB
第16回憲法学習会奥野恒久20060307首相公選制を考えるpdf4頁15kBmp31時間01分57秒17MB
第15回憲法学習会奥野恒久20060214平和主義と自衛隊の海外「派遣」pdf4頁15kBmp31時間01分46秒7MB
 奥野恒久20051212自民党・「新憲法草案」を考えるpdf5頁19kBmp31時間13分44秒17MB
 奥野恒久20051108天皇制と憲法pdf4頁16kBmp31時間02分03秒15MB
第14回憲法学習会奥野恒久20051005違憲審査制を考えるpdf4頁14kBmp31時間05分16秒15MB
第13回憲法学習会奥野恒久20050809教育を受ける権利と教科書問題pdf4頁15kBmp356分19秒13MB
第12回憲法学習会奥野恒久20050712生存権保障の意義と現状pdf4頁14kBmp31時間26分18秒16MB
第11回憲法学習会奥野恒久20050614経済的自由pdf3頁13kBmp31時間2分40秒15MB
第10回憲法学習会奥野恒久20050412憲法「改正」国民投票法案を考えるpdf4頁15kBmp358分10秒14MB
 奥野恒久200504日本の科学者4月号日本国憲法の平和主義は「一国平和主義」か  
第9回憲法学習会奥野恒久20050308表現の自由pdf4頁15kBmp357分49秒14MB
第8回憲法学習会奥野恒久20050208「国際貢献」論と平和憲法pdf4頁17kBmp31時間8分16秒16MB
 奥野恒久20050125好きです・日本国憲法第9条!  
 奥野恒久20050125改憲論の狙いと日本国憲法の価値pdf4頁17kBmp31時間39分22秒18MB
第7回憲法学習会奥野恒久20041214靖国問題と日本国憲法pdf3頁12kB 
第6回憲法学習会奥野恒久20041109法の下の平等pdf4頁15kBmp31時間29分19秒16MB
第5回憲法学習会奥野恒久20041012新しい人権と日本国憲法pdf4頁14kBmp31時間16分09秒17MB
 奥野恒久200410「憲法を学ぶ会」への御案内  
第4回憲法学習会奥野恒久20040914基本的人権の考え方pdf3頁13kBmp31時間21分19秒10MB
 奥野恒久20040904オロフレ山麓ピースアクション  
 奥野恒久20040904憲法9条の力pdf2頁9kBmp356分21秒14MB
第3回憲法学習会奥野恒久20040803外国人の参政権問題pdf4頁18kBmp31時間15分24秒18MB
第2回憲法学習会奥野恒久20040713日本国憲法の制定過程~日本国憲法は『押し付けられた』のか~pdf5頁16kB 
第1回憲法学習会奥野恒久20040608憲法とは何か、立憲主義とはどのような考え方か?pdf2頁8kB 

奥野恒久20060411国会

レジュメ概要
(1)国会の地位
(2)国会の組織
(3)議員の特権
(4)議院の国政調査権

    憲法第41条:国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。

「国権の最高機関」とは、「唯一の立法機関」とは、何を意味するのでしょうか。聞き流してしまうと、分かったようで分からないような意味不明な言葉です。

唯一の立法機関である国会は、一般的・抽象的法規範を定立するのであって、特定の人や特定の事件を名指しした法律は、平等の原則に違反するのだそうです。

国会は国民の代表機関であり、国会議員は、自分の選出母体の利害を代表すると同時に、しかし、それに拘束されるのではなく、国民全体の立場から行動する事が求められているのだそうです。


奥野恒久20060214平和主義と自衛隊の海外「派遣」

「汝の隣人を愛せよ、人の物を盗んではならないというのは、世の中には隣人を愛さないものがあり、人の物を盗むものがいるが、しかしこのようなことは平和な社会生活をいとなむという目的のためには有害であるからこれを規制するのである。だから、ある意味では規範(法を含む)はもともと破られることを前提としているともいえる」(末川博編『法学入門』)

レジュメ概要
(1)戦争放棄に向けての世界的な流れ
(2)憲法9条の解釈学説
(3)9条をめぐる裁判
(4)自衛隊・海外「派遣」の動き
(5)憲法と現実との「乖離」?

この自明の理とも言える論理が、自民党や民主党により、すり替えられています。歴史的には、ほとんどの戦争が「自衛のため」と称して始まり、自衛と見せかけるべく工作機関が裏工作した事件も枚挙にいとまがありません。冷戦後、米国の軍産複合体は共産圏という敵を失いました。現在、「テロ」と称する仮想敵性目標が掲げられていますが、9.11同時多発テロが、その発端であることを省みれば、また、情報が錯綜したり数々の解消できない疑問点からして、工作機関の仕業であったとする「某略説」が浮上するのは自然の成り行きでしょう。そのような状況の中でも、憲法は歴史的に観れば、国家間の戦争を放棄する方向にたえず進んできました。その最終段階が、現時点で言えば、日本国憲法(1947)であり、コスタリカ憲法(1949)なのでしょう。日本国憲法の第1章(天皇条項)が、権力者にとって好都合な機関と位置づけられていることから、日本国憲法も改訂の余地は十分にあると思っています。

現行憲法9条の解釈学説は、私にとって少々ややこしい内容でしたが、憲法改悪論者に足をすくわれないためにも必要な議論かも知れません。


奥野恒久20051212自民党・『新憲法草案』を考える

新年、明けましておめでとうございます。奥野恒久先生を講師としてお招きしている市民講座「憲法を学ぶ会」をインターネットに公開してますが、毎度、作業が遅れがちで済みません。今回も年明けになってしまいました。

さて、演題は「自民党・『新憲法草案』を考える」です。時代の明暗を分ける重要課題です。憲法を改正するか改悪するか、今の時代に生きる我々が、後世に生きる人々の運命まで含めた責務を担うことになりそうです。

昨年10月28日に発表された自民党新憲法草案の骨子は、ただ単に、96条の憲法改定のハードルを低くしたり、9条2項の「自衛軍の保持」ならびに「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」から解釈されるところの交戦権や集団的自衛権の行使だけにあるのではありません。もちろん、9条改憲は財界や米国の要望に後押しされた、自民党や民主党が第一に望むところなのは想像に難くありません。

日本国憲法の前文で頻繁に現れた「われらは」という主語が、自民党新憲法草案の前文には存在してません。これは、国民のあるべき姿を規定する法という位置づけの証左であり、立憲主義を否定しています。それは、「戦力を持たず、交戦権を否認する」とする平和主義を捨てるのと同等以上に、歴史を逆行する所作に他ならないのです。(笠井一朗20060101)


奥野恒久20051108天皇制と憲法を考える

昭和21年11月3日に発布された「日本国憲法」は、その「第2章 戦争の放棄」にある「第9条」が、武力を保持せず交戦権を否認する立場から、世界各国の憲法と比べて特徴的だといわれています。確かに当時の、戦争に疲弊しきった国民にとって、前衛的な考え方と感じたことでしょう。太古の昔から争いごとはあり、大航海時代や、特に、産業革命以降の資本主義の台頭によって、遠くの地に出かけてまで掠奪するようになってしまいました。地球を数回にわたって破壊することの可能な1万発を越える戦略核爆弾(水爆)さえも保有するようになり、人類は自己保存のジレンマに陥っているかのようです。その様な時に、現行の憲法第9条は歴史の流れにおける当然の帰結ではないでしょうか。戦争は、いつの時代も自衛のためと称して始まり、開発の名の下に掠奪するのが常でした。2度目の「騙された論」は、もはや展開できないのです。

私が思うに、「日本国憲法」が世界各国の憲法と比べて特徴的なのは、「第1章 天皇」とのミスマッチです。大日本帝国憲法で、天皇陛下に軍服を着せて、決定能力を持たない最高責任者に祭り上げました。日本国憲法においても、象徴天皇制と称して、内閣府が強権を発揮できる「装置」にしています。先の衆議院選挙は7条解散に基づくものですが、天皇条項の乱用であり、象徴天皇制が、大日本帝国憲法下での天皇陛下の立場と、実質的にはさほど相違ない効果を得ることが出来ます。

第3章が「国民の権利及び義務」となっていますが、つまるところ「天皇」は「国民」に属さないという認識なのでしょう。そもそも、「自由」と「民主主義」は相容れがたい側面があると思うのですが、それでも「自由と民主主義」を標榜しようと言うのなら、そろそろ天皇陛下にもまっとうな人権を認めてあげたらよいのではないでしょうか。皇室典範なぞ、天皇家が独自に決めればよい話で、政治家が介入すべき問題ではありません。さもないと、再び、責任者不在の侵略戦争に突入するのだと思います。


次回の憲法学習会は、大教室を用いての拡大学習会です。題目は先の10月28日に発表された「自民党・『新憲法草案』を考える」です。しばらく前に発表された草案と比べて、かなりはしょった感じのするものでした。これで最終案だというのですから、いささか拍子抜けしてしまいましたが、社会の健全性が怪しい昨今、平気で通ってしまいかねないのかも知れません。11月8日の学習会では、1)過去の侵略戦争に対する反省が抜けている、2)平和的生存権の思想が抜けている、3)立憲主義が欠如している、4)集団的自衛権を解釈により行使できる、などなど、皆さんから様々な意見が出されました。

12月13日(火)午後6時半、室蘭市東町の中小企業センター2階研修室にて開催します。いつもは40人教室で参加費500円なのですが、今回は90人教室で無料です。どなたも気軽に参加してください。(問い合わせ先:0143-22-4714 代表 増岡敏三)


奥野恒久20051005違憲審査制を考える

日本の違憲審査制の類型は「付随審査制」に属するのだそうです。また、違憲判断においては「司法消極主義」の立場を採っているのだそうです。私はイラク派兵差し止め訴訟に原告の一人として参加していますが、平和的生存権が侵害されたという突っ込みでしか、司法に違憲性を判断させることができないのが実情のようです。その経済的損失として、原告一人当たり「1万円」の慰謝料を原告(国)に請求しています。とりもなおさず、司法にイラク派兵が違憲であるとの判断を下させたいための「からめ手」なのですが、法律に素人な私にとって、これほど理不尽に感じることはありません。なぜ、純粋に法律の理によって判断を下せないのでしょうか? ドイツなど「抽象的審査制」を採用している国を羨ましく思います。

国会の多数党派が内閣を構成し、その内閣が、裁判官の任命権を有する現状において、憲法改定の読売試案や中曽根試案を待つまでもなく、「三権分立」が如何に机上の空論であるかを感じざるを得ません。

参考となる頁: 20040221抗議集会:自衛隊はイラクへ行くな!

中学校の社会の時間で三権分立を習いましたが、実際の権力の構図は、資金源である財界がトップにあり、少数精鋭の官僚がそれを牛耳り、また政治家に対し、答弁書を読ませたり違憲訴訟を却下させるなどの汚れ仕事を指図するのでしょう。個人主義と利己主義を区別することのない国民が投票にも行かず、「国民の負託を得た安定した政党政治」と自画自賛する首相の言う「民主主義」は、やはり多数決原理主義でしかありません。(一朗20040305)


奥野恒久20050809教育を受ける権利と教科書問題

10年以上前、私は山岸会が主宰する特別講習研鑽会に参加したことがありました。1週間あまりの泊まり込みで行われるプログラムでした。私自身、山岸会の活動に参画するつもりはありませんでした。閉じた社会がどのように運営されているのか知りたいと思い、社会学的な興味を持って参加してみました。その時の体験をレポートしたもの(英文)をこちらで読むことが出来ます。

かいつまんで申し上げれば、それは一種の集団催眠の手法を用いていました。その時の参加者約20名の半分以上が、とある瞬間に一挙に瞳孔が開いたなと感じました。術中に嵌らないように必死にもがく人もいました。影響を受けなかったのは私を含めて、一人か二人ではなかったのではないでしょうか。

そこまで持っていくために、まず、各人の「主観・固定観念・我執」を抜く作業を最初の5日間以上かけて行います。朝から晩まで、太陽の見えない部屋で、外出もままならずに、問答めいたことが続きます。「我抜き」作業が一通り行われた後に、ポンと、山岸会の「主観・固定観念・イデオロギー」を載せるのです。その載せた瞬間に、瞳孔が開くのです。

教科書が大きな問題となるのは、まだ、十分に個が確立していない段階の知性体に「刷り込み」をする作業となるからです。一度載せられたイデオロギーの呪縛から容易に離脱できないのは、我々日本人を観察しても「白人コンプレックス」「東洋人蔑視」「日本人は勤勉で手先が器用」「共産主義はアカ(何のこっちゃ)」「テロ撲滅」「人道復興支援」「天皇陛下の御為」などなど、枚挙にいとまがありません。

さて今回は、憲法23条の「学問の自由」と、憲法26条の「教育を受ける権利」を中心に、教科書検定制度の憲法問題を講義していただきました。


奥野恒久20050712生存権保障の意義と現状

戦後間もなく、シャウプ(経済学博士)勧告に基づき、世界でも類を見ない、公平で社会主義的ともいえる税制度がGHQによって日本にもたらされました。収入に応じた税負担とするため、直接税である法人税や所得税の間接税に対する割合(直間比率)が高く、とくに個人所得にかかる所得税は所得が多くなれば多くなるほど税負担の重い累進課税制度を採用しました。

福祉国家から小さな政府へと企業論理が卓越する潮流が、シャウプ博士のお膝元であるアメリカから現れはじめ、大企業や高額所得者を優遇する国となりました。「高額所得者を優遇しない政策を採る国からは、有能な人材が流出する」という宣伝を耳にするようになり、社会現象や政策を米国の10年の時差をもって後追いする傾向にある日本は、やはり、直間比率の見直しが叫ばれるようになりました。直接税率を低くし、消費税という広く遍くあまたから徴収する間接税を導入したのです。「生活必需品にも消費税の対象にすることは問題があるのでは」と言う議論も噴出しましたが、結局「簡素」で「確実に徴収」できる制度を採用しました。その消費税の税率が3%から5%になり、小泉政権中には消費税率を上げないと公約に掲げながらも、その下地作りに余念がないことは、小泉首相の数々の発言から、また、財界の要望でもあり、二桁の税率になるという声さえ聞こえてきています。

「勝ち組」「のしたもの勝ち」の社会にある現在、小泉政権はこの傾向を更に強め、就職はと言えば軍隊、産業はと言えば軍需産業、経済はと言えば奪ってナンボの侵略経済、こういった暗闇往きの米国流経済システムに日本を組み入れようとしています。そもそも愛国者法で国民を統率する「自由と民主主義の国アメリカ」が、イラクに「アメリカ流自由と民主主義」を植え付けようとすることと、シャウプ勧告は、結果として二重写しのように見えます。私自身は、シャウプ博士の理念である博愛や平等の理念がまやかしであったとは思っていませんし、GHQの憲法起草委員会が理念として提唱した平和主義を「押し付けたもの」として排除する気はありません。

さて今回は、憲法25条の生存権と、昨今の「勝ち組社会」との関連を中心に、講義していただきました。働き盛りにもかかわらず路頭に迷った若者を跨いで過ぎる人々、民主主義成立に必要な前提である「社会性」の欠如した現代人は何処へ向かうのでしょうか。

参考となる頁: シャウプ勧告

1949年(昭和24)に来日したコロンビア大学教授シャウプを団長とする税制調査団によってなされた勧告。戦後の日本経済の安定・自立を目的としたドッジ=ラインを財政面から裏付けようとするもの。1949年9月に『日本税制報告書』が,1950年9月に『第二次報告書』が提出されている。この勧告は,税制面においては直接税中心主義に立ち,所得税を重視し,資産課税を強化するものとして富裕税を新設し,法人税を35%の比例税のみとするなどの内容を有したものであった。また,財政民主化の観点から地方自治の強化にも言及し,とくに,国と地方とのあいだでの事務配分に関して,行政責任の明確化・能率的事務割り当て・市町村優先の原則を呈示した。シャウプ勧告は,1950年の税制改正に際しては,若干の留保・修正をみたとはいえ,ほぼ全面的に採用され,戦後の日本経済の財政制度の基礎を形づくるとともに,現在にいたるまで,その影響を大きく残すものである。


奥野恒久20050614経済的自由

それまでの福祉国家社会というあり方に対抗するような経済社会システムのあり方が、世界的に見れば1970年代頃から、日本では1990年に入ってから、新自由主義という「主義」として、資本家(経財界)により提唱されました。小泉首相の言葉を借りるなら「創造的破壊」です。「『過労自殺』労災認定、過去最多に」といったニュースが報道されるかたわら、売上げが減ったにもかかわらず収益が増大する企業ばかりが生き残っています。どこにしわ寄せがきているかを如実に示す事実だと思います。

働き過ぎによる「うつ病」などで自殺し労災の認定を受けた人が、2004年度には45人に上り、最も多かったことが分かりました。厚生労働省によりますと、長時間労働や過重な責任など、仕事が原因で「うつ病」などの精神障害を発症した人の労災申請件数は2004年度に524件、そのうち認定された件数は130件で、いずれも過去最多でした。

また、認定されたもののうち、「自殺」は45件で、前年の40件を上回り最も多くなりました。自殺を含む精神障害の労災が増えている原因について、厚生労働省では、職場環境が厳しく、「うつ病」自体が増えているほか、「うつ病」への理解が進み、精神科へ抵抗なくかかる人が増えているためとみています。(6月17日 JNN 16:08)

さて今回は、フランスの近代市民革命(1789)を起源とする資本主義、20世紀に入ってからの福祉国家論、20世紀末から現在に至る新自由主義までの歴史的な流れを、法律面(憲法学)から講義していただきました。

参考となる頁: 20031108衆議院選挙前夜2003 自衛隊20031230追記 20050101賀正

奥野恒久20050412憲法「改正」国民投票法案を考える

自民党の新憲法起草委員会が要綱(自民憲法小委:要綱の要旨20050404毎日)を発表しました。米国流の自由と民主主義(愛国者法)を後追いする予想通りの内容でした。驚くには当たらないのですが、やはり脅威です。自公民財界の権力者側の意向があからさまなだけに、ふてぶてしく、感情的になってしまいたいところですが、まずは冷静になりましょう。改憲議連が提示している国民投票法案は、民主党が法案提出に流動的ではあるものの、主権市民の立場にある者は十分に注視続けなければならない状況です。

さて今回は、今国会に提出される可能性がかなり高い、憲法改定に先立つ「国民投票法案」の問題点について講義してくださいました。約1時間の講義です。なかでも、ふたつの点に私は注目しました。

  1. 国民投票運動に関する規制は憲法21条の表現の自由を侵すものだが、違憲訴訟の裁判結果が出される前に、憲法が改悪されてしまい、『公益』との秤にかけられるでしょう。
  2. 国政選挙と同時選挙の場合、公職選挙法による縛りが、改憲派に有利にはたらくのは想像に難くありません。

その他、いくつかの要点を洗い出していただきました。


奥野恒久20050308表現の自由

NHK番組「改編」問題、相次ぐ言論弾圧事件(ビラ撒き逮捕など)、危険な人権擁護法案など、憲法21条が保障する「表現の自由」という民主主義の根幹を成す事柄が、憲法9条(戦争放棄)や憲法99条(憲法尊重擁護の義務)等々と共に、法治国家において白昼レイプがまかり通る世の中になってしまいました。

さて、主権者たる我々国民は、立憲民主国の一市民として何を成すべきなのでしょうか。権力者を拘束する憲法が、権力者の手(憲法調査会)によって、逆に、市民を縛る(最高)法規に替えられようとしています。人類が築き上げてきた叡智を「積み木崩し」する蛮行ではありませんか。

何故、民主主義なのか。どういうことが、民主主義なのか。主権在民や戦争放棄の理念を、皆で確認しましょう!


奥野恒久20050125好きです・日本国憲法第9条!

西いぶり市民懇話会主催の、日本国憲法学習講演会を、伊達カルチャーセンター視聴覚室(北海道伊達市)にて、1月25日(火)18時30分に開演します。講師は、奥野恒久氏(室蘭工業大学助教授「憲法学」)です。

リーフレット「奥野恒久20050125改憲論の狙いと日本国憲法の価値」

日本の憲法を改定する動きが活発になってきました。特に自民党から「結党50周年を期して」という形で、今年の「11月までに新しい憲法草案を作ることを国民の皆様にお約束」の予定を組んでいます。昨日始まった今国会期では、まず、国民投票法を成立させ、現憲法の改定に必要な手続きである、国民投票に関わる法整備をする手筈です。と同時に、憲法改定がし易いように、
1)いくつかの改定案を提示してその中から選んでもらう
2)環境権など、誰でもYESと言ってしまうような条項を全面に出してオブラートにくるむ
などの手練手管の手法が、マスコミなどを通して刷り込んでゆくかと思われます。

憲法改定に当たって最も注目されるところが第九条(戦争の放棄)ですが、何故、交戦権をさておいて集団的自衛権が問題にされるのでしょうか。アーミテージ米国務副長官にせっつかれたからといって、あからさまに「集団的自衛権」という言葉を連呼するのは(私は現憲法の提唱する平和主義を支持する立場にありますが)あまりに稚拙ではありませんか。

さて、自民党の試案をさらに読んでいきますと「国民のあるべき姿を定める」という文句があります。本来、憲法には、ヨーロッパ市民革命で得た権力を取り締まるという役割がありました。自民党試案ではどうでしょうか。そこには法治国家における市民という概念は無く、権力者層が人民を治める全体主義の国家像があることに、私は気付きました。(笠井一朗20050122)


奥野恒久20040904オロフレ山麓ピースアクション

会場風景 (20040904撮影)

噛めば噛むほど味が出てくる講義です。5回聞いても飽きないし、10回聞いても惹きつけられてしまいます。来たる憲法改悪が平和主義を棄ててしまう事に一番問題があると思っていた私ですが、認識を新たにしました。体制が目論んでいる憲法改悪とは9条だけではないんですね。憲法たる本質、つまり、権力者を縛るべきところの憲法が、国民のあるべき姿を定めるという憲法に。実に恐るべき大転換を目論んでいるわけですね。そこに、法治国家における市民という概念は無くなり、権力者層が人民を治める全体主義国家像があるのですね。「憲法9条の力」を聞いて(笠井一朗20040922、壮瞥町)