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本稿は「北海道自治研究」2006年6月号に掲載されました。


奥野恒久200606精神的自由の憲法上の意義と現状-問われる、日本の民主主義像

奥野恒久:北海道自治研究449(2006年6月号)
はじめに

日本国憲法は、個人の心の営みを保障する精紳的自由として、一九条で思想・良心の自由、二〇条で信教の自由、二一条で表現の自由、三二条で学問の自由を保障している。いうまでもなく自らの思想や良心は本人の内面の問題であるが、それらを形成するには、書物や手紙を読む、話をする、学ぶといった他者とのかかわりややりとりが不可欠である。つまり、心の営みとは、他者とのコミュニケーションと自問を繰り返す、連鎖的な活動といえるであろう(注①一。そして多くの憲法学説は、表現の自由を中心とする精神的自由は優越的地位にあるとし、その侵害に対しては他の人権、とりわけ経済的自由よりも深刻に受け止めるべき、と解している。ところが昨今、たとえば心のあり方を強要しかねない教育基本法「改正」案が国会に提出されたり、政府に批判的な言論があたかも「狙い撃ち」のごとく弾圧される事件が多発している。

本稿では、日本国憲法の保障する精神的自由の意義を改めて確認するとともに、心の自由を脅かす最近の状況を、現在推進されている改憲動向の中で位置づける。そしてそのうえで、今、日本の民主主義のあり方が岐路に直面しているのではないか、と問題を提起したい。

1、精神的自由の憲法上の意義

精神的自由は、西洋において、思想や言論を弾圧した絶対王政に対し、市民たちが闘争のなかで掲げ、近代憲法で確認された基本的人権である。明治憲法下の日本でも、治安維持法一九二五年制定)によって、「国体の変革」や「私有財産制度の否認」といった特定の思想は禁じられ、そのような目的の結杜や思想の持ち主は、徹底的に弾圧された。また、「神社は宗教にあらず」との考えのもと、神社神道が事実上の国教とされる一方、キリスト教や大本教などは冷遇・弾圧され、学問についても沢柳事件や滝川事件(注②)のような弾圧事件と、それに対する教授会の抵抗があった。そもそも明治憲法は「臣民の権利」を保障するものの、たとえば「日本臣民ハ法律ノ範囲内二於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス」(二九条)とあるように、それは法律によって、法律の範囲内で認められたにすぎなかった。これは、「侵すことのできない永久の・権利」(憲法一一条)として法律でもっても制限できない(人権を侵害する法律は、その法律の方が違憲・無効(憲法九八条))とする、現行憲法の基本的人権と決定的に異なるのである。

(1)思想・良心の自由の意義

個人が内面でもつ考え方や良心こそが、当人の行動を規定し当人の自律を支える。思想・良心の自由なくして、自律的な人格を構成することはできず、それゆえこの自由は、個人の尊重(憲法一三条)を基礎とする人権体系において、まさに核心的地位にある。

内面における思想・良心の自由を憲法で保障する意義として、第一に、個人の思想や意見・見解の表明が強制されないこと(沈黙の自由)、第二に特定の思想や信条をもつことを根拠に不利益な取り扱いが許されないこと、があげられる。また、すでに形成された思想や良心を保障しても、それらの形成過程に国家が介入して都合のいい思想内容等を植えつけるならば、そもそもこの自由を保障する意味はなくなる(注③)。したがって、教育を中心とする思想や良心の形成過程において、この自由はもっとも慎重に扱われなければならないといえる。

(2)表現の自由の優越的地位

表現の自由とは、狭くは自分の言いたいことを言いたい方法で言う自由であるが、今日では、知る権利を含めて、広く情報の一連の流れが公権力に干渉されないことと解されている。この自由は、個人が自己を実現するために不可欠であること、また選挙とともに民主主義過程の前提基盤であること、そして歴史が示すように、権力批判をともなうこの自由が権力者による最大の弾圧対象となることから、表現の自由は他の自由よりも慎重に扱われなければならない、と理解されている。これが表現の自由の優越的地位とされるもので、ここからこの自由が制約される場合、裁判所はその合憲性を、経済的自由への制約とは異なり、厳密に検討すべきであるとする。表現の自由をはじめとする精神的自由と、経済的自由とを区分し、それらへの規制の合憲性を審査するさい、前者には厳格な審査を、後者には緩やかな審査をと、適用する審査基準を区分するべきという二重の基準論が、憲法学説上確立している(注④)。

もっとも表現の自由といえども、絶対無制約ではなく、他者の権利の侵害を抑止したり、他者の権利行使と調整をはかるため、制約を受ける場合はある。表現活動の制限としては、たとえばわいせつ表現を禁止するなど表現内容を規制する場合と、電柱等へのビラ貼り規制や音量規制のように、表現内容とは関係なく表現の時・場所・方法を規制する、内容中立規制とがある。そして、政府による思想統制や情報操作を危険視する見地から、表現内容の規制の方をより警戒し、その規制に対してはもっとも厳格な審査を行うべきというのが、多くの学説の立場である(注⑤)。とりわけ、民主主義を維持するためには、批判的な言論を含む政治的言論こそが最大限尊重されなければならないといえよう(注⑥)。

2、良心形成過程での国家による心のコントロール
(1)学校現場で強制される「日の丸・君が代」

政府は従来から、学習指導要領で、入学式・卒業式での日の丸掲揚、君が代斉唱を「望ましい」、その後「指導するものする」と事実上の強制を進めてきたが、一九九九年の国旗・国歌法の成立を機に、この動きをますます加速させる。もっとも国旗・国歌法は、日の丸や君が代に国旗・国歌としての法的根拠を与えるものにすぎず、国民の尊重義務などは明記されていない。それは、立法化の過程で、たとえば小渕恵三首相(当時)が「政府としては、法制化に当たり、国旗の掲揚及び国歌の斉唱に関し義務づけを行うことは考えておりません」(一九九九年七月二八日、参議院本会議)と述べるなど、政府側の答弁からの当然の帰結であった。ところが実態は、強制に「お墨付き」を与える法として機能しており、立法過程での政府答弁がいかに信用できないものかを示す、典型例といえよう。

なかでも、東京都教育委員会による強制は突出している。都教委は、二〇〇三年一〇月、教職員に通達(10.23通達)で、日の丸掲揚・君が代斉唱に関して服装を含めた詳細なマニュアルを示すとともに、違反すれば職務命令違反で処分するとした。さらに、二〇〇六年三月には、卒業式・入学式で生徒が君が代を起立・斉唱するよう教職員は指導を徹底すべきとの通達を出し、生徒の不起立を理由・とする教職員の処分を可能にした。二〇〇三年以降、都教委は三四五人の教職員を処分している(「北海道新聞」二〇〇六年五月二〇日付夕刊)。

このように現在、日の丸・君が代は、教職員に対して職務命令を通じて直接的に、生徒には間接的に強制されているのである。生徒への間接的強制といえども、君が代への起立・斉唱が勧奨されるなかで、良心にもとづいて着席しつづけるかという葛藤は、いわば「踏み絵」の前に立たされるようなものである。ましてや、通知表や内申書への記載などが示唆されるならば、憲法上許されない信条による差別といえよう(憲法一四条)。また、日の丸や君が代について十分な知識を持たず、それゆえ接し方もまだ決めていない、いわゆる良心の形成過程にある生徒にとって、このような勧奨は「刷込み」として機能するであろう。日の丸・君が代をめぐっては、その歴史的背景ゆえに、自らの良心にしたがって受け入れられないという人が、少なからずいる(注⑦)。国家が、受け入れられない人の立場への理解を促すならともかく、「受け入れるのがあたりまえ」のように刷込むなど、教育の場で最もしてはならないことではなかろうか。

(2)教育基本法「改正」案

ところが、この最もしてはならないことを法的に可能にしようというのが、教育基本法「改正」の動きである。二〇〇六年四月に提出された自民・公明の「改正」案では、教育の目的を「平和で民主的な国家及ぴ社会の形成者として必要な資質」を身につけることだとし(一条)、具体的な資質の中身として、「道徳心」「自主及び自律の精神」「公共の精神」などとともに、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」を掲げる。日の丸・君が代の強制と一体化するならば、国を愛すること、そしてその愛し方までを教育を通じて国家が命じることになる。この「愛し方」にこだわる愛敬浩二教授(名古屋大学・憲法学)は、シエイクスピアの『リア王』や長谷川如是閑の愛国的精神に触れたうえで、「卒業式に『日の丸・君が代』の強制を批判する記事を配って『威力業務妨害罪』で逮捕された元教員と、不起立者の人数を数え、『君が代』斉唱の音量までチェックしようとする教育委員会とでは、どちらが『愛国的』なのだろうか」と問いかける(注⑧)。いずれにしろ、上からの命令に従順な者を「愛国者」「健全な市民」に仕立てる作用を教育が担うことになる。

また教育基本法「改正」案は、現行基本法(一〇条)のもと抑制的であるべきとされている教育への国家の介入(たとえば旭川学カテスト事件、最大判一九七六年五月二一日)を180度逆転させ、国家主導で教育を推進するものとなっている。「改正」案では、国が「教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない」(一六条二項)とするとともに、国が保護者への学習機会や情報の提供など、「家庭教育を支援するために必要な施策を講ずる」(一〇条二項)とし、さらには「学校、家庭及び地域住民その他の関係者」の相互連携と協力を要請している(ニニ条)。学校、家庭、地域住民が一体となって国家主導の教育を担うとなれば、「批判を許さぬ空気」が醸成されることはいわば必然であろう。

3、弾圧される批判的な政治的言論

表現の自由をめぐる領域では、「批判を許さぬ」弾圧がより露骨な形でなされている(注⑨)。

二〇〇四年二月、市民グループ「立川自衛隊監視テント村」のメンバー三人が東京都立川市の防衛庁宿舎の各室玄関ドアの新聞受けに、自衛隊のイラク派遺に反対する趣旨のビラを投函したとして、住居侵入(刑法一三〇条)の容疑で逮捕・起訴された(立川テント村事件)。

また同年三月には、東京都中央区で社会保険庁の職員が休日に勤務先とは離れて、政党の機関紙の号外を集団住宅の新聞受けに投函したとして、国家公務員法一〇二条の「政治的行為の禁止」にあたるとして逮捕・起訴された(社会保険庁職員事件)。国家公務員法一〇二条は、一九七四年の猿払事件最高裁判決(最大判一九七四年一一月六日)で合憲とされたものの、表現規制を正当化するその論理に対して憲法学説からの批判が強く、いわば封印されていた条文である。

さらに二〇〇四年一二月には、東京都葛飾区のマンションに政党の「都議会報告」「区議会報告」を配布した男性が住居侵入の容疑で逮捕・起訴されている(亀有マンションビラ配布事件)。

このように本来なら警察沙汰になるとは思われない行為が摘発されており、しかもピザ屋など商業ビラは問題にされていないのである。その後の裁判の状況について、立川テント村事件を中心に見ておきたい。

(1)立川テント村事件判決

一審東京地裁八王子支部(二〇〇四年一二月二八日)は、住居侵入罪の構成要件に該当するとしつつも、行為の動機は政治的意見の表明という正当なもので、行為態様も相当性を逸脱しておらず、法益の侵害も極めて軽微なものに過ぎず、刑事罰を処するに値する程度の違法性はないとした。さらに、被告人らのビラの投函は憲法二一条の保障する政治的表現活動の一態様であり、民主主義杜会の根幹を成すもので、優越的地位が認められると述べて、無罪とした。

ところが二審東京高裁(二〇〇五年一二月九日)は、管理者の意思に反することを強調して、構成要件に該当するとしたうえで、政治的意見表明であっても、管理者の意思に反してまで立ち入ってよいものではない、と述べる。また管理者がビラ配りを禁止する表示を行うなど対策をとったにもかかわらずの行為ゆえ、その態様も相当とはいえず、さらに居住者らの受けた不快感などから法益侵害の程度も極めて軽微とはいえないとして、有罪判決を出した。

住居侵入にあたるかなど論点は多岐にわたるが、ここではポイントを三点に絞りたい。

第一は、住居侵入容疑での逮捕・起訴であるが、所轄警察署の警察官は「今回は自衛隊のイラク派遣反対のビラで、こういう時期に士気が下がるとかいろんな都合がある」(注⑩)と述べたという。つまり、住居侵入を名目に、表現内容、それも最も尊重されるべき政治的言論の内容を理由にした規制だということである。

第二は、高裁判決に見られるように居住者でなく管理者が前面に出ていることである。ここでいう管理者とは、陸自業務隊長と空自立川支処長であるが、その管理者が居住者である自衛官やその家族に知らせたくないとして情報を遮断したことになる。

そして第三に、表現の自由の制約を正当化するにあたって、権利の侵害ではなく「不快感」が持ち出されていることである。市川正人教授(立命館大学・憲法学)が、「異論にさらされることによる感受性あるいは気分の侵害が甘受されなければ、民主主義社会は成り立たない」(注⑪)というように、多様な意見が存在するのが民主主義社会であり、そこには「聞きたくない」意見も含まれるのは当然である。

(2)社会保険庁職員事件

猿払事件最高裁判決は、公務員の政治活動を制限する根拠として、行政の中立的運営とそれに対する国民の信頼確保をあげている。しかし当事件の被告人は、勤務時間外に勤務場所から離れたところで、公務員であることを明かすことなくビラを配布していたのである。行政の中立的運営を損なうものでも、行政の中立的運営に対する信頼を損なうものでも全くない。明らかに批判的な言論への弾圧である。

4、改憲動向と「監視社会」

現在、「格差社会」「戦争のできる社会」「監視社会」という、日本国憲法とは相容れない三つの社会化が権カ主導で推進されている。これら三つの社会化は、一九九〇年代以降の新自由主義政策という根っこで通じており、その行き着く先は改憲という課題である。本稿ではここまで、教育の場での心の扱われ方と、政治的言論への弾圧のありようを通して、「批判を許さぬ空気」が醸成されてきていると指摘した。そしてこの空気は、一般市民の「不安感」(その多くはメディアに作られた事実にもとづかないものであるが)に支えられた「監視社会」により、いっそう強まる。

(1)共謀罪新設法案

政府は、二〇〇〇年一二月に国連総会で採択された「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」批准のための国内法整傭として、共謀罪を新設する法案を国会に提出した。そもそも条約批准のために共謀罪新設が義務づけられているのか自体疑問であるが、この法案の最大の問題は、実行行為がなくとも犯罪を合意したというだけで処罰する点である。これは、実行行為を犯罪の成立要件とする日本の法制度と合致せず、それゆえ政府代表団も当初は否定的な立場であった。それが条約の成立にともない、一転して同法成立に急ぎだしたのであるが、その背景には日本政府の治安政策上のねらいがあると見るべきだろう。警察権力を増大させることは想像に難くないが、実行行為として現れない共謀を処罰対象とするため、捜査手法が尾行や盗聴、共謀者内部からの密告、スパイの潜入といったものとなり、市民は絶えず監視や密告を警戒しなければならなくなる。まさに相互不信、疑心暗鬼の状態に陥る。とりわけ、政府に批判的な活動が萎縮することは必至であるし、「健全な市民」は、「危なそう」な人や団体、そして集会からますます遠のくであろう。おそらくここに、最大のねらいがあると思われる。

(2)異端者を排除する住民監視

地域の安全を守ることを目的に、「民間パトロール」の組織化や、監視カメラの設置を推進する生活安全条例が全国の自治体で制定されている。市民の「不安感」が監視強化を後押しする一例であるが、必ずしも権力が介在することなく、異端者や「危なそう」な人を敵視・排除する機能を果たすであろう。国家が「健全な市民」を持ちだして、異端者を炎りだす社会へと進んでいるのである(注⑫)。

(3)個人の権利よりも国益・公益を重視する改憲論

格差の拡大や戦争の遂行などに対し、多くの国民が批判の声をあげることは、当然ありうる。だが、その批判を封じ込める、あるいはそもそも批判意識を生まないようにする、この権力側のねらいが一連の動きとなって現れているのである。そして、この動きの完成も、やはり憲法「改正」であろう。

二〇〇五年一一月に発表された自民党・新憲法草案では、その前文で「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し」とし、一二条では「国民は、…自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」と述べている。個人の権利よりも国益や公益を優先する、国民を国に尽くさせるという発想であるが、とりわけ憲法という法の性格を180度転換する点は、看過できない。権力を憲法で拘束することによって、国民の権利を保障する。これが近代以降確立した立憲主義という大原則であるが、どうやら改憲案は、「国民を支配するための憲法」へと性格を一新したいようである。もしこのような改憲案を国民が選ぶならば、学校での日の丸・君が代の強制や政治的言論の弾圧に対し、憲法を盾に闘うなど、もはや不可能なこととなる。

おわりに

長谷部恭男教授(東京大学・憲法学)は、「それぞれの社会には、大多数の人々が日常ほとんど意識するまでもなく『当然のこと』として受けとめている生活態度やものの考え方がある。このような『当然』の通念に異議を唱える人々が現れた場合、その精神的自由をどのように取り扱うかで、当該社会の寛容さと、多元的な民主制という憲法の基本理念へのコミットメントのあり方が明らかになる」(注⑬)という。まさに今、日本の民主主義社会のあり方が問われているように思われる。戦後の日本社会は、日本国憲法の下、曲がりなりにも「少数者にも寛容な民主主義」「互いに尊重しあう民主主義」を目指そうとしてきたはずである。それが現在、教育や治安政策の面では「異端者を排除する社会」へ、統治の課題としては効率性の追求へとひた走っている。

しかし、「健全な市民」を動員した国家主導の効率性を重視する民主主義は、抑圧政治とどう違うのだろうか。批判的言論や少数意見が灸りだされる社会では、市民は思考停止しない限り、「健全な市民」をやめることも「健全な市民」をつづけることも苦難を強いられよう。少数者の困難はいうまでもなく、耐えがたい抑圧への反発から暴力も生まれかねない。そして何よりも偏狭で息苦しい。だとすると、それとは異なる「寛容な民主主義」を改めて目指す方が、はるかに賢明ではなかろうか。

【注】
  1. 参照、浦部法穂『憲法学教室〔全訂第2版〕』日本評論社、二〇〇六年、122頁。
  2. 沢柳事件とは、一九一三年、京大総長に転任してきた沢柳政太郎が総長の判断で七人の教授に辞表を提出させたのに対して、法学部の佐々木惣一教授らが文部大臣に対決・抵抗した事件である自他方、滝川事件とは、一九三三年に鳩山一郎文部大臣が、京大の刑法学者・滝川幸辰教授を教綬会の同意なしに休職処分にしたのに対し、法学部の教授が全員辞表を提出した事件である。
  3. 参照、西原博史『良心の自由〔増補版〕』成文堂二〇〇一年、3頁。
  4. もっとも最高栽は、経済的自由の親制を正当化する文脈で二重の基準論を示唆したにとどまる(小売市場判決、最大判一九七二年一一月二二日)
  5. 反対論として、市川正人『表現の自由の法理』日本評諭社、二〇〇三年、207頁以下。
  6. もっともこのことは、非政治的言論であれば軽く扱ってよいというものではない。
  7. 京都「君が代」テープ事件において、京都地裁は「国民の中に君が代を国歌とすることに違和感を持たないでこれを受容している者も多数存在している…他方…君が代を苦い戦争の記億と重ね合わせて、これに強い嫌悪の情を持つ者がいることも否定することはできない」と述べる(京都地判一九九二年一一月四日)。日の丸・君が代への否定的な主張は、単なる個人的好みから出るのではなく、歴史的背景を根拠に、戦争体験など特定の立場の人が行ってしかるべき主張なのである。それゆえ、私はこの問題を「道徳的不一致の問題」と解している。拙稿「道徳的不一致の問題と憲法学における民主主義論」、『龍谷法学』三二巻四号、二〇〇〇年。
  8. 愛敬浩二『改憲問題』ちくま新書、二〇〇六年、227頁。
  9. これら一連の書論弾圧事件を憲法学の立場から扱ったものとして、特集「『ポスティング』は犯罪 か?」『法学セミナー』二〇〇四年八月号60頁以下の石埼学、市川正人論文。石埼学「立川反戦ビラ事件判決」『法学セミナー』二〇〇五年五月号62頁。特別企画「いま再び脅かされる表現の自由」『法学セミナー』二〇〇六年三月号46頁以下の奥平康弘、大久保史郎論文参照。
  10. 吉田敏浩『ルポ戦争協力拒否』岩波新書、二〇〇五年、168頁。
  11. 前掲、注⑨の市川論文、63頁。
  12. 参照、特集「小泉『構造改革』と憲法学の課題」『法律時報』二〇〇六年六月号75頁以下の村井敏邦、石埼学論文。
  13. 長谷部恭男『憲法〔第3版〕』新世杜、二〇〇四年、193頁以下。