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高橋奈々子20110611ピースウォークイン伊達 doc
笠井一朗20110611福島原発事故と問題:ピースウォークイン伊達(6.11脱原発100万人アクション協賛)

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笠井一朗20110611福島原発事故と問題:

ピースウォークイン伊達(6.11脱原発100万人アクション協賛)

千年に一度の未曾有の災害が、東北地方を襲いました。3月11日午後2時46分でした。そのとき私は、ちょうど自宅にいました。地震の大きさは、2000年の有珠山の噴火の時よりも大きく感じましたので、すぐにテレビをつけました。割とすぐに、実際には30分ほど経ってからでしょうか、恐ろしいほどの津波が、逃げまどう人々を飲み込んでゆくさまを生中継で見てしまいました。

「千年に一度」の大災害とよく言われますが、さて、本当に「千年に一度」だったのでしょうか。マグニチュード9.0の大地震は、日本観測史上最大でしたし、世界観測史上4番目だそうです。ですが、気象観測が記録されるようになったのは、日本国内においても、世界的にも、ほぼ同時期の1900年頃の話しです。つまり、過去110年の記録に基づいた「日本観測史上最大」であり、「世界観測史上4番目」ですから決して「千年に一度」の「未曾有」の災害ではないはずです。

震災以来、「千年に一度」という言葉に拘ってしまいがちな私ですが、なぜ、引っかかるかと云いますと、「千年に一度」だから「想定外」だったし、そのような「未曾有の災害」に遭遇してしまった原子力発電所が今日の今日まで既に3ヶ月も経っているにもかかわらず、未だに収束できずに放射性物質を垂れ流し続け、現場作業員は被爆を余儀なくされ続け、水蒸気爆発など、さらなる放射性物質の漏洩を招き、チェルノブイリの520京ベクレルを超えてしまうかも知れない、そういった現状に免罪符を与える体の良い言い訳にしか過ぎないと感じるからです。

さて、万万歩譲って、仮に「千年に一度」の大震災だったとしましょう。では、次の「千年に一度」は、あと、千年経たないと来ないのでしょうか。そうではありません。地震学者が指摘していますが、今回の東北大地震を皮切りに日本列島は地震活動の活発な時期に突入したと云っています。確率論から云って「千年に一度」とは決して「千年経たないと起きない」ということではありません。明日、起きる確率もけっしてゼロではないのです。

福島原発は大地震から25時間後に水素爆発を起こしました。1号機を皮切りに、続いてその翌々日に3号機が、その翌日には2号機と4号機が爆発しました。最近では、鮮明な映像をテレビでも見ることが出来るようになりましたが、あまりにも無残な姿ではないでしょうか。そして、映像には映りませんが、とても高い放射線量です。ただでさえ、地震と津波で原子炉を冷却するための配管経路が相当に痛んでしまいましたが、一連の爆発は、その配管を更に痛めたであろうことは、映像から察するに想像に難くありません。以来、現在もなお、高濃度放射性汚染水が冷却系統から海に流出し続けているわけですが、海洋中に流出した放射性物質はすぐにプランクトンから小魚へ、そしてサンマやマグロなどの回遊性大型魚類へと生態濃縮がおき、金華山沖の近海物に限らず、数ヶ月後には、世界中の遠洋漁業に影響が出てくるでしょう。

再度、申し上げます。万万歩譲って「千年に一度」だと、文字通りに解釈するとしましょう。千年に1度だったらよいのか、千年に1度なら許されるのかと云うことです。ストロンチウムやセシウムの半減期は約30年ですから、十分の一に減るまでに実に100年もかかるのです。ウランやプルトニュームは万年が半減期です。ご自分の政治生命だけを気にすればよいと考える政治家が多いから、「直ちに人体に影響を与えるものではない」と言ってしまえるのでしょう。ちなみに枝野官房長官のご子息はいち早く海外に避難したという話しを聞いたことがあります。

長崎大学医学部の山下俊一教授は放射線医学がご専門で、福島県の健康アドバイザーに任命されましたが、二本松市の講演会である人が「先生は、フクシマの子どもたちに健康被害が出たとして、責任を持てますか?」と質問しました。彼は「その頃には私は生きていませんから責任のとりようがありません。」と答えたそうです。あまりに無責任だと思いませんか。

チェルノブイリ周辺で子どもたちに甲状腺癌が発症し始めるのが、事故後5年ほどしてからでした。事故当時、幼児だったり、お母さんのおなかの中にいた子どもたちが25年経った今でも、甲状腺癌の摘出手術や、白血病の治療を受けたりしています。そもそも、放射線は生命のDNAを傷つけ、免疫力を弱めるのです。したがって、ありとあらゆる免疫不全に起因する病気にかかりやすくなります。つまり死なないまでも、どこか、弱々しい、風邪を引きやすい、アレルギー反応を起こしやすい、そういった、人が生きてゆく上での生活の質、人生の質が低下するのです。

第二次世界大戦後、核保有国は競って核実験をしました。戦術核と呼ばれる威力の小さい原爆もありましたが、戦略核と呼ばれる、1発で東京のような大都市を壊滅させることの出来る水爆も連発させた時代がありました。さて、何発の原爆や水爆が地球上で炸裂したかご存じですか。アメリカは、広島と長崎で爆発させる前にネバダ砂漠で人類初めての原爆実験をしましたから、そこまでで、まず3発と数えます。。。実に2299発の核爆弾を地球上で炸裂させてきたのです。それにプラスすることのスリーマイル島、プラスすることのチェルノブイリ、そして今回のフクシマ、それにプラスすることの原子力発電所や再処理施設から日常的に漏れ出る放射性物質もプラスしなくてはなりません。

我々は自然界に存在する放射性物質からも、年間数ミリシーベルトの放射線を浴びている、と云う人もいます。確かに自然放射性物質から出る放射線も、原子炉内の核分裂によってだけ生成される人工放射性物質から出る放射線も違いはありません。自然界に存在する放射性物質には、ウラン、ラドン、ラジウム、カリウムがあります。例えば放射性カリウムですが、栄養素としてのカリウムは放射性ではありません。もし、放射性カリウムが体内に入ってきたとしても、我々人間も含めて生きとし生けるものの生命体には、放射性カリウムは速やかに排出するという機能が備わっています。ところが、人工放射性物質は過去60年間というつい最近に地球上に現れたものなので、放射性と非放射性を峻別する能力がないのです。ですから、沃素は甲状腺に、セシウムは筋肉や心臓に、ストロンチウムは骨に蓄積されてしまいます。我々が必要とする栄養素と勘違いしてしまうからです。

最後に申し上げます。万万歩譲って、仮に「千年に1度」だとして、我々人類の健康を、そして、生きとし生けるあらゆる生命体の健康を損なうような事態を許して良いのでしょうか。今回は触れませんでしたが、使用済み燃料も問題です。百年は冷却し続けなければならない、万年は保管し続けなければならない使用済み燃料を、環境中に漏洩させないで置くことが、はたして出来ますか。使用済み燃料の処理を含めて考えますと、我々は今、自らストップすることの出来ない、地球を滅亡させかねない時限爆弾を抱え込んでいるのだと思います。

皆さん、、、放射能は要りません。原発も要りません。ここにいる子どもたちのために、そして、地球上のすべての生き物のために、我々が力を合わせて、原発を止めさせましょう。