阿部 政雄
「日本・アラブ通信」編集長、日本ペンクラブ国際委員
◆生年月日 1928年(昭和3年)5月25日生
◆学歴 南山大学英文学科中退
◆職歴
1954年から3年間、平凡社創業者の下中弥三郎氏の下で、『インド友の会』の事務局を担当。
1960年、駐日エジプト大使館文化部に5年、アラブ連盟東京代表部に7年、外部から約13年間勤務、協力。
1985年頃から、イラク大使館はじめ、エジプトその他のアラブ大使館の仕事に従事、また25年間東海大学国際学科で「中東地域研究」の講師を務める。
1999年3月、東海大学を定年退職。
1955年に開かれたバンドン会議の頃より、アジア・アフリカ諸国に関心を持つ。
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1958年1月1日カイロで開かれたアジア・アフリカ諸国民会議の終了日アブディン宮殿にて
左から1人置いて阿部、サダト国民議会議長、ナセル大統領
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1957年末にカイロでの国際会議参加以来、専らアラブ諸国との提携の仕事に携わる。
これまでに、国際的な文化行事やテレビ取材等でエジプトはじめモロッコ、アルジェリア、チュニジア、レバノン、シリア、ヨルダン、イラクなど、主要12か国を計47回訪問。
「ツタンカ-メン展」をはじめアラブ諸国の映画、音楽、民俗舞踊などの紹介に先駆的な役割を果
たして来た。 音楽の分野では、 1965年初頭の古賀政男氏のカイロ訪問の折エジプトの大作曲家アブデル・ワハ-ブ氏との会見を斡旋。
1975年5月に、古賀氏より依頼を受け、代々木上原の古賀邸にて七人のアラブ大使夫妻を招き、代表的な日本音楽家による100人の大パ-ティを開催の実現に努めた。
韓国メロディーについでアラブメロディーが好きだった古賀氏はその年の秋、エジプトの首都カイロに明大マンドリン倶楽部を伴い、日本の歌謡紹介の公演を行なうことを計画、大使からも協力の約束を得ていたが、残念ながら、この計画は氏が病に倒れたため実現できなかった。
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1974年5月古賀政男邸でアラブ大使たちを前に三味線の弾き語りを披露する古賀先生とその横で通
訳する阿部。松田善三氏、高峰秀子氏、池田弥三朗氏らの顔が見える。
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◆著書
『アラブパワ-は世界を動かす』(講談社:1993年,全国学校図書館協会推薦図書)
『アラブ案内』(グラフ社:1980年)
『アラブ世界-その魅力を探る』(保育社カラ-ブック:1973年)
『パレスチナ問題』PLO研究センタ-編(亜紀書房:1974年)
『高校用視聴覚教材-アラブ世界』第3巻(光和スライド社:1983年)
現在、『エジプト百一夜』を執筆中
◆趣味
日本の歌謡戦時中から、日本の歌謡を歌っていたことから、カラオケは十数年選手。『花王名人劇場』で素人名人として書生節を歌ったこともあり、アラブのフスティバルで、大学帽を被り、袴をはき、高下駄
姿で中山晋平、古賀メロディ-を2000人の聴衆の前で歌った。
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1994年イラクのハトラ国際音楽フェスティバルで大正演歌を歌う。
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現在、アラブをテーマにした日本の曲の発掘。1997年初頭には、自らの作詞に友人いづみたく氏の作曲による「カラオケソング(原名:カラオケ-晴舞台)や、「モロヘイヤの歌」などを作詞し、CDも発行。
今後、アラブ諸国への日本の歌謡の紹介とアラブ音楽の日本への紹介を計画している。活弁綾瀬の無声映画鑑賞会に約4年通
い、故松田春翠氏から学び、『月形半平太』『ジゴマ』『坂本竜馬』などを説明したことがあった。
●大道芸 大道芸研究会に約3年参加したが、特に亀戸の桜井敏雄師匠のお宅には、よく遊びに行き、多くの大正演歌や書生節を学んだ。
●朗読 下北沢にある放送教育アセンタ-(山内雅人氏主宰)には、三年通
い、朗読を勉強。その他、講談界とも長い付き合いあり。 以上カラオケから朗読に至るまでの修練は、徳川夢声の『教師たるもの話の玄人たるべし』の教えにもとずくもので、日本でアラブの物語を講談、朗読界に働きかけたいと言うのが夢。また自身がアラブの英雄譚や民話を語りたいと考えている。アラブ諸国との話芸の交流が夢である。
◆これから 以上のようにアラブ諸国(出来れば世界諸国)との歌謡、民俗芸能、大衆文学、映画、ドキュメンタリ-等の交流を促進して、日本とこれら諸国の相互理解、親善に努めたい。また、少しづつ、文化、芸術面
での共同製作の可能性を探って行きたい。また、日本がアラブ諸国に果
たす役割の中で、技術移転の問題は重要課題なので、東海大学をはじめ、筑波学園都市の教授、専門家と協力しながら、この問題を具体的にすすめる。
◆『アラブパワ-は世界を動かす』(1993年、講談社)の出版記念パ-ティー
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出版記念パーティで祝いの挨拶を終えた三鬼先生の手をとる阿部
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1993年11月24日、霞が関ビルの東海大学校友会館で、エジプト、レバノン、アルジェリア大使はじめアラブ外交団7カ国の代表の参加を得、下記の方々の発起人により、約130名の有力者の参加を得て開くことが出来たことは本人にとって大きな励まし、一つの記念碑となった。
【資料】
出版記念パーティ 発起人代表 三鬼陽之助 尾崎秀樹
発起人 江上波夫、江間章子、大鷹淑子、加藤武子、神田山陽、河村幸次郎、木下恵介、小島貞二、小堀 巌、早乙女貢、志賀信夫、園田天光光、田井重治、高野悦子、丹野
郁、堤 清二、中山善郎、奈良本辰也、野間佐和子、平山郁夫、
星野哲郎、本田安次、松前達郎、松山樹子、三木睦子、武者小路公秀、牟田口義郎、渡辺義雄
(アイウエオ順)
世話人 高橋千劔破、倉持哲夫
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