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野田正彰20110708毎日巨大地震の衝撃・日本よ! 精神科医・野田正彰さん

http://mainichi.jp/select/weathernews/news/images/20110708dd0phj000035000p_size5.jpg
幾島健太郎撮影
<この国はどこへ行こうとしているのか>
◇悲しみは悲しむ社会に--精神科医・野田正彰さん(67)

野田正彰さんは欧州のパリ滞在中、東日本大震災の発生を知り、「かなりの無理をして」急きょ帰国した。

「1995年の阪神大震災では、仮設住宅に入った人たちの孤独死や自殺が相次ぎました。なぜなのか。その怒りがずっと心にあったので、今度の震災では何とか防げないかと、発生から1週間後に被災地入りしたのです」

これまでに数回、岩手、宮城、福島の避難所を訪ね、孤立しがちな被災者の話に耳を傾けたり、遺族と一緒に思い出の場所を歩いたりして精神的サポートを続けてきた。だが、そうしながらも、ある違和感が野田さんにまとわりついて離れなかった。

「例えばメディア。海外の報道を紹介し『冷静な日本人は素晴らしい』と称賛する。『日本は一つ』という掛け声もそうですが、一種のナショナリズム的姿勢であり、社会全体に頑張れムードが強く漂っていました。阪神のときには、これほどではなかった。それだけ災害の規模や衝撃が大きかったとも言えますが、私はそこに、日本の不幸に対する“構え”が明確に出ていると感じるのです」

その「構え」とは「悲しみを抑圧し、不幸を忘れて先へ進もうとする態度」だ。

「日本全体が『悲しみは忘れた方がいい』という発想に疑いを持たない。被災地では親や我が子を亡くした人たちが、今もがれきの中で暮らしている。彼らを前に『悲しみを忘れましょう、頑張りましょう』と言えるのか。人間の精神について、あまりに鈍感ではないでしょうか」

阪神大震災で野田さんは、牛乳瓶や空き缶に花を差し、がれきの中でうずくまっている人を大勢見た。だが今回の震災では、そんな姿が少ないと感じている。

「被災地の人たちは胸が張り裂けそうな悲しみを抑え、押し黙っているのではないでしょうか。しかし、人間の感情は、喜びだけを膨らませるという、そんなばかなことはできないのです。悲しむということは、失った家族と対話することです。その悲哀を通して、人は自分の人生を意味あらしめている。本当に深く悲しめる人は他者と深く喜び合える人でもある。ただそれだけのことが文化として共有できない社会は、野蛮な暴力社会だと思います」

なぜこの国は、悲しみを抑えようとするのか。

「明治維新以降の近代150年間、この国では、それまでの一握りの武士の生き方を理想化し、泣かないことや悲哀に耐えることこそが美しいと強調してきた。そこから生じた『構え』は、1923年の関東大震災や数度の戦争を経ても変わらず、受け継がれてきたのです」

そんな、悲しみを抑えようとする「空気」は何をもたらすか。野田さんは「連帯が失われる」ことを懸念する。被災者が悲哀を受け止め、周囲がそれに共感し、寄り添うところにしか連帯は生まれないからだ。

連帯を失い、孤立した被災者はどうなるのか。野田さんの懸念は、すでに数字に表れつつある。震災後の全国の自殺者数は、5月は前年比で19・7%、6月も7・8%増えた。「データをすぐにグラフ化して昨年と比較し、ぞっとしました。でも注意しなければならないのは、自殺が『絶望』の表現のある一面だということです。その裏には、風邪をひいても暖かい服を着ない、ご飯を食べないなど自分へのいたわりをなくしてしまった果ての『消極的自殺』も多数存在するのです」

経済を含めた社会状況も被災者には過酷だ。

「バブル崩壊以降の不況は97年ごろから顕在化し、98年から自殺者が3万人を超え続けています。リストラが進行し、消費者金融で多重債務に陥った人たちが死を選び始めたからです。その後も日本は新自由主義に突き進み、さらに格差が拡大して『切り捨て』という病理が吹き荒れている。東日本大震災は、そういう状況の中で起きたことを忘れてはなりません」

「連帯」を「絆」と言い換えれば、東北の被災地は都市部に比べ絆が強いという言説も流布しているが、野田さんは、そうではないと言う。

「被災地では、仙台や東京など都市部に出ていて、被災した父母がどんな生活をしていたのか知らないという人に何人も会いました。そこに、高齢化し家族がばらばらになっている実態が如実に表れているのではないか。行方不明者の数が震災2カ月後ぐらいから急激に減りましたよね。この現象は、震災直後の混乱だけでは説明できない。自分の家族がどこにいるのかを知らず、とにかく行方不明の届け出をした方が大勢いたということではないか」

無縁社会」は被災者を直撃しかねないのだ。

被災地の人たちを置き去りにした、ナショナリズム的頑張ろうムード。それは政治にもにじんでいるとみる。

「今、菅直人首相がリーダーシップがないと攻撃されている。ならば、阪神大震災のときの村山富市元首相はどうだったか。しかも、出来のよくない首相が何代も続いたことを思えば、そこそこで満足してはどうか。『ペテン師』などの汚い言葉で批判するのは異常です。政策面で言いたいことはありますが、それは別の話です。政治について、これほど攻撃的な言葉が飛び交うのは、社会に英雄待望論があるからでしょう」

社会不安に乗じた「強い権力」を求める空気。それはかつてこの国がたどった道でもある。「関東大震災後の社会不安をうまく利用して治安維持法が強化され、日本は軍国主義へと進んでいった。その歴史を繰り返そうとしていないでしょうか」と語る。

「災害は社会の病理を変える契機になりうる」

阪神での経験も踏まえ、一貫してそう訴え続けてきた。災害は、社会にちりばめられた矛盾を浮かび上がらせる。それはときに残酷で、暴力的ですらある。が、悲しみの中から連帯を生み出せれば、より良き社会へとつながる。そう信じている。

「悲しみの抑圧というボタンの掛け違いを放置すれば取り返しがつかなくなるが、本気で社会が変わろうとするなら、まだ間に合う。災害救援とは被災者の気力をいかに維持し、温め、高めるか。どんなに建物の復興が進んでも、人と人との関係が貧しい社会では意味が無いのですから」

被災者に寄り添い続ける精神科医は、こう繰り返す。

「悲しみを、ちゃんと悲しめる社会--それこそが本当の復興へ向かう私たちの精神の礎であるべきです」【山寺香】


■人物略歴◇のだ・まさあき

1944年、高知県生まれ。北海道大医学部卒。神戸市外国語大教授などを経て現在、関西学院大教授。「喪の途上にて」「災害救援」など著書多数。(毎日新聞 2011年7月8日 東京夕刊)


野田正彰20110417サンデー毎日「災害救援の思想」

精神病理学者で関西学院大学教授の野田正彰氏(67)は阪神・淡路大震災を経て、被災者への救援がどうあるべきかを長年考察してきた。東日本大震災で津波被害を受けた岩手県沿岸部に入った野田氏は訴える。「『心のケア』という言葉はいかに浮ついたものか」

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阪神・淡路大震災が起きた1995年、野田氏は物質的な援助だけではなく精神的なサポートが必要だと提示する『災害救援』(岩波新書)を著した。東日本大震災の救援ではそれを超克する状況があるのか。

災害が起きると、皆が「何とか復興しなければならない」と目をそろえる。政治家やマスコミは「壊れたもの以上のモノを造ればいい」と訴える。亡くなった人のことを積極的に忘れろとまでは言わないが、「死を乗り越えて頑張ろう」と提起してくる。

これらの言葉は被災者のためだろうが、被災者の視点に立っていないことにどれほどの人が気付いているのだろうか。もちろん、そこに悪意がないのは分かっている。そのような生き方をしてきただけなのだ。

災害救援とは被災者一人一人の悲しみを軸として、残された人の気力を温めることだ。消えかかった炎を掌で包んで風をさえぎり、炎を消さないようにするようなもの。にもかかわず、「あんたたちは弱っているから私たちがしてやる」と被災してない人は平気で言い、被災者の気力の炎を吹き消すような姿勢を繰り返してきた。

阪神・淡路大震災では、被災者は復興の妨げになるから強制的に疎開させるべきという主張が都市計画の研究者に支配的だった。「大阪に行けばお風呂に入れるし食事もできるのに何でいつまでも被災地にいるんだ」と言う一般人がいた。しかし、被災者は亡くなった家族の近くにしばらくいたい。同じ不幸を体験した者同士で寄り添っていたい。そういう被災者の思いを理解したうえで、「今は十分な食事を提供できないし寒さもあるから一時的に疎開しましょう。何カ月後にはこういう形で帰ることができます」と提示しなければならない。

いまだに行方不明となったことも分からない被災者がいる傍らで、仮設住宅の建設・入居が始まり、他県への移住が進む。スケジュールに乗っ取った「復興」。日本のみならず全世界から「復興に向けてがんばろう」コールが響く。

被災地ではない自治体が「被災者を受け入れます」と名乗り出るのはいいけれど、住み慣れた土地から離れて疎開するのがベストの策ではないということを理解できているのか。善意でやっているのだから正義だと思っているのなら、被災者の顔が見えていない。

「津波の被害を受けた地区にはもう住みたくないだろう」という推測も、被災していない人が目にすべきではない。気力の炎を消す行為に他ならない。被災者が今後のことを考えるようになるのを待つべきだ。それには時間がかかる。救援するためには、被災した人の時間を生きなければならない。癒やされるには時間が必要だ。被災していない人の時間を押しつけてはいけない。大事な人を亡くした人が元気に動き回ったりするのは、苦しさを紛らわそうとしているだけで嘘だから。被災者を切り捨てようとするから、早めに合同慰霊祭をやってあとは時間の区切りごとに記念の催しをやればいいとなる。

今、「がんばろう」という言葉が世の中にあふれかえっている。被災した人は歯をくいしばって頑張っている。必死になって耐えている。誰が頑張っていないというのか。「がんばろう」は、苦しい人に対して「頑張れないお前はダメだ」というメッセージになる。

新聞には、元気そうな子どもの写真に「もう泣かない」という見出しが躍る。とんでもない。泣きなさいと強制する必要はないけれど、「泣くな一なんて口が裂けても言ってはいけない。泣いている人の横で静かに座っているような姿勢が大切だ。

重要な「過去の記憶の保存」

被災していない人たちはステレオタイプで問題を解決したがる。ずっと悲しみ続ける人がいることを知りたくないし、立ち直っているという話を早く読みたい。そんな気持ちにマッチしたニュースしか提供されていない。

津波では遺体が見つからない場合が圧倒的に多い。残された人には亡くなった人に何もしてあげられないという罪責感は増す。「自分は走って逃げたけれど、おばあちゃんを背負って逃げなかった」と……。他人には言わないが、自分が生き延びたことで自分を責めてしまう。

地震発生時パリに滞在中だった野田氏。帰国後の3月24、25日に岩手県沿岸部の大槌町から釜石市、大船渡市、陸前高田市にかけて避難所や民家を訪れ、被災者と会話を交わした。

阪神・淡路大震災と比べ救援体制は格段によくなっている。被災者を主として動いているのではないか。避難所の運営もきめ細やかだった。釜石市のある避難所では、被災した女性たちが中心になって食事を準備していた。阪神・淡路大震災の時には冷えたお弁当が配られていたが、今回見た範囲では避難所ごとでご飯が炊かれ、煮物を作ったりしていた。

警察官の姿が少ないことが印象的だった。阪神・淡路大震災の時は救出活動とは別に、治安維持の名目で不必要に警察官が街に出ていた。今回は権力に立つ人が取り仕切るのではなく、被災者に寄り添って生きている光景があった。菅直人首相は「被災者だけの被害ではなく、国民皆の災害。皆さんの信頼を高めるように救援します」というメッセージを送っている。

がれきを片付ける際に、アルバムや写真を残そうという方針を政府が出しているという。家を失い亡くなった人のことを思って生きる人々にとって、支えとして重要なのは過去の記憶だ。93年の北海道南西沖地震の時に奥尻島を訪れて以来、「過去の記憶の保存」を提案してきたが、今回政府が言い出しだのは異例のことだった。

太平洋戦争末期の東京大空襲の被災者や遺族らが「国は被災者を放置した」と訴えた裁判で、野田氏は原告らの精神鑑定をした。「危機への対応には社会の本質が表れる」。戦争と災害は通底していると言い、明治以来の日本の近代社会の異常さを指摘する。

近代日本は常に民衆を切り捨ててきた。1923年の関東大震災では10万人が死んだが、なぜ死んだのかは追及されなかった。避難民が集まった上野は惨状だった。多くの孤児たちに日本社会がどう対応したのか。ただ忘れなさいと言うばかりだった。「国民全体が被った受難だから我慢しなさい」と諭された。

「死んだ人は忘れろ、いち早く前向きに生きろ」と強者が民衆を踊らせることは今も都合よく行われているのではないか。しかも、同じことを繰り返しているという自覚はゼロ。そんな切り捨てられた民衆の絶望をバネにしながら戦前は治安維持法を強化し、軍国主義へと進んでいった。阪神・淡路大震災後は新自由主義に突き進み、格差社会拡大につながっていった。

戦争を反省してこなかった社会は災害にも真剣に取り組めない。阪神・淡路大震災の時も似たようなものだった。家を失い希望を失った人をくじ引きでバラバラに遠くの仮設住宅に送り込んだ。当時の笹山幸俊神戸市長は復興とはとにかくお金を取ってくることだと言い、神戸空港建設に邁進した。

災害は社会の病理を変える契機

災害時と平常時がつながっていることが理解されていない。マスコミは災害時だけ、「外国から見て日本人は取り乱さない。素晴らしい」という記事を検証抜きに平然と流すが、実際には年間自殺者は3万人を超えている。切り捨ての病理が平常社会のなかで噴き出し続けている。

私が災害に強く関心を持っているのは、災害が社会の病理を変える契機になりうると考えるからだ。阪神・淡路大震災は社会の格差を小さくし、人と人の絆を再生させる契機になると期待したが、そうはならなかった。悲しみを抑圧して復興していく社会であってはいけない。もっと女々しくなって近代日本の切り捨ての病理を克服しなければならない。

一番大切なのは、「救援の文化」を作ることだ。阪神・淡路大震災の時、「心のケア」という恋んだ動きが起きた。心が傷ついたなら絆創膏を貼ればいいというイメージはとんでもない。災害時の精神医学で重要なのは二つ。一つは、被災した人たちの信頼度を高めるように救援全体のグランドデザインを描くこと。二つ目は、本当に病的な状態にある人に対してのみ治療をすることだ。それを全部一緒くたにして、「災害で人の心が壊れている。ケアしなければならない」という優しい言葉が振りまかれている。「心のケア」という言葉がいかに浮ついたものか。PTSD(心的外傷後ストレス障害)というのはあくまでも、死の恐怖にさらされて無力感を抱いた人の外傷体験だ。長引く避難所生活、仮設住宅にいつ入居できるのか、どれくらい我慢すればいいのかという悩みは決してPTSDではない。心のケアの対象ではない。行政や社会が作り出す被災者への負荷を、「心のケア」がストレスに起因するものだとぼかしてしまったのを忘れてはならない。

「大災害時代」に入っている。また次が来るに違いない。救援の思想をきちんと理解できるかどうか、正念場だ。

構成・ジャーナリスト 黒崎亜弓


野田正彰20110210天皇制と日の丸・君が代

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野田正彰20100910信濃毎日「戦後補償は動きだしたのか」

今日の視角

民主党への政権交代により、永く懸案だったシベリア抑留者への特別措置法が成立した。だが、この法律では日本国籍を持たない韓国人などは除外されている。シベリアに抑留された被害者にとって、過酷な歳月を共に耐え抜いた仲間を、戦後日本人でなくなったからといって切り捨てる法案への同意は、どんなに悲しく辛い思いであっただろうか。不当な抑留に加えて、戦後長期にわたって無視拒絶し、今またこんな酷い思いを被害者にさせているのは私たちの政府である。

戦後補償という「善意」が、いつも新たな苦痛を被害者に与えるのは何故か。アジア女性基金、鹿島花岡事件の和解、西松信濃川の中国人強制連行の和解。いずれも被害者に絶望の感情を呼び起こさせてきた。「花岡和解から10年」と題した本欄(1月15日)のコラムにふれて、原告の孫力さんは中国南昌から声明を出し、「この苦しめ続けられてきた(和解後)10年間」と言い、「代理人らは、和解達成のためにわれわれの善良と信頼を利用し、落とし穴ヘと一歩一歩導いた」と抗議している。

何故こんなことが起こり続けるのか。それは被害者を支援する人、代理人弁護士らが、被害者の後ろに立って被害者を支援するのではなく、被害者の前に立って被害者以上に被害者のためになることをしていると信じ込んでいるからであろう。生涯にわたる被害を受けた人、傷ついた人に「それでも生き抜いてよかった」と目尊の力を与える(エンバワメント)のが、支援である。戦後補償とは、生存している方に謝罪が遅れた赦しをこい、苦難を生き抜いたことへの尊敬を伝えることではないのか。

先の戦争のけじめをつけるために、日本国のために、戦後補償をするのではないはずだ。

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野田正彰20100402信濃毎日夕刊「信濃川強制連行和解拒否」

戦争末、信濃川の土砂掘削・運搬のため、華北から連行されてきた中国人183人が使役され、わずか1年で12人が死亡した。強制連行したは日本政府であり、使役したのは西松建設である。西松信濃川についも被害者がら裁判が起こされたが、小択一郎氏への違法献金問題の後、西松建設は対応を急変させ、訴えていた元原告5人(被害老人1人、他の4原告は死亡し相続人)に対し、和解を申し込んだ。和解を求める以上、奴隷労働させたことを深く反省し謝罪するものと思っていたが、経過はまったく違うようである。

3月22日、元原告5人は「和解条項」を拒否する声明を出した。西松建設は被害者が賠償を求める請求権を「すでに放棄」した文章を入れることに拘泥し、その上で救済という意味の「償い金」を支払おうとしている、と反発。「日本側が誠意ある態度を示し、当時の不法行為につい謝罪し、賠償するよう求める」と述べ、もし償い金が出されても、我々は受け取りを拒否すると結んでいる。つまり謝罪をこめた賠償金ではなく、かわいそうだからあげる「償い金」は拒否する、と言っている。

「女性のためのアジア平和国民基金」も、募金による「償い金」を支給しようとして、ほとんどの被害女性に拒否された。鹿島花岡裁判でも、原告団長による「屈辱的な和解」の拒否に至っている。

なぜこんなことが起こり続けるか。被害者は第一に謝罪と反省を求めている。他方、日本側は責任と謝罪を曖昧にし、名称不明のカネで過去を精算しようとしている。名目にこだわらず、実(カネ)をとればいいではないかと一瞬でも思う人は、被害者の人生と心情を理解していない。被害者たちがこの声明を出すまでに、どれほど苦しんだか、私たちは想像できるだろうか。

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野田正彰20100115信濃毎日夕刊「「花岡和解」から10年」

日本と中国のマスコミで「花岡和解」と呼ばれて知られている事件がある。この花岡和解から、今年は10年になる。「花岡事件」という名称だけでなく、「花岡和解」と別に呼ばれ問題にされてきたのは何故だろう。

花岡事件とは、1944年から45年にかけて、中国華北地方より秋田県花岡の鹿島組事務所ヘ中国人986人が強制連行され、虐待と暴行により僅か1年で418人が殺された事件である。1995年中国人生存者と遺族11人が謝罪と損害賠償を求めて「鹿島」を訴えた。東京高裁での花岡和解では、鹿島の法的責任を問わず、賠償ではなく受難者の慰霊と支援のため5億円が信託されることになった。だがごの和解条項に原告団が第一に求めた謝罪の言葉はなく、原告団長らは日本の弁護士たちに「だまされた」と声明して今に至っている。日本と中国の関係者がまったく正反対に評価したままである。

10年が過ぎたが、幸い受難の人生を生き抜いた原告団長の耿諄さん(96歳)も、幹事を務めていた孫力さん(73歳)も健在である。私は昨年夏、中国南昌で孫力さんに会った。彼女の父は大学を出て中学校の校長を務めていた知識人だった。女子が差別される時代でも、勉強するように励ましてくれた優しい父は、彼女が8歳のとき日本軍に拉致され、花岡で殺された。

孫力さんは、訴訟を準備していた1993年の時点ですでに弁護士より、裁判で受け取るカネは弁護士、支援者、被害者で3等分すると聞いていた。日本の裁判とはそんなものかと思わされていた。鹿島よりの5億円のうち、被害者に約1億2500万が送られたとされるが、今も経理は公開されていない。

孫力さんや耿諄さんらが生存のうちに、「花岡和解」の過ちが謝罪されないものかと思う。

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東京新聞20091003『虜囚の記憶』で戦後責任問う

過ち直視し“叫び”を知る 野田正彰さん(精神科医)

ページをめくり、読み進むのが恐ろしい。精神科医の野田正彰さん(65)の近著『虜囚の記憶』(みすず書房)は、胸が苦しくなるほど重い。第二次世界大戦中、日本がアジアの人びとを虐げた事実を告発し、今なお被害に苦しむ人の叫びを二十一世紀の日本に伝える渾身(こんしん)の一冊だ。それを世に問う思いを聞きに、京都市内の自宅を訪ねた。

「少しでも多くの人に読んでほしいけれど、読まれませんね。日本は結局、過去をそのまま引きずっている社会なんですね。《戦争で何をしたか、それをどう受け継いでいるか》を考えることは、私たちの社会が変わっていくための重要な財産だと思いますが」

野田さんが語る。悲憤慷慨(こうがい)せず、淡々とした話し方に、かえってこの著作に寄せる思いがにじむ。

二〇〇六年秋から二年をかけて、中国や台湾の各地を訪ねた。かつて日本に拉致され労働を強いられた人や、日本軍から性的暴力を受けた人から、その人生全体を聞き取るためだった。老いた生存者が打ち明けたのは、暗澹(あんたん)とさせられる体験談である。

本書によれば、日本軍は中国の農民を奴隷のように狩り集めた。また「従軍慰安婦」ではない女性を拉致し、性欲のはけ口にした。日本に送られた農民は劣悪な環境で働かせられ、虐殺さえされた。記者も日本の戦争犯罪について少しは学んできたつもりだったが、こうした証言には、祖父や父の世代が本当にしたのか-と驚いた。被害者たちが心と体に深い傷を負い、何の謝罪も補償も受けられないまま、それでも生きてきた歩みには胸がうずく。

「日本の社会全体が、過去を見つめるというのがどういうことか分かっていないですね。個人のことに置き換えれば、自分がなぜ失敗をしたのかを考えることは大事だとみんなが言います。でもそれが社会のことになると、なぜ“否認”の方が価値があるのか」

否認。そう、この国では過去の過ちを直視することは避けられてきた。戦争体験世代は「われわれも戦争の被害者」と言い、子や孫の世代は「なぜ私たちに、父や祖父の行為の責任があるのか」と言う。それを野田さんはたしなめる。《侵略戦争についての無反省だけでなく、戦後の六十数年間の無反省、無責任、無教育、歴史の作話に対しても、私たちは振り返らねばならない。戦後世代は、先の日本人が苦しめた人びとの今日に続く不幸を知ろうとしなかったことにおいて、戦後責任がある》と。

戦後責任とは重い言葉だ。もちろん、日本国内でも戦争犯罪と向き合う人たちがいたし、二〇〇〇年に和解をみた「鹿島花岡裁判」をはじめ強制連行の被害者への補償をめぐる訴訟なども起こされてきた。

だが本書には驚くべき記述がある。日本国内で「画期的」などと大きく報じられた鹿島花岡裁判の結果に対して、原告団長の耿諄(こうじゅん)さんが「すべて裁判は失敗した。私たちは裏切られた」とまで嘆いている点だ。

「“和解”の直後から、原告側から抗議文が出されているわけですよ。彼らは、人間の尊厳をかけて、これほどひどいことをしたのを謝ってほしいというのが軸にある。それが一貫してお金の問題にされたと言っています。日本国内向きの勝手な救済をしただけなのに、それを日本のマスコミはまったく検証しない」

報道する者の一員として叱責(しっせき)された気持ちになりつつ、一方で感謝したくなった。この本を読むまでは、被害者の思いに対してまるで無知であったからだ。《出来ることから始めよう。今苦しんでいる老人がいる。その人を理解し、思いを込めて手を握ることから、遅ればせの戦後補償が始まる。そして私たちは、歩きつづけていくのだ》というあとがきが、心にすっとしみこむ。

一九四四年、高知県生まれ。北大医学部を経て精神病理学者となったが、診察室から足を踏み出して、社会のあり方と人間の精神とのつながりを考え続けてきた。「戦争で何をしたか、それをどう受け継いでいるか」は、この人にとって過去をいたずらにほじくり返すことではなく、極めて同時代的な問い。

「社会というのは広い意味で文化を継承していますから、文化を変えていくにはよほどの努力をしないといけない。自分の生きている社会が行ってきたこと、しかもそれを反省せずにいるのに連綿とつながって、自分もまたその中で教育を受けて生きている。それに気付かないかぎり、平和の問題を自覚するのは難しいというのが、私の経験に基づく一定の結論です」(三品信)


野田正彰20061111日刊ベリタ学校・子どもの危機と教育基本法の改悪 野田正彰氏(関西学院大学教授・精神科医)が緊急反対行動を訴える

安倍政権が最優先課題とする教育基本法改正案の国会審議が大詰めを迎えている。日本国憲法とともに戦後日本の屋台骨を担ってきた同法の「改悪」に対して、多くの国民が反対の声をあげ、国会でも野党は慎重審議を求めているが、与党は今週中にも採決の構えを見せている。改正案の何が問題なのか。11月11日に兵庫県で開かれた緊急集会で、野田正彰氏(関西学院大学教授・精神科医)は急速に進む教育破壊のなかでもがき苦しむ教師らの声を紹介しながら、改悪阻止の運動を進めていこうと訴えた。講演内容とともに、教育基本法「改正」情報センターのサイトにも目を通していただきたい。(ベリタ通信)

急増する早期退職者

全国で学校の先生方の早期退職者が急増しています。先生方の挨拶ことばで、私あと何年つづくかしら、私はいいときにやめました、そんなことばがセットになって交わされる状況があります。先生方の休職が全国的な文科省の統計を見ても増加しています。何らかの締め付けがひどくなると、翌年ぐらいからかなり増加率が激しくなります。たとえば、03年の東京都の10.23通達の翌年には10パーセント以上増えています。多くは精神疾患による休職であります。知事部局と比較すると明確で、知事部局は微増ですが、教育委員会部局は急激な増加をしています。そして、先生方の休職のうち精神疾患が60パーセントを占めています。

ひどい県になると80パーセントという滅茶苦茶なデータがあるのに、実態はこれ以上にひどいのに、こういったことは社会では問題になっていないんですね。かわりにことばの詐欺というか、言い換えが行われながら進行している。たとえば、教育再生会議、「再生」って何のことだと思いますか。破壊した人たちが再生を言う。そういうことを許している社会であります。教育破壊会議と言う名前をつけるのならわかりますが、再生なんていうことを言っています。

事実の偽造がまかり通る社会

一番最近の問題では、たとえば単位未履修問題、「未履修」と言います。これは権力がつくったというよりもマスコミがそうよんだんですね。どこが未履修なんでしょうか。あれは明らかに詐欺問題ですよ。明確に単位を誤魔化して成績までインチキをして単位を取った振りをしていたんです。これは未履修ではありません。普通の用語では単位詐欺問題と書かなければならないのに、そういう形が誘導されながら進行しています。こういうネーミング、事実のつくり変えがセットになりながら行われていると思います。

今日のテーマの教育基本法の問題なんかは、まさしく法律改悪に向けて、国民運動としてウソが言われているということではないかと思います。教育基本法の改悪に向けてずっと自民党が言いつづけてきたことは、枕詞のように、何か言うたびに青少年の犯罪の増加です。教育基本法に「道徳心」や「公共の精神」が盛り込まれなかったからであるという話になっていって、大合唱が行われています。あっちこっちでやる教育関係の講演会とかそういうところにお寺の、なんとか宗の高僧が行って、道徳が乱れて青少年の犯罪が増加しているなどと、平気で言っています。そして、教育基本法を変えなければいけない、という政治的扇動が行われています。

いうまでもないわけですけど、青少年の犯罪統計というのは刑事政策によって総数は動きます。自転車泥棒を逮捕するという動きを示すと、犯罪者は増えます。事件の調査統計と検挙数がそれほど動かないと思われる兇悪犯罪、殺人なんかを見ますと、明らかに数字は、終戦直後はデータがはっきりしませんが50年代まで非常に高い数字を示しています。殺人での青少年の検挙数が400人を超えています。ずっと下がって90年代に70人ぐらいに下がり、95年ぐらいから増加に転じ、100~120人でカーブを描いています。それが実態なんです。それを増えてる、増えてると言っているわけです。数字を見ますと、明らかに教育勅語で育った世代がいた頃、殺人がいっぱい行われているんですね。戦争に行くことがなくなったから殺人が増えた、そんな解説は私はしませんが。

きびしい社会状況の中で、教育基本法の中での教育で明らかに青少年の犯罪は減少していったわけです。それすら平気でウソを言っています。だいたい愛国心、道徳心を基本にせよと主張している人に最も非道徳的な人が多いですよね。たとえば森喜朗元首相は学生時代の買春や某新聞社への不正入社が問題にされ、小泉前首相は働いていない会社から給料をもらっていたことが問題になった。経歴詐称で辞めた議員もいましたけど、「出すぎた杭は打たれない」ということで彼らはがんばり通した。そういった人が道徳、道徳、と言っているんです。

青少年の犯罪は増加しているとか事実もウソだし、だから教育基本法を改正という論理はまったく飛躍したウソであります。こういった事実の偽造というのは、戦争責任とか、戦争犯罪とか60年70年前の問題だけではなくとも、日々行われつづけているというのが私たちの社会ではないでしょうか。

世羅高校校長自殺の真相

この愛国主義だとか教育の強制の一つの区切りをつくった国旗・国家法のそしてそれを誘導した、広島の世羅高校校長の自殺の問題もまさにその典型であります。私もいろんなところで聞きますが、多くの市民の頭に焼き付いているのは間違った認識です。教職員組合と解放同盟の圧力によって、その板ばさみになって、あの校長は死んだというつくり話が浸透しているわけです。国会でそういうことを言った議員もいましたし、それを宣伝した全マスコミに責任があります。

しかし、事実は全く違います。私の『させられる教育』(岩波書店)に詳細に書いてあります。亡くなった校長は「君が代」をやる意志は全くありませんでした。だから、文科省からきた辰野裕一教育長に対して手紙を書いています。「私は解放教育、人権教育をやってきた人間として、身分制を称える歌を歌えということは、自分の中で、教育者として矛盾を感じます。この矛盾をどういうふうに解決したらいいのかお教えください」というものです。そして、彼は辰野教育長に散々脅される中で、当時の広島県はホウ・レン・ソウ(統一教会がやっている報告・連絡・相談)とかなんとかで、それを強制して毎日、卒業式の君が代実施に向けてどう取り組んでいるか、教育委員会に報告せよと言われていました。その中で、彼は学校の先生方に、授業を終わって5時過ぎたらお帰りください、と職員会議をしている振りをしますからといって、職員会議室の電気をつけて9時10時まで一人で残って、電話がつながらないようにさせてですね、夜更けに一人帰っていたのです。

その人の帰ったところに教育委員会が電話をかけてきて、今日はどうだったかと聞く、それが辛くてうずくまって電話に出なかったそうです。そして、夜中になってから電話をかけているんですよ、今日も何もありませんでした、って。亡くなる前の日は土曜日です。土曜日の夜でも電話がかかってくる。彼は、夜中の1時半になって電話を取って、今日も会議で卒業式のことをしております、と言って電話を切っているんです。その彼のところに日曜日の朝、教育委員会の人事の課長か誰かが押しかけて行ってですね、その1時間半後かに納屋で首を吊っているんです。これは明らかに殺人です。

私は今回の本(『子どもが見ている背中』の序文の書き出しでもこう書きました。「『君が代』斉唱を拒んだ石川敏浩校長を、文部省から送り込まれてきた辰野裕一・広島県教育長らが自殺に追いやった」。ただ、この1行を入れるために私は岩波の編集者と1ヶ月間ケンカしなければならなかった。「これは言いすぎだ」といって、ここまで言わなくても分かっているんだから、こういうきつい表現はやめてくれませんかと言われました。やっと押し切りましたけども。新聞社に至っては、この1行は絶対に入れさせません。延々と削れないかと言ってきます。これくらいですね、マスコミが事実をゆがめたことを隠そうとしています。

歴史は何十年前もたとえば満州事変がでっち上げられたこと、そういうことではなくっても、この社会は事実をつくり変えて、それを利用するそういう社会が連綿とつづいてきているわけです。この石川先生の死は、もちろん辛いという意味もあるが、君が代に対する抗議であった。それを逆に国旗・国歌が法律で決まっていなかったから、死んだという話にすり替えるんです。これほど権力がやっていることは汚いことであるわけです。

単位詐欺問題

今回の単位詐欺問題でも、一貫して同じパターンでやっているといえます。構図は同じです。全部校長がやったという形で言っています。とんでもないわけで、私は10日前に広島の問題を聞いて書きました。広島は、2001年8月に外部からの通報で単位詐欺問題が出されているんです。このときの教育長は、常磐というやはり文科省から来た人物です。それまでは文部省からきた元特殊教育課長だった辰野氏です。彼により文部省直轄の是正指導が入っているから、いかなる脱法行為も許さない、学校の先生方を追い込んでいきました。しかし、その彼の下で、単位詐欺は進行していたのです。そして、01年8月バラされて県立14校がそうであることが発覚しております。

そういった辰野氏も常磐氏も本省に帰っているんです。帰った人間がやっていて、今回の問題が起こったときに文科省からきている関教育長の下で広島の教育委員会は、5年前にあったから広島県は今回ありません、と言いました。それが2週間たってから暴露されたんですね。暴露されたのは府中高校です。その校長たるやこの春まで長いこと辰野の下で、県教委の指導第2課の校務指導官であり、ナンバー2のポストにいた男が校長に行っているんです。

これは全部グルじゃないでしょうか。文科省と教育委員会とそして,そのエージェントであって教師いじめに功績のあった人が校長に行ってやっている問題であります。その盗人が問題の処理をする、というそれが教育再生であるといわれている、こんな狂った社会の問題の捉え方はないと思いますが、それがまかり通っています。そして、いろいろな論評を見ていながら思うのは、一番私たちの社会が忘れていることは、子どもたちの問題だということです。

高校生に責任はないか

生徒たちの問題ですね、高校生にはなんの罪もない、可哀そうだと。試験が迫っているからそういう話ばかりになっています。受験生に迷惑をかけてはいけない。本当でしょうか。高校生は罪がないんでしょうか。私はそうは思いません。高校生には明らかに責任があるし、罪があると思います。彼ら全員とは言わないけれど、一部の高校生は知っていたはずです。他の学校に行っている中学時代の友だちとか予備校などで聞いて、どうもおかしい、いろいろ知っていたはずであります。親も知っていたはずです。それが、受験のための科目に絞るということを、それをうまくやっていると思っているわけです。

こういった校長は、マスコミには書いてありませんが、多くの地方の進学校の校長には、県教委からお褒めのいい人間が行っているわけです。けっして学校の先生方が民主的に選んだ人間が校長ではありませんから。そういうことも社会的に問題にされていない。その上に、子どもは責任がない、そんなはずがありませんね。高校生には明らかに責任があります。しかし、その責任は100パーセントではないでしょう。2~3割でしょう。あとの7~8割はこの子どもたちに指導要領がどういうふうになっていて、カリキュラムがどうであるかを伝えなかった学校の先生方と校長の責任があります。

なぜそういうことを言うかといいますと、55年前に「児童は、人として尊ばれる。児童は、社会の一員として重んじられる」、「すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる」と「児童憲章」を制定し、そして、今90年代には子どもの権利条約を批准している国です。この条約を見れば、はっきりと子どもが情報を知る権利、そして、思想・信条の自由の権利、そして、意見表明をする権利を明記しています。国連・子どもの権利委員会は、日本では、こういった子どもの意見表明権が軽視されているからそれを改めろということを批准後勧告されている社会です。

そういう中で高校生たちが一体なぜこの問題を知ることができなかったのか、知らすことをしなかったのか、そういう責任が学校教育の中にあります。しかし、そんな話は全然出てきません。そして高校生たちはイノセントであると、無罪であると、という話になっております。一体、20歳になったら突然、真っ黒けの大人になるはずがないでしょう。それまではピュアなニューボーンベイビーみたいな子どもがいてですね、突然安倍晋三氏のような人間になるとかですね、そういうことはありえないです。それこそ、子どもの権利条約の中に書いてある基本思想はですね、人間は生まれたときから基本的人権を持っており、そしてそれを発達と共に、そういった権利が広がっていく、その年齢ごとに基本的人権は保障されないといけないということを明記しています。

しかし、私たちの社会は、そんなことはこれっぽちも大事なことと思っていないんです。付け焼刃の人権の意識であるがゆえに、この問題が起こったときに、子どもにはなぜこの情報が伝わっていなくて、子どもたちの意思決定がないがしろにされてきていたという問題点を話し合っていません。ここに、私たちが政府によって、社会によって捉えられている現代の非常に恣意的な歪んだ矛盾した子ども像がよく表れているんじゃないかと思います。

現代の子ども像というのをひとことで言うと、イノセントな無垢な子どもとモンスターのような子どもとかが並存ですね。電車に乗っていて突然かなづちを振り上げたりするというんですね。そういうことをキャンペーンして、何をするかわからない鬼のような子ども、道徳心がない何をするかわからないという子ども像とそれからイノセントな子どもがいて、だから学校ではクラブ活動に打ち込みなさいと。非行に走ったらいけないから、クラブ活動をやりなさい式の、これもイノセントな子ども像です。何かに打ち込んでいる少年、少女の姿は尊いといって、市民として子どもを育てる、子どもが成長をしていくんだということを認めるということではないんですね。

学校、中等教育の中で靖国の問題にしても、北朝鮮の問題にしても、核の問題にしても一つ一つ自分なりに情報に接近して、意見をつくっていく、そういう教育が完全に阻害されています。その阻害というのは、無垢な子どもとモンスターの子どもに揺れ動いて、この矛盾を使い分けする現代の社会の視線の中で、子ども像はつくられていっていると思います。

沈黙する教育学者

さて、教育基本法問題に入っていきます。状況は、強行採決するのかどうか予断を許しませんが、それに対して、国会前でハンストその他座り込みも行っております。教職員組合では、日教組などが動員しながらよくがんばっています。そういった動きと外からの世論の動きに加えて、一つは9月21日の予防(君が代強制反対)訴訟の勝訴というのもありますし、あるいは安倍政権がべったりになっているアメリカの上院、下院選挙の動きとかそういうのがあります。キチッと闘いをつづければ、五分五分に闘いをできるのではないかと思います。そういう中で教育基本法の問題を話したいと思います。

この教育基本法改悪の動きに対して、社会の動きの中で事態の何が、数年前と全然違うのかなと、20年前30年前と全然違うのかなと思うんですね。一つは、一体、教育学部とか教育学者は何をしているんだろうかと思います。みなさんもそう思われないでしょうか。みなさんが学んだ母校の先生たちは、一体何をしているんでしょうか。大きな大学の戦前からあった総合大学の教育学部というのは全部戦後つくられたんですね。ご存知のように旧制の国家のための高等師範学校ではなくて、教育のあり方について研究し、批判するための学部として教育学部というのはつくられたんです。それから同時にかつての師範学校も学芸大学として、その後70年代に教育学部と名前を変えていきますが、教育研究その他の内容を変えたはずです。

つまり戦後、教育学というのは出発したんです。国家のための、子どもたちを叩いて殴って型に入れるような教育ではなく、市民をつくるための教育はどうあるべきか、そして国家が教育に介入することに対して、批判的な研究を行うためにつくられた学部であり、研究が教育学であります。しかし今、この自分たちの拠って立つ学問の基盤そのものを覆そうとする法律がつくられようとしているときに、何一つ反対の声明が行われていません。教育系の学部、大学で反対を言ったところを私は一つも知りません。新聞でも報道されていませんからゼロだろうと思います。

そして、周りを見ますと、たとえば私の住んでいる京都の京大の教育学部とか同志社の教育学科とかを見ますと、およそ現代の教育のあり方について研究している学者はほとんどゼロですね。なんか「現代の映像」だとかですね、わけのわからん遊びの研究ばかりが名前に並んでいます。遊びが全部悪いとは言いませんけど、本業をやってから少し遊んでくれと言いたくなるよう状況にあるわけです。

そういう状況でたとえば、私の知っている限りでは大内和裕さん(松山大学)のような人だけですよね。そして、年配の堀尾輝久さんとか、大田尭さんのような皆さんと同じ上がり組みの人が闘っているだけでですね。中間層は何一つものを言わない。だから、ちょっと堀尾さんにいやみを言いますけど、あなたはいったい何を、誰に教えてきたんでしょうね。と言いたくなるんですけど、まあこれは酷ですけど。

教育学者、教育学部が自分の存在を覆されるにもかかわらず、黙っています。この教育基本法が「改正」されたあと、教育関係のすべての法律が来年から横並びに変えられていくんですね。まず学校教育法が変えられるでしょう。次に地方教育行政法が変えられます。社会教育法も変えられます。学習指導要領も当然変えてきます。それは、今よりももっと強く国家主義の方向で変わってきます、それは教育基本法が変わったからという理由にして。それから図書館法にしても博物館法にしても変えてきます。当然、今主張しているけども教育職員の免許制度も変えてきます。全部変えるんです。そういうのが軒並みこれからつづこうとしているのに、日本の教育学者とか社会は、なんとなく呑気に構えている、我関せず、です。これほどボケた社会であります。

心理学の歪み

それからもう一つは、現在の教育学とか教育関係者ですね、ものすごく心理主義、心理学者が増えています。心理学のインチキ研究がたくさん増えています。心理学のゆがみには二つあると思います。一つは、とにかく子どもと人格の全面的な付き合いをしていない人たちが、それが何かこころというのを一つの部分として取り出して、テクニカルに操作ができるような、そういう発想を広めていってるし、本人もそう思い込んでいるようですね、そのゆがみ。

もう一つは、心理学のグループがもっている統計的処理への無自覚的なのめりこみです。さまざまな問題を全部統計的な処理をなしながら数値計算ができると思っています。アンケートをとってそれを5点評価するとか点数をつけたりして、その平均値をとって統計的処理をして、偏差値をとったら結論を出せる、おおよそ教育がもっていたものと思想が違います。

教育がもっていた基本的思想というのは、一回かぎりの人と人との出会いですね、人と人との人格のつきあいを大事にするというのが教育の基本なのです。それに少しは統計的処理とか、人間の内面の心理的分析とか入れてもいいでしょう。しかし、常にそういったマスで人間との関係性を処理していく動きに対して、批判をもつのが教育学のはずです。しかし今、教育学の中ですごく幅を利かせているのは心理関係です。さかんに人間を数字的に処理しようとする動きに無自覚であります。これがコンピュータリゼイションの動きと合わさって、学校現場で先生方の多忙化を進行させているわけです。私は、いかにいい加減かを感じたことも、山のようにあります。

今年の春、毎日新聞の人と一緒に、佐世保の少女が同級生の首を切った小学校の「その後1年」ということで行きました。学校もひどかったけど、その話をしている余裕はありませんが、ひどかったのは長崎県教育委員会が1年間かけやった対応というのに絶句しました。長崎県の教育委員会は、1年半前かな突き落とし事件があってそのあと、例によってこころの教育だとか、カウンセラーの派遣とか、命の大切さっていうバカ3点セットを述べていました。そのあとまたこの事件が起こってるわけです。そしてそこに東京学芸大学の助教授が、長崎県教育委員会に行って、子どものこころのチェック表とかをつくっています。

20項目にわたってチェックの項目が並んでいます。たとえば、この子が自分の感情、怒り、悲しみ、その他の感情を年齢に応じて・・・、ことばにして表現する力をもっているか、とか、この子は、怒り、悲しみ、その他の感情を表現する力が年齢よりも劣って幼稚であるか、あるいはこの子は、悲しいとか辛いという思いを、先生に伝えることができると思っているか、とかずっと20項目並んでいます。

見ただけで私は、ゲーッとします。こういう形で平均化して人間の関係性をチェックさせる、そういう思想の下劣さにゾッとしますが、そういうのが並んでいるんです。そして、1年後にあった結論は大真面目にこう書いてありました。「このテストによって学校は楽しくなくても、それに負けないで生きる子どもが少し増えている」と書いてあるんですよ。いい加減にしてくれと思いますけど、それをキチッとゴシックで書いてありました。平気で書いてあるんですね。それに加えて、しかしながら先生の負担は少し増えているという声もある、と書いてありますよ。これが無責任社会の実態であります。数値化がずっと進行していってるわけです。

教育基本法二つの柱──平和主義と個人の確立

これら一連の動きと教育基本法は、全然違うものだったということを、私は教育基本法を読みながら、もう一度キチンと確認しておく必要があると思います。皆さんに回っている政府案との対比表を見てください。私は対比表は好きではありません。教育基本法は非常に短くすっきりしていて頭に入りやすい。対比表にすると間が抜けてしまうから別表にしたほうがいいと思います。釈迦に説法で私は分野が違いますから、そんなことをいう資格はありませんが、教育基本法には二つの柱があると素人ながら思います。

一つは、前文に書かれた平和憲法の理想の実現は、まず教育によって行うと、これは交戦国家、戦争国家であった日本の近代に対する強い反省のもとに書かれた文章ですよね。しかも、そういった戦争をしない平和のために貢献する人間は、単に政府や外交の問題というだけではなくて、そういった人を長い時間をかけて教育の中でつくっていく、そういう市民によってつくられた社会が、国際平和に貢献していくという思いでつくられている。

それから二つ目の柱は、個人の確立であります。私は、日教組の運動とか戦後の運動が「教え子を再び戦場に送るな」という一番目の柱については運動してきたが、個人の確立と書かれている面については、二番目の柱はちょっと弱かったと思います。

教育刷新委員会の議論―個人の確立があっての公共

しかし、教育基本法前文では、「個人の尊厳を重んじ」「個性豊かな文化」と述べてですね、個、個別性ということを非常にキチッと強調しています。そして第2条教育の方針では「自発的精神を養い」と繰り返し強調しています。これほどまでに執拗に人間の個別性、個人を尊ぶ、そしてそういった個人が確立することによって、多様性を認める社会、多様な人間と人間が願ってつくっていく社会をイメージしているわけです。

この二つを柱にした教育基本法の成立に関して、盛んにデマを流して、憲法がつくられたときに、GHQによってつくられた、そういっている人がいますが、教育基本法がつくられた過程が記録されています。教育刷新委員会(審議会)のちに中央教育審議会と変わりますが、この刷新委員会の全会議録が公表されています。しばらく手に入りませんでしたが、岩波書店から全13巻で最近再刊されました。その文章を見ていくと、当時いかに深い討論の中でこの文章を確立していったかがわかります。たとえば、当時の東京文理科大学長兼東京高等師範学校の校長であった務台理作さんが言っていることをちょっとだけ紹介します。

人格の完成ということですが、そういう倫理的な言葉を使わないで、矢張り個人ということが大事だと思います。個人の尊厳とか、価値、そういうようなものを自覚さすようなこと、これは個人を犠牲にしないということをよく現わすことと思います。個人を一番犠牲にするのは、誤った精神主義じゃないかと思います。つまり学行一致とか、修練だとか言って学校にやたらに喰いこんで行った、ああいう教育が非常な禍をしたと思います。個人を犠牲にせず、個人の自由というものを飽く迄尊重するという精神、そういう精神に教育の理念が基づく。之をどういう言葉で言ったらいいか、私にも見当がつかないのですが、兎に角それを見ることに依って、教育に関する者に実際に反省を促すような実感を持った言葉が要るのじゃないかと、こういうように考えております。(第3回議事速記録)

こういうふうに言っています。あるいは別に第5回ではこんなことも繰り返し言われています。これも務台さんのことばをつづけますと

私はこういうことを思いますが。公に仕えるということは非常に大事なんです。併し殊に国際関係に立ったり、この非常な経済の難関を背負ったりして行くような為には、ただ精神的な公に仕うということだけじゃいけない。もっと具体的に、近代的な意味で公に仕えるということでなければならぬと思うのですが、本当に公に仕える人間を作るには、やっぱり個人というものを一度確立出来るような段階を経なければならない。それが今迄日本に欠けていたのではないか。西洋なんかは、やはりルネッサンスで、前回もいわれたように個人というものを発見して確立した。それでああいう革命なども起っておる。そういうものを経て近代国家が出来、所謂近代的公というものが成立したのですが、日本にはそういう西洋のような段階を歴史的に持っていない。遅れ馳せだけれどもやっぱり西洋のように、個人意識と言うものを確立するという順序を経て、公に行かないと、又すぐ反動化する。公に仕えるということで、非常に個人が縛られてしまうというようなことが起りはしないか。(第5回議事速記録)と。

教育基本法を葬るための「改正」案

こういう議論を積み重ねる中で確立したことばです。つまり、現在の自民・公明、民主の案はですね、60年前の教育基本法の刷新会議、これぐらい全部記録されているのに、彼らがやったことは、誰が言ったのか、全然分かりません。60年経っていかに社会が歪んだか、遅れたかということです。情報公開と全く違うことが行われております。

そして今、政府案に書かれています公共心とか全部この議論の中で否定されたことが登場してるんです。ということは、教育基本法改定案ではなくて教育基本法を葬るための案であるということです。反革命の案が現在登場しているということを、私たちはちゃんと見ないといけないわけです。

当時の議論の中でなかった状況が起こっていて、それを付け加えるんだったらまだしも、すべて議論、討論され、そういうものはいけない、そういうものは戦前の戦争国家で国民を国家のパーツとして部品としてつくる教育につながったんだ、と議論されたことが、その条項が今回の「改正」案に登場しているわけです。それくらい反革命的な教育基本法案です。

「国民全体に対し責任を負う」いうことの意味

私は2点あげましたけれども、後何点もあげていくことができます。たとえば、3点目にあげろといわれれば、社会において国家が介入するべきではない領域をいくつかちゃんともっていなければならない、こういう思想の中で教育もまた、国家が介入すべきでなくって、個々の教育する人間によって行われるものであるという国家の介入を拒否する条項であります。たとえば、今回の予防訴訟判決の教育基本法10条違反だといわれている教育というのは、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」という表現になっています。

「国民全体に対して」は、いろいろな議論があります。当時の表現で精一杯の表現だったと思われます。素直に読んだら、一体何のことかと言いたくなることでもあります。「国民全体に対して責任を負う」そんなことが簡単にできるんですかと、「国民全体」ってどこにいるんでしょうか。一人ひとりの先生が国民全体に向き合うなんてことが、一体どうやってできるんですか、とまぜかえっしたくなります。しかし、ここに書いてあることは一人ひとりの教育にあたる人間が、自分の責任において創意工夫をしながら、どのような市民に育ってもらうかと希望をもってぶつかっていく、それを認めよ、ということですね。

それぞれの先生が長いこと勤めている間には、何となく意欲がなくなって疲れるときもあるでしょう。あるいは右寄りの先生も、左寄りの先生もいるでしょう。そういったことが問題ではなくて、その先生が人格を懸けて子どもたちと全面的に付き合っていくこと、それを導いたことが、この条項に込められた意思です。そういうことが現在の教育基本法の論議にすべて忘れられています。

横行する「させる教育」論

そういう現在の教育論のすべてに忘れられていることそして、私が言っていることの違いは、お前も教育論を言っているじゃないかといわれるけど、私は数多の教育論とは違うと思っています。

文芸春秋とかいろんなメデイアが教育論特集をしていますが、それらは全部「させる教育」論です。私はしない教育論です。私は「させる教育論」を言っているつもりはありません。私は、教育はするものだと思います。自分が自分の子どもとか、回りの人にするものであります。それから学校の先生がするものであります。回りの人たちは自分のしない教育についてする人たちに支援することができるだけです。代わってさせるという教育論が、自分も子どもだったから、教育を受けたから、自分もできると思ってですね、そして、自分のアイデアのもとに、させる、ということがずっと言われているんです。しかし、教育はするもんであって、しない人たちは、している人たちに感謝しながら援助することはできても、させるということは言うべきではないのです。

文科省とか文科学大臣とか教育委員会とか、しない人がさせる、と言っています。こういったことと違ってここに書いてある10条は、個々の先生が自分の創意工夫の中で、主体的に子どもと関わって、そのことが尊いことだ、と国民が認めてそれを支えていく、という条項であります。それがすりかえられて、「させる・させられる教育」論というのがすべてに横行していると思います。

たとえば、夫婦が自分の妻、自分の夫なりが、完全な夫であるとか妻であるとか、議論する人はいないです。いたらおかしいですね。そうでなくて、こんなところが好きだとか、こんな悪い面があるとか、どうあろうとそこには一個の人格を言っているんです。しかし抽象化された夫があって、それがいいとか、悪いとか、それは崩壊しているとか、再生しないといけないとかですね、そんなバカなことを、こういう基本的なことが食い違ったまま展開されているのが、日本の教育論だろうと思います。個々の先生が教育をしているのですから、それに対して感謝しながらそれをどうやって支えていくことができるのか、それについて話をするのはわかります。だけど、させるということを延々と言い、そのさせ方がどうだとかが議論されている社会の歪みというのを強く感じます。

畏敬の念への強制

こういう教育基本法のもっている平和と個人の確立に対応しながら、その二つとも根本から掘り崩す動きがこの20年、80年代から着々と行われてきたと思います。今それがフラッシュバックというかスピードを上げて行われている。一つは平和憲法の理想の実現は教育によって行われるという主張に対してですね、その掘り崩しは、愛国心と国家主義のイデオロギーで行っています。

一連のやってきたことは河合隼雄氏たちが「こころのノート」を配布して使用を強制し、道徳教育を強要しています。それから僧侶たちとも一体になって宗教的情操の涵養の主張を行っています。そして、日本の伝統なるものへの崇拝を、これはたとえば、京都では河合隼雄氏らの延長で京都の歴史検定というテキストをつくってばらまいております。今私たちは、それの裁判を起こしたところです。それから日の丸のバラまきと君が代斉唱、そして非合理的、神秘的なものへの畏敬の念への強制が進行しています。学習指導要領の理科教育の中に自然、自然現象を学んで、そしてその次の行には自然に対する、さまざまな現象に対する畏敬の念を養うと書いてあります。

教育というのは、私たちはさまざまな今分かっていることは何か、分かっていないことは何かということを知って、そして分かっていない問題について自分なりの問いを出しながら一生かけてその問いを深めていく、それが生きていくことの喜びのはずであります。しかし、日本の教育は違うんですね。風がどうやって吹くのか、川はどんなふうに流れているか、その程度のことをちょっと覚えたら後は一気に神秘現象に飛びなさいと。そしてさまざまな自然を統合しているものに、なんらかの摂理があるんだということで畏敬の念を持ちなさいという話になってしまう。そしてそれが神道の天皇制の話に飛躍できるような体制を教えなさいというようなことが、平気で学習指導要領の中に書いてあります。

その程度の認識ですから、カルトの占いがはやり、そして血液型診断とかなんとかに浮かれ、平気になるんですね。そういう体制というのは、必ず学校教育と通底していると思います。こういったことが愛国心と国家主義イデオロギーのセットで進行している。平和憲法実現としての教育の掘り崩しが行われています。

強いられる点数競争

それから二番目の個人の確立、市民としての個人の確立ですね、教育基本法が主張したものの掘り崩しは、競争と格差拡大の中で、着実に行われています。競争が何故に悪いのかと言う人がいます。少しぐらい考えてみたらいいと思いますけど、競争には二つあります。他者と行う競争と、自己の限界に対するチャレンジとしての競争であります。本来の競争というのは、自分の限界を気づいて、その限界を超えて自分の可能性がひろがっていくことの喜びとしての競争は意味があります。しかし、他者との競争というのは、そこに政治権力の意図があって、競争の仕方のルールがつくられていて、そこで人と争うのが競争であります。

学校教育の中でスポーツ云々ですね、戦争の遊びから発達したスポーツが盛んに煽られて、地域で何番目の学校になったとか、言ってですね、全国総体に行ったとか、国体に行ったとか、オリンピックで1番だったとかそういった形での競争のイデオロギーが日常化されていると言える思います。ここでも、する運動ではなく見る運動に変わっていますね。そして、一定ルールがつくられた中、競争しあうことがいいと思っている。 
 しかし、あえて競争と言う言葉を使うならですね、本来の競争と言うのは、自分の限界に気づいてそして、その限界に絶望するんではなくて、それが日々変っていくことを視点が広がっていくことの喜びが競争の意味です。そういったものではなくて、非常に知識の限定された教科書の習熟競争とか、紙のテストの点数競争とかそういったものが競争だと思い込まれています。そして、それを全国一律の順位で点数化していくという日本的情報化にパソコンが使われていますね。このパソコンがまさしく教師を統制するための手段としてつかわれているというのが現状だと思います。

272項目に及ぶ成績評価表

京都市の教育長門川氏が教育破壊会議のメンバーになったそうですが、私の今度の本の中に、京都でやられている成績表のことを書いています。兵庫は京都市ほどではないでしょうから、こんなことは進行していないと思いますが。京都市の小学校、中学校での通知表は最近の電気製品のマニュアルのようです。15ページのA4版で表になっています。たとえば国語を開くと「春を伝える」という項目について、「国語への関心・意欲・態度」、「話すこと・聞くこと」、「書くこと」、「読むこと」、「言語事項」の5項目について、観点別評価が記され、それについてABCで点数がつくことになっています。国語だけで11項目の採点。社会、数学、理科、英語・・・と9教科について、それぞれ複雑な評点項目が続き、総項目67について、点数が記されています。

それは1学期についてだけであり、2学期69項目、3学期74項目と指導要項ごとに採点され、数えると210項目について評価がつけられていました。さらに学年末の総評価も各教科ごとに観点別評価と評定なるもの62項目について、評価が記されています。つまり、1学期の総評価項目数は272項目に及びます。一人の人間が272項目にわたって評価されているんですよね。これは子どもの側に立っていいましたけれど、評価する側の先生の側に立ったら272×40人ですよ。子どものことなんかは、どれくらいわかっているか知りませんけど、こんなことが出来るのでしょうか。

これで許されるならまだしも、京都市はさらに副表をつけろということになっています。これで、文句を言ってきた親がいたら学校の先生は説明責任があるから、この成績表をつけた根拠になるさらに詳しい副表をつけろということになっています。たとえば、小学校6年生の「整数」「分数のたし算ひき算」などマトリックスの表になっています。そして読みますと意味は何のことか全然わかりません。たとえば、「数量や図形についての知識・理解」ではこんなふうに書いてあります。「整数についての感覚を豊かにし倍数・約数と公倍数・公約数の意味やそれぞれの求め方を理解している」か、それから、「分数のたし算・ひき算」では「分数についての感覚を豊かにし・・・」、「立体」では「立体についての感覚を豊かにし・・・」です。いったいどうやって感覚を豊かににするのかなと思いますし、つけている人もどれくらい感覚が豊かなのかわからないですけれど、こういうことを平気でやっています。

この副表の項目を数えますと、これもマトリックスになっていますから数えて見ますと、小学校6年生の1学期の副表の評価項目は180項目あります。40人の生徒を担当しますと180×40、7200項目です。子どもの顔がやっと覚えられるかどうかなのに。7200項目の評価をつけてその上で絶対評価をつけて成績表を渡す、というようなことがなぜできるのか。これはパソコンに向かってやるからできるんですね。
 こういったことが行われているわけで、これこそ教育基本法に書かれた人間と人間のふれあい、そして、個別の人間性を大切にする個の確立、個人の確立ですね、あれくらい教育刷新委員会・審議会で議論したことを180度違った方向に、私たちの社会が進んできていることを物語っています。

予防訴訟の9.21勝訴判決の意義

こういう教育基本法改悪の中で、9月21日に東京地裁で旗・歌の予防訴訟(国歌斉唱義務不存在確認等請求事件)で勝訴しました。なんで東京のときだけ騒がれるのかなと私も思います。広島のとき、あるいは沖縄のとき騒がれないで、反対している先生方も含めて、相変わらず東京中心主義だなと苦々しい思いもあります。私がいろいろなことで関わっている、たとえば根津さんとか佐藤さんが苦しんでいたときに、東京の高教組のある執行委員は、「あれはね三多摩地域の人たちのやり方が下手だから」というようなことを平気で言っていました。それから「うまく都教委とやればあんなふうに処分されないですよね」とかその調子のことを言う人がいっぱいいました。それから各地のたとえば広島のきびしい弾圧状況の中で、多くの県の組合役員や先生方は、「同じ国のことと思えません」とか「戦前のようですね」とかそういうことを言っていたわけです。

敵は一つなんですね。文科省にくっついて動かしている文教族であります。にもかかわらず先生方はそれを絞ってみることがなく、自分のとこは火がついていないといいながら、順々に攻め落とされてきたのがここに至ったわけです。

まあそれはそれとして、東京の都立学校の先生方が足元に火がついて予防訴訟というのを起こしました。この判決は9月21日に東京地裁で出て、手元の資料にコピーが出ておりますが、「憲法19条の思想・良心の自由に違反し、国民全体に対し直接責任を負って行うものであって、教育行政による不当な支配は許されないという教育基本法第10条に違反している」と判決が出たんですね。弁護団もそれはそれでいいんですが、このことを強調しています。だけど忘れないでほしいことがあります。それは私が関与したから言いたいという意味ではありません。

判決はそのことに加えて、重要なことがもう一つあります。判決文に「国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱するか否か、ピアノ伴奏をするか否かの岐路に立たされたこと、あるいは自らの思想・良心に反して本件通達及び之に基づく各校長の職務命令に従わされたことにより、精神的損害を被ったことが認められる。」と書いています。そして、「これらの損害額は、前記違法行為の態様、被害の程度等を総合考慮すれば、一人当たり3万円を下らないものとするのが相当であり、当該判断を覆すに足りる証拠は存在しない。」と書いています。

3万円には何の根拠もありません。原告が一応3万円と請求していたからです。判決文も3万円以下ではないとしました。そして、この裁判でいかに学校の先生方を心身ともにいたぶったかということを、私が鑑定意見書として出したのが証拠として全面採用されています。だから最終弁論でも、70ページにわたって私の意見書を土台にして、それぞれの先生が精神的にいかに傷ついたかを整理して述べています。それが全部証拠として採用されたんですね。

私もこの6,7年間にわたって先生方の抑圧の中での苦しみを聞き、そしていろいろな証言をし、裁判の書証も書いてきました。われながら教育学者ではないのに、なんでこんなことに関わることになったのかな、と悲しい思いもありますけれども、しかし、順々に書いていくたびに、憤りも強くなりましたし、文章も整理され、この最後のときにはかなりすっきりした文章になっていると思います。今回の本に入れてあります、それがやっと全面採用になりました。
 その採用されたことで忘れてもらってはならないことは、裁判官は、このことを明記することによって、たぶん控訴審でどうするかということを考えたと思います。現在の最高裁判所の司法行政の中では、判決文に憲法違反と書いてもですね、上級審で覆される可能性が非常に高いです。しかし、私の鑑定意見書を証拠として採用したことは事実ですから、それを覆すということは容易でなくなります。つまりたとえて言いますと、自衛隊が憲法違反かどうか裁判を起こしてもですね、なかなか判決してくれません。かつての長沼ナイキ基地訴訟(1973年、福島判決)のような時代はとっくの昔になりました。しかし、自衛隊がどっかの民家に爆弾を落として人をぶっ殺した場合、これは違憲かどうかではなくて、殺人、傷害致死の事実として証拠採用されます。

同じことでして憲法違反かどうかとか、教育基本法10条違反、とくにこの10条を今、明確に変えようとしていますから、変えられたら裁判は効果がないと却下されるでしょう。裁判所は、しかし、証拠として採用されたものは、それに対して、事実はないということを証明しなければなりません。そのためには私と対抗できるだけの精神科医をさがしてきて、そして事実と違うということを論証しなければいけない。それは大変難しいことです、彼らにとっては。私はこの鑑定意見書の中で、03年の10.23通達で突然ではなくて、その前からずっと長期にわたって、学校の先生方に拷問を加えてきたんだということを立証しております。

心身に杭を打たれるーある美術教師の場合

その症状を整理して、身体化された症状と感情の不安定と抑うつ気分、抑うつ状態ですね、それから自己像の変化の4点にわたって整理しながら、訴えた人たちの思いをずっと書いてあります。この訴えている人たちは闘っているんだから自分の弱い面を外に語るということはしてきませんでした。皆さんもきっとそうだと思います。日本の社会は、そういった権力と闘っているときに自分の悲鳴を弱音として、精神の傷とか身体の軋みを混同していますから。そういったものを気づいてはいけない、あるいは気づいても人に言ってはいけないという思いがあります。しかし、そういったものを綿々と聞き取って整理していこうとし始めますと、もう全部の先生方が10分ぐらいの聞き取りが始まってから涙を流し泣きつづけるという状態でありました。私もかなり辛いインタビューがつづきました。

たとえば、ある美術の先生は、自分はこういった人間の創造性が抑圧されて共感が乏しくなっていく時代の中で、美術の教師として人間の創造性を豊かにすることが自分の使命だと思って働いてきた。しかし、それが年々軽んじられて、授業数も減らされるし、バカにされる状況の中でがんばってきた人だけども、自分はその教育の歪みの中で不安を覚えていた。そこに10.23の通達がきたと。

そのとき自分は立ちはしない。しかし、もし立ってしまったら、子どもたちに自分の思いを表現しながら生きなさい、と言ってきた私の教育者としての姿はどうなるんだろうかと、私は立ったときには、最早次の瞬間から子どもたちの前に一つの統一された人格の人間として、子どもに顔を向けることはできなくなると思いました。そして、しかし、だから座ろうと思ったんだけど、座ろうと思うと同時に座れば、当然処分がくる。そしたら遠くの学校に飛ばされる、一連のセットですね。そして病気のお母さんの世話ができなくなる。それから1回だけではすまないから順々に座っていけば、4回で辞めさせられるが、使命として思ってきた美術教師は奪われる。そう思ってですね、仕方ないから立つかと思った。職員会議中に椅子に座っていることができなくなり、立とうと決めたときに彼女は腰掛から崩れ落ちたこともあった。それを彼女は、私に泣きながら訴えた。

ほんとにからだの中に大きな杭が食道から胃に打ち込まれる痛みを私は感じた。けっして比喩で言っているのではないんです、と。多くの人たちはいやなものをさせられる症状を消化器の症状として訴えます。毒を飲まされるということですね。そういう形で不快なものを無理やり飲まされる、からだの中に突っ込まれる、どうしようもない吐き気、いやなものを吐き出したい、そういった症状、吐き気、嘔吐ですね、胃腸の重い感じや痛み、下痢と便秘が交替するそういった消化器の過敏症状、そういったものがたくさんの人に見られます。それから、胸部の圧迫感ですね、こういった身体化された症状が非常に強い、そして、精神面では感情が不安定になっていきます。

怒りとか自責念とか自己破壊的イメージ、本来ですね、悪に対して向かっているのだから、自責念などもつはずがないです。しかし、闘っている多くの人間は、自分を責めます。それはたとえばこういったことを覆すだけの力がないということを、自分に責めたりします。あるいは日本的な文化の中で、こういう人がいます。「あなたはいいでしょう、座ることでいいでしょう。でも座ることで学校の混乱はどうするんですか」「右翼が言ってきたりして学校の名誉はどうなるんですか」などとそういうことを言われる。

そういったときもキチンと反論しましたけれども、それは心の中に残ってなんとなく今までと同じように話すことができなくなっている自分がいたり、そういう形で自分を責めて、自己破壊的なイメージに満たされて、死を思ったりします。泣きやすくなったり、常に校長や教育委員会に呼び出されて、それに必死になって闘っているけれど、闘っている自分がフラッシュバックのようにイメージされてくるとかですね。

それから、抑うつ的なんですね。曇りなく教育に打ち込むことが最早できない、自分のやっていることが部分的には一生懸命やっているつもりだけれど、基本的には意味がないんじゃないかと思われてくる。こんな教育の中で、意欲が低下し、空虚感、焦燥感に陥って、そして自己像が変化し、同僚との交流を控える傾向とか恥辱感とか絶望感、自分は無用な人間だという感覚、取り返しのつかない被害の感覚、喪失感。とりわけ生徒たちへの贖罪感、将来への不安こういったものが絡んでいきます。先生方はこれまで自分は校長の暴力に対し抗議し、教育委員会と闘っていると思うからですね、自分の苦しさを訴えてきませんでした。訴えたらいけないと思ってきたわけです。自分よりよほど辛い人がいるだろうからから、だけども私は違うと思ってきた。しかし、実際は精神科とか内科に行って、睡眠薬とかもらいながら耐えてきているわけです。

こういった状況を今回の裁判は、キチッと精神的な被害であると認めました。こういった症状は、私の精神科医としての私見によれば、悪いですけど強姦された人の精神症状と全く同じです。あるいは人質となって死をさまよった被害者の精神症状と同じです。こういったことが権力によって行われているわけです。文科省のいじめ定義というのはですね、読みますと何を言っているかと思います。みなさん知っていますか。文科省のいじめ定義は。「強者による弱者への不当な圧力」と言っているんですね。それは、その圧力は身体的であれ、言語的であれ加えられている者が、その本人がそのために苦しむこと、と書いてありますよ。1センチも1ミリもこの日の丸・君が代の強制でやっていることからズレていません。そういうことが公権力によって、平気で行われているわけです。教育を破壊しているのは文科省です。

人格を分裂させられる子どもたち

私は個々の子どもたちと人格的なふれあいをしていくという教育基本法のもっていた基本に立って、それと違う動きに対して、すべて、異議を申し立てていく力をもっともっとつけていかなければ、ズルズルと押し流されていくと思います。

現在の子どもたちは、80年代から徹底した競争社会の中で生きていくことを強いられています。外から無垢とモンスターの使い分けが行われている。子どもの側から言いますと、高々3歳ぐらいで外に出始めた頃にはですね、お母さんが言うことは、仲良くするのよって言って押し出されます。それは多くの友だちと、自分を主張し、その交流の中で、対立もしながら感情の交流をしながら仲良くするという意味ではありません。絶対的に仲良くしなさいということなんですね。これが70年代80年代を乗り切った日本の世代が会社人間になって、会社の中で適応していくために、生きてきた生き方をお母さんたちが見ていて、それを子どもたちに言うことです。つまり、仲良くしなさいね、ということは多数派をちゃんと見て多数派の側に常につきなさいよ、という意味が仲良くしなさいということばです。

そして、その子が泣いて帰ったら、お母さんは今度は、負けたらいけないわよ、と言うんですね。で多数派を察知して、いじめられないようにしながら、しかし、負けないようにしなさい、これはかなり矛盾した指示であります。

こういったナゾナゾを子どもたちに解きなさいということが、2,3歳頃からずーっと進行しています。結局、子どもたちが日本の教育の中で受けているのは簡単に言うと、人格の分裂だと思います。場面に応じてうまく適応しながら、本音は言わないで生きると、それがこの社会の中で生きる本当のうまい生き方であるということです。

たとえば、今回の単位詐欺の問題すね、校長が二人自殺しました。ああいう校長は徹底的にどうして死んだか分析しないといけません。美談でもありませんし、死んだからものを言ったらいけないということではありません。命の尊さを言っている人がですね、次の瞬間には自殺するような社会がいいかどうか、ということですね。教育関係者はキチッと議論していくべきです。この中でそういう人たちを追い詰める社会システムを考えていかなければいけない。しかし、そんなことは一切隠されて伝えられているメッセージは、口では命の大切さを言いなさい、しかし、少数派に回ったときは、殺されるんですよ、これが日本の教育が伝えているメッセージです。

あるいは安倍晋三氏が伝えているメッセージです。彼は、聞きかじりの、右派ぶって言っていたんだけど、総理大臣になったら少し別のことを言う。こういった昨日の借金は、今日の私と違うから忘れました、ということを言っても通るような人格の分裂を、この教育の中で行っているわけですから、教育基本法の「改正」という問題は、この20年30年の日本の教育の歪みを、キチッと照らしてくれる動きだろうと思います。そのことをいろいろなところで訴えながら、改悪阻止のための運動をしていかなければならないと思います。

*この記録は、11月11日兵庫県私学会館で開催された「教育基本法改悪に反対する緊急集会(「元教職員ひょうごネット」主催)での野田正彰さんの講演の録音テープを文章化したものです。録音機器の取り扱いが不慣れだったため、かなりの脱落や聞き取り不能部分があります。教育基本法「改正」案の参議院審議が大詰めとなり、阻止できるかどうかの瀬戸際を迎えている状況があり、あえて拙速にも記録化させていただきました。野田正彰さんと当日の参加者に多大なご迷惑をおかけすることをお詫びします。小見出し、文章はすべて編集者の責任によります。


笠井一朗20040125野田正彰氏来蘭

「戦争と罪責」を著された野田先生とお話しできます。(20040125)

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野田正彰20031116人格無視された拉致被害者

野田正彰:北海道新聞 2003-11-16 「今を読む」

北朝鮮から五人の拉致被害者が帰郷して一年がすぎる。北朝鮮を攻撃し国家主義を煽る風潮が起こるだろうと予測したが、これほどまで拉致被害者が利用されるとは思わなかった。石原憤太郎東京都知事による、経済制裁しろとか、国家のプライドはどうしたといった煽動が続いている。これらの発言は拉致被害者にことよせて、敵国を作りあげ、敵国を作ることによって強い国家を力説し、その強い国家の指導者として自分を目立たせようとするものである。しかし被害者に感情移入し、彼らの立場で考えれぱ、帰国当初から日本政府と日本社会は彼らの意思を無視してきたことが判明する。

帰郷して一年たった十月十四日、地村保志さん、富貴恵さん夫妻が、報道各社に長文の手記を寄せた。そこには極めて重要な心情の変化過程が記されている。夫妻は帰国直後、「まだ一時帰国という認識を強く持っていた」、「子供たちを残して永住帰国することが果たして親としての取るべき行動なのかと思い悩んだ」と述べている。

しかし、考えが変わる。というのも、「日本に留まることを最終的に決めたのは、結局日本政府が一時帰国者を帰さない。北朝鮮と毅然(きぜん)とした態度で臨むと言明した時点であった。それは家族や友人の思いより、日本国政府の決断と対応が今後の問題解決の決め手であると確信していたからだった」と説明している。つまり自分たちの意思よりも、あるいは「帰国を強要する説得を控え、冷静に私達の決断を見守ってくれた」家族の思いよりも、日本国政府が被害者本人たちの意思決定に先だって、帰さないと決定したからである、とはっきり経過を述べている。なお家族についても、自分たちの分からないところで、(北朝鮮へ行かない)努力をしていたと、あえて付記している。

結局、私たちに意思決定の自由はなかった、意思決定の時間を与えられていなかった、あるいは私たちの意思とは言えない、と述べているのである。ところが手記を受けとったいずれのマスコミも、この箇所を無視していた。

拉致被害者が帰国した直後、私は次のように述べた。一時帰国者は今後、拉致されるまでの人格Aと、北朝鮮で適応してきた人格Bをあわせて肯定しながら、新たな人格Cへ結合していかねぱならない。日本人が一方的に人格Bは無いものと決めつけ、人格Aと人格Cをひとつと見なすのは、他者の人格を認めないことになる。彼らを洗脳された者と呼んでいるが、「一時帰国者の精神状態はそんな簡単なものではない。拉致されたことへの怒り、絶望、恐怖を乗り越え、次第に北朝鮮社会に適応し、自分の役割をこなしてきた。理不尽な権力に従わざるを得なかった屈辱感、罪の意識、抑圧された怒り、そして長い歳月暮らしてきた北朝鮮社会への愛着が混じりあっている。人格Bは無いものと見なすのは、彼らの本当の精神的葛藤を知らないからである」(「背後にある思考」みすず書房)。

そう危惧したとおり、日本社会は被害者が人格A,B、そしてCを統合していく時間を認めなかった。拉致された夫妻の子どもは北朝鮮の文化を身につけて人格形成しており、文化的には北朝鮮の人である。だが、それすら無視している。相手のため、相手を思って言っていると主張し、相手の意思決定を待たない人間関係。拉致被害者にとって多くの人々の構えは、今なお私たちの社会が自分と他者の人格を曖昧にしていることを示している。被害者たちは二十数年前、北朝鮮で自分らしく生きられなかったと同じように、この日本で個人として自立して生きていくことが許されていない。菌糸のようにまとい付くうとましさの上に、日本政府の外交はある。

北朝鮮の金正日軍事独裁政権は、彼の国の人々の人権を抑圧してきた。同じく、被害者になりかわって北朝鮮を攻撃する日本の世論も、被害者の人格を尊重してきたとは言えない。(野田正彰…京都女子大教授)