世界的な規模の戦争反対デモが繰り広げられた。当初、英メディアは「60カ国で1000万人をかなり超えた可能性もあり、ベトナム戦争当時を上回る史上最大規模に膨らんだ」と伝えた。私も地元の壮瞥町でデモを主催した。室蘭や札幌にも出かけた。あれから5年が過ぎ、なおもイラクでは、米国の軍事侵略とマリキ傀儡政権による占領行政が続く中、イラクレジスタンス軍が辛抱強く戦っている。
断っておくが、私は暴力を肯定するものではない。まずもって軍事超大国の絶対暴力は許されない。国連決議や世界市民の声は無視され、人間の盾としてイラク入りしていた世界中の人々や国連査察団に退去命令を出し、スカッドミサイルを廃棄中にもかかわらず、その射程距離3倍のトマホークミサイルを湾岸の艦船から人口密集地バクダットに千発も打ち込んだ。そのテレビゲームのような風景をあなたも見たであろう。さて、その軍事侵攻の口実となった大量破壊兵器はどこにあったというのだ。「フセインこそが大量破壊兵器だ」と戯言を吐いた某国の首相はいたが、、、
圧倒的な軍事力の前に、イラク正規軍は1ヶ月半と保たず雲散霧消した。ゲリラ戦法を採用したのである。ベトナム戦争との違いは、ホーチミン氏のような指導者がいないことだろう。系統だった組織図がないので「民族対立や宗派間対立による内戦状態」を治安平定するために「自由と民主主義が必要」といった言説を持ち込みやすい側面がある。
さて、このDVDに収録された3本のビデオは、インターネットに配信されたレジスタンス軍のコミュニケである。それぞれの発信元名称は異なるが、タイトルの付け方、政治的理念と将来展望など共通項が多々ある。ビデオ映像では、レジスタンス軍の武器を公開しており、訓練風景も紹介されている。米軍が遺棄した傭兵の死体など残酷な映像もあるので、山本史郎氏のML「イラク情勢ニュース」を読んでいる人ならともかく、ごく普通の日本人にはお勧めできない。理解されないだけでなく逆効果でさえあるからだ。「ほら、やっぱりテロリスト達は残酷で暴力的なのよ」と。
最後にAさんのコメントを紹介する。
レジスタンスのコミュニケを見て、それが報道で登場するような「テロリストの犯行声明」などと違って、われわれの理解しがたい世界観で行われる一方的な宣言ではなく、伝える相手の価値観を知ったうえで、それに訴えるよう十分配慮されていることを知って、正直おどろきました。
このコミュニケの映像は、日本の従来の報道媒体では一度も紹介されていないと思いますが、アメリカの「コミュニケ」にはいやというほど接しているわたしたちにとって、「ことの次第」を偏りなく知る意味で、途方もなく重要なんじゃないかと感じました。
米英軍の対イラク軍事侵攻は、自衛隊という武力組織をイラクに派兵している日本国の法学者でさえ「国際法に違反する行為」と認識している。この軍事侵略を受けて立つイラクレジスタンスの軍事的防衛行為は、国際法で認められている「個別的自衛権の行使」であり、有志連合(Coalition of the Willing)として括られた韓国軍 / イタリア軍 / ポーランド軍 / オーストラリア軍 / 日本国自衛隊 / 等々は、この違法な軍事侵攻を補佐することより、米英侵略軍に準ずる戦争犯罪に値する。
私は、イラクに行ったことがない。アラビア語を理解しない。イラク人の知人は一人もいない。興味を持ってイラクの歴史や文化を勉強したこともなかった。したがって、今回紹介するイラクレジスタンス(Islamic Jihad Army / Mujahideen Army)が、どのような民族の、どのような組織で、フセイン政権下でどのような地位にあった人方なのか、全く知識を持ち合わせていない。にもかかわらず、この度、中国の知人に頼んでコミュニケ6を英語から中国語に訳していただいた。
その第一の理由として、日本政府が、国際法違反の軍事侵略を援助し、日本国憲法違反の「交戦権の行使(兵站支援)」をするということに、日本の一市民として耐え難い屈辱を感じるからだ。一人でも多くの世界市民に、この声明を知っていただくことは、日本政府の違法行為を抑止する力になると考える。
その第二の理由として、レジスタンスの公式声明は、世界市民を対象にしており、彼等の言葉はまさに理性的で、理知的でさえあるからだ。圧倒的な軍事力と対峙する中で、このような声明を宣言できる「レジスタンス軍」の思想には、人類の未来を、その永続的な存在を確保するに必要な叡智を持ち合わせているように感じる。
コミュニケ6を英語から中国語に訳してくれたのは、平和を希求する私の気持ちを理解してくれる貴重な中国の友人である。有り難く思う。
まず初めに、アメリカによる植民地的イラク占領に反対して戦うイラク国民とともに、この連帯会議を組織していただいたことに感謝したい。私たちはイラク国民に対する占領軍の犯罪と、占領勢力および傭兵たちによる全イラクの破壊を暴露する権利を否定されてきました。アメリカ政府は西側メディアとアラブ系メディアの双方に命令し、あるいは圧力をかけて、アメリカとイギリスがイラクにおいてなした上述の犯罪を暴露する機会をバース党とナショナリストに与えないようにしてきたので、皆さんの準備した会議がイラクの状況を伝えるための大きな機会となっています。
この2年半にわたってイラクがこうむった苦難の根源は、古典的なタイプの植民地主義であり、イラクに対する血なまぐさい軍事侵略の形をとって、今までに約25万人の人間を殺してきました。また、空爆によって、あるいは全市・全村ぐるみ破壊攻撃によって、住民はそれらの都市や村落を離れるように強要され、食料も水も電気その他の基本的な必需品や公共サービスもないまま、砂漠での生活を強いられています。
全市ぐるみ破壊の好例は、ファルージャその他の都市で起こった事態です。大虐殺のもう一つの手段は、たとえ相手が無実の人々であったとしても、アメリカ兵がいわゆる「テロリスト」だろうと考えたイラク人市民に対しては、手当たり次第に発砲する許可をアメリカ兵に公然と認めたことです。そうして最後的に、何十もの米軍収容所で拷問されて死に至った者もふくめて、25万人が殺害されたのです。
イラク侵攻の最初の時期、占領軍が外国人傭兵をけしかけて、政府中央官庁と経済機構、保健所、治安機構、報道・情報機関などイラクのあらゆる国家機構を破壊し火を放ったときに、占領の植民地的な性格が明らかになりました。破壊をまぬがれたのは唯一石油省のみで、アメリカ軍は外国人傭兵と訓練したギャング集団から石油省だけを守ったのです。その前には、イラクの領土を占領した最初の日に、アメリカ軍はイラク南部の油田地帯を支配しました。その地域にある軍事目標を占拠したり破壊するよりも前のことです。
素早いイラク占領を可能にするために最大限の兵力を投じ、侵攻過程では毎日何百人ものイラク人市民を殺害したことによって明らかになった占領の植民地的性格は、これこそまさに、イラク人の報復を決定づけるものとなりました。占領軍の投入した最大規模の兵力は、イラク人武装レジスタンスを最大規模の勢力に育てることになったのです。バグダッド占領のあと、イラク最後の選択となった武装レジスタンスは、最初から大規模なものとしてスタートし、イラクの北から南まで、東から西の辺境地帯まで、ほとんどの都市と村落を網羅するものとなったのでした。
おそらく皆さんはこう尋ねるでしょう--最初は人々の支持と構成メンバーを徐々に増やしていくというゲリラ戦術を採用するというのでなく、初めから巨大で大衆的な武装闘争としてイラク・レジスタンスが始まったのはどうしてなのか? このイラク武装レジスタンスのユニークな特徴について説明しましょう。
イラク・レジスタンスの最も顕著でユニークな特徴は、占領と戦う準備の整った大量の大衆的な組織が、イラクのいたるところに即座に姿を現したことです。バグダッドが占領された日、フセイン大統領の像倒壊を報道したハリウッド映画のような展開とは別に、アメリカ軍は恐るべきレジスタンスに直面し、バグダッド市内でも少なくとも4ヶ所で大規模な戦闘が発生しました。
バース党員は地下に潜るように命令を受けとると、即座に武装レジスタンスを開始し、戦争の第2幕すなわちゲリラ戦術を開始しました。歴史的な教訓を皆さんに思い起こしながら、イラク・レジスタンスのこのユニークな特徴とゲリラ戦術の採用に注目してください。もし皆さんが近代史に目をむけるならば、外国の占領に対する武装レジスタンスは、限られた数の自由の戦士によって展開される攻撃から、さらに複雑で大規模な軍事作戦へと段階的に始まっていることに気づくでしょう。
武装レジスタンスの拡大は、その宣伝にも依存していました。というのは、敵の軍事的に武装した部隊を攻撃することによって、自由の戦士がますます人々の認識にのぼるようになり、敵に大きな損失を与えるという意味です。そうすることによって、人々が武装レジスタンスに合流し始め、一歩一歩、そして何年かたつと、武装レジスタンスが武装革命に成長転化するのです。この歴史的事実は中国、キューバ、パレスチナの革命にも適用されたはずです。
しかしイラクでは、私たちはそれと異なる話を知っています--武装レジスタンスは侵略される何年も前に準備されていて、実際に、1991年の侵略(=いわゆる湾岸戦争)の後に大きな労力を払って、バース党の義勇軍であるイラク国民軍がゲリラ戦術に関する集中的かつ専門的軍事訓練を受け、そのほかに、バース党は侵略に備えてフェダイン・サダムと呼ばれる新組織を創設して、250万人以上の若者をそのメンバーにしました。最後にバース党は700万人のメンバーからなる新しい軍隊として、訓練を受けた国民軍としては最大規模のエルサレム軍を創設しました。
バース党はいかなる外国にも依存しないですむように、外部から何らの支援を受けなくとも10年間戦うのに十分な弾薬とともに、何百万丁もの銃をイラク国民に分散し、格納庫のほかにも、秘密の兵器庫に蓄えたのでした。バース党は地下で多くの科学者と軍の専門的な司令官を兵器生産と弾薬製造、兵器の修理に割り当てました。
イラクが侵略を受けた場合には、訓練を受けてゲリラ戦を始める準備をしたイラクのおよそ1000万市民のなかから、イラク指導部は高度に洗練された精鋭を選出し、侵略から間を置かずに大衆的な武装レジスタンスを始められるようにしました。イラク人の革命的運動が小さな部隊による小規模かつ限定的な攻撃から始まるのでなく、占領直後の数日から大規模な軍事作戦をともなって始まった理由がここにあります。この事実は、イラク人はアメリカ軍を花束を持って歓迎すると考えていたアメリカ政府にとって、最大のショックと驚きでした。1年もしないうちに、イラク武装レジスタンスはイラクの主要都市を占領者に敵意を抱き武装レジスタンスの自由の戦士には好意を持つようにさせることによって、それらの諸都市をほとんど解放しました。
そのようなレジスタンスの支配をものがたる最高の例は、アメリカ軍司令部や米国大使館、バグダッド傀儡(かいらい)政府などが位置するいわゆる「グリーン・ゾーン」です。アメリカ人と傀儡勢力は、グリーン・ゾーンの外には出ることができず、アメリカ軍の命令はイラクにおけるどの地域にも10分以上滞在してはならないとしています。その理由は、レジスタンスの情報収集機関がレジスタンスの中央指導部に通知し、米軍だけに限定した攻撃がおこなわれるからです。
数ヶ月後には、侵略前に創設された元からの組織も合流したことにより、あるいは旧来の組織とともに占領者と肩を並べて戦うために新しい組織が編成されたことにより、何千人ものイラク人が武装レジスタンスに参加しました。したがって武装レジスタンスは当面、バース党のレジスタンスとして始まったという事実にもかかわらず、すべてのイラク人、アラブ人、クルド人、トルコメン、シーア、スンニ、さらにはナショナリスト、左翼、イスラム主義者、部族指導者などを代表するものとなっているのです。この事実は、イラク・レジスタンスが国民的運動であり、生まれたときからあらゆる国民政党、すべての宗派、すべての民族、すべての宗教を代表していることを意味しています。
最近になってアメリカ合衆国の当局筋と多くの政府高官は、米国議会のテッド・ケネディーが昨年語っていたように、イラク侵略は大きな間違いであり、おそらくはアメリカ史上最悪の誤りであったと認めはじめています。数日前にはマイヤー将軍(米統合参謀本部議長/訳註:最近退任した)が、イラク人の武装レジスタンスを打ち負かすことは第二次世界大戦での勝利よりも重要であり、イラク戦争はベトナム戦争よりも重要になっていると発言しました。
イラクにおけるアメリカの危機を描きあげるためには、私たちはマデリーン・オルブライト夫人(元・米国務長官)が同じく数日前に言ったこと--イラクでの陰鬱(いんうつ)な日々を覚悟しなければならない--を思い起こさなければなりません。そこで重要になってくる疑問はこうです-- なぜ米軍トップの将軍や元政府高官たちはこんなに騒々しくわめくのでしょうか? この回答はひじょうに単純であり、ひじょうに明瞭です。イラクの武装闘争は最終段階にたちいたり、この局面では占領者は軍の全面崩壊に直面するとともに、特にイラクから全面撤退するというイラク・レジスタンス側の条件を無条件に受け入れなければならないのです。
イラク・レジスタンスがもたらす歴史的勝利の陰に隠されている秘密はなんでしょう? さしあたってイラク国民の圧倒的多数が限りなくレジスタンスを支援しているという事実を脇に置くとしても、イラク・レジスタンスの勝利の陰に隠された重要な理由を2つ指摘しなければなりません。
第1に、前もって準備されていたレジスタンスは、特に侵略の2年前に、米国の財政を可能な限りイラクで破綻させることを基本とした戦略を採用しました。どうあってもこの戦争の財政的コストを保証するために、イラクに駐留する米軍はアメリカ市民の税金によってまかなわれることになり、それはイラク侵略がイラクから巨額の金銭と利益を略奪するかわりに大変な重荷になるということを意味します。この計画のもう1つの側面は、石油を系統的に輸送するパイプラインを攻撃することによって、アメリカ合衆国にイラクの油田を開発させないというものです。
イラク・レジスタンスの勝利の陰に隠された重要な理由の第2は、おそらく米国がイラク・レジスタンスと戦うために、自国軍兵士を守ろうとしてデッチあげるであろうイラク人の盾(たて)--例えば新しい軍隊、新しい治安部隊、新しい警察といったアメリカ軍の人的犠牲を最小限におさえる目的のためのもの--を粉砕すると決めたことです。なぜなら、アメリカ軍兵士を殺傷することは、徐々にアメリカ本国内で一般国民を戦争に反対する方向へむかわせることになるでしょう。
イラク現地に目を向けると、民間企業の社員といった別名でイラクに招き入れられた外国人傭兵の主要組織を粉砕するかたわらで、イラク・レジスタンスが上述のようなイラク人の武装部隊を首尾良く中立化させ弱体化させてきたことに皆さんは気づくでしょう。米国にイラクの石油を財源として使わせないようにすることによって、またアメリカ軍に甚大な犠牲を与えることによって、イラク・レジスタンスは米軍兵士の士気と米国の財源を確実に崩壊させてきました。
これまで述べてきた事実を考慮すれば、イラク・レジスタンスはアメリカ軍と傀儡(かいらい)政府に対する軍事作戦を強化・拡大して、占領体制の崩壊の時を引き寄せてきました。この展開の過程で、武装レジスタンスは主要なレジスタンス組織の統一を宣言し、主だったレジスタンス運動の統一指導部を確立し、イザット・イブラヒムをイラク・レジスタンスの野戦司令官として選出しました。その一方で、レジスタンスは解放後のイラク政府が連立政権となり、武装レジスタンスに参加し、これを支持している国民的指導者と宗教指導者、部族指導者に加えて、現在の武装闘争に参加しているすべての組織を代表するものとなります。解放の2年後に、イラクの新政府を選出する総選挙の自由投票がおこなわれます。
皆さんにお伝えしたいことは、武装レジスタンスはイラクにおける主要勢力であり、その他にはイラク人の主要な勢力はなく、すべてのグループと政党は新しいものも古いものも、2003年9月に宣言された政治・戦略プログラムを支持しなければならないということです。平和的なレジスタンスはイラクでは武装レジスタンス以外に合法性を持たず、イラクのすべての政治組織は占領勢力との妥協を排して、また憲法草案をめぐる国民投票への参加のようないわゆる政治プロセスへの参加を拒否して、このプログラムを支持すべきです。憲法採択の国民投票は、イラクを宗派と人種にもとづいて三つの小さな国に解体することを確実にするために、アメリカ政府によってイラクに押しつけられたものなのです。レジスタンスはいかなる選挙、国民投票への参加も占領体制を認め、その合法性をデッチあげることにつながるだろうと考えます。
私たちはイラクにおいて武装レジスタンスが最終的に勝利することを楽天的なほどに確信しており、ナショナリストと進歩勢力のあいだの内部抗争の半世紀を終わらせるために、今私たちが創設に尽力している民族民主戦線を通じて、来るべき解放政府がすべての国民的運動を代表するであろうことに一切の錯覚を抱いていません。
来るべき課題が占領勢力の挑戦よりも危険であるだろうという理由だけでなく、国民政党間の差異は血まみれの争いとか対立の理由とはならないと考えるがゆえに、新しいイラクは生まれながらにして民主主義であり、国民戦線によって統治されるでしょう。。国民政党間の差異は正常さの現われであり、兄弟・同志間における自然な差異なのです。
世界に関していうなら、アメリカ合衆国をうち負かすイラク・レジスタンスの勝利というきわだつ成果は、世界に新時代の始まりを告げるものとなります。なぜならば、それは世界に対するアメリカの独裁的な君臨に終止符を打ち、社会正義とすべての国家間の平等、あらゆる者のための自由、あらゆる者の繁栄、すべての人間への尊敬を特徴とする新世界秩序にむけて真剣に働くことを呼びかけるでしょうから。
メソポタミアの地(イラク)から歴史が始まり、最初の文明が出現し、そして今、私たちイラク人が、バビロン文明の子孫が、ふたたび歴史の創造をおこない、アメリカ合衆国という悪の帝国に対する武装闘争の中心地バグダッドから人類解放の行進が始まりました。何十万ものイラク人が自由な人間の気高い原理のために命をなげだす覚悟でみずから準備してきたことですから、この行進は決して中断することはありません。
イラク武装レジスタンス万歳
解放と社会主義に勝利を
世界中で一般市民を暗殺する者を辱めよ
アメリカ占領軍の収容所に囚われたすべてのイラク人に、
特にイラク・レジスタンスの創造者フセイン大統領に自由を
ティクリート発:
米軍のある高級指揮官は、「善良なる」イラク人が米軍と戦っていることを認めた。ジョセフ・タルト少将が、「わが軍の存在に怒っている」のであるから、相当数の普通の人々が米軍に対して武器をとるという理由は理解できると語った。
彼はガルフ・ニュースとのインタビューで、「米軍ハンビーが道路を走りまわり、米軍が人々を道路から追い払い、米軍が大通りをパトロールし、自動車爆弾が発生していることに善良なイラク人が気がついているなら、彼らがどうするか(米軍と戦うことを望む)を理解できるはずだ」と話した。
バクーバ、サマッラなど重要な問題地域を管轄する米第42歩兵師団の司令官であるタルト少将は、さらに、戦闘に参加してなくとも、一般市民を標的にしないゲリラにはかなりのイラク人が支援をしていると述べた。
「善良なレジスタンスという雰囲気、あるいはレジスタンスを受け入れる雰囲気がある。彼らは、『もし有志連合軍の兵士を撃つのだったらオーケー、悪いことではない。だが他のイラク人を殺すべきではない』と言っている」--彼が説明した。
だがタルト少将は、米軍ほかの外国軍が武力によってイラクから追い払われることはないだろうと強調した。「もし目標が連合軍を撤退させることであるなら、彼らを攻撃するのは得策ではない」と彼は言った。「そうしたいのなら、政治プロセスに参加して協力するべきであり、そうすれば連合軍も攻撃性を弱め、目立たなくなるだろう」。
しかし彼のコメントは、反乱者(=ゲリラ)はすべてバース党員かアルカイダのテロリストだという主張をしつづけている他の米軍トップたちの発言ときわだった対照を見せている。
タルト少将はさらに、どれだけの規模のゲリラがいるのか判らないことも認めた。「数字を掌握していないのに、どうやって推測できるのかね? 概算するにしたって、ある種のあて推量だよ」と彼は言った。
「外国人戦士の小さな核があるように思う。その規模がどれほどなのか判らないが、これはかなりの能力がある、補充もされている。」
「それに前政権に加わっていた人物のグループがあり、彼らがものごとのお膳立てをしている。彼らがすべての通信連絡をおこない、金銭を動かし、ものごとが遂行するのを可能にしている。彼らの最終目標は外国人戦士と同じではないが、外国人戦士も使って望むことを実行している。」
「われわれは兵士をつかまえた。一部に金銭目当ての者もいたが、かなりの者がわれわれを自分たちの生活を脅かすものと考えていて、われわれの駐留を不愉快に感じている。」
彼はさらに、「彼らのネットワークの大きさは判らないし、どれだけの広がりがあるかも判らないが、当分のあいだは政府への脅威となるのに十分な強さであることは判った」と言った。
タルト少将は、米軍と戦っていて捕虜になった者の「99・9%」がイラク人だったが、大部分の頑固なイラク人は自由で民主的で独立した国を求めていた、と述べた。
憲法制定の国民投票が間近に迫るなど重要な一里塚にが到達したが、攻撃は激しくなり続けるだろうと彼は予測した。
Some say Japan has shame-sensitive culture. I read it in books, also I was taught like that. I believe people in Japan may not deny the view. However, I began to think that the trait had transplanted upon the people by their tycoons since feudal era to rule, in other words, to tame. While colonialism was thriving in Asia, Japan had taken militaly oriented government against it after the era. Moreover, Japan took after it. The grand vision, so called, Greater East Asia Coprosperity Sphere, was the consequence as one of pretexts.
I was raised upon the culture, my tears comming out may be that I am Japanese cause I am ashamed. I am ashamed that the state I belong to is asisting aggression against Iraq, and hundreds thousands of Iraqi people who have families and friends were killed, too much enough cause of being ashamed. I feel the earth moves under my feet.
I am just shocked by the video. The Iraqi were brutally devastated by WMD, the actions of axis of evils, and ugly tactics of the troops. Yet Iraqi are still sound in its philosophy. I ought to invoke that a culture and its wisdom shall never be defeated. I am just ashamed by myself. People of the world! Do not be defeated by the Words of Mass Deceptions, and not to be tamed at least, if we were to adopt the sence of democracy.
Please watch videos of Communique six and seven. Your comments are welcome! I need other languages especially Korean and Chinese, which deter the rogue states. Please refer ssaEnglish by text editor to prepare for other languages. Use VirtualDubMod to subtitle, or send me a ssafile with translated script by plain text mail. To watch videos and other files, right click and download, please.
A message from a farmer living in northern Japan, Hokkaido. (IchiroKASAI20050414)
イラクのレジスタンス「Islamic Jihad Army」の声明ビデオを最初にネットで見たのが、昨年12月14日。ビデオ声明発表日は12月10日。以来、どうにかして字幕を付けたいとの思い叶い、ようやっと完成しました。作成に当たっては「妖精現実」というサイトの字幕作成のページ1編 2編 3編を参照しました。
2003年3月20日に始まった米英軍によるイラク侵攻は、国連憲章から逸脱する全くの違法行為であるというのが国際法学者の常識です。その通りなのですが、2004年4月7日靖国訴訟の判決において違憲判決を下す福岡地裁の亀岡清長裁判長自身が、判決言い渡しに際し遺書をしたためたという異常な日本の現状もさることながら、レジスタンスの正当性を一顧だにせず、テロリスト呼ばわりの報道を繰り返すのは言語道断!!!
ネットでは、齊藤力二朗氏や山本史郎氏、TUPほかの有志により、レジスタンスの行動が伝えられています。ベトナム化?したイラクにおいて、米軍は撤退を迫られて撤退するという選択肢しかなく、実際のところ撤退を始めているのが現実です。ヤクザな日本の政治家が米国大本営のスピーカーであり続けることに強い敵意を覚え、そういった政治家のうわ手をいくような発言をする自称地方名士に、やりきれない空しさを募らせます。そういった日本に生まれ育った私は、耐え難い屈辱に落涙を禁じ得ず、アイデンティティクライシスを感じます。(笠井一朗20050302)
イラク侵略と占領は計画された<帝国の征服>であり、大量破壊兵器や9・11の攻撃、あるいはイラクの「解放」とは何の関係もない。それはまさしく口実であって、偽りであったことが何度も証明されてきた。イラクに対する戦争は1990年に始まって、今日も続いている。2003年のイラク侵攻は無防備の国を物理的に占領する始まりにすぎなかった。占領の目的は明らかである。石油を含むイラクの天然資源開発を支配し、イスラエルの中東におけるシオニズム政策を支持するためである。
ここ2年間、イラクにおいて米国と同盟国は、イラク国民に恐怖を与え、彼らの自決権を否定する政策に従ってきた。英国および米国軍によって、イラク人家族と諸個人に対する無差別的で荒っぽい攻撃が続けられている。イラク人男性と女性、そして子どもも毎日逮捕され、拘留されている。彼らは脅迫と拷問、レイプに支配され、多くの場合、イラク人は米軍および彼らの雇った外国人傭兵の手で殺害されるか簡単に抹殺される。いまだに何十万のイラク人が拘留され、移動されている。何千人ものイラクの教授や知識人、学者が殺害されてしまった。
さらに、占領軍はイラクの資源を略奪するのと同様に、イラク社会とイラクの社会基盤を計画的に破壊し続けている。アメリカ(およびイギリス)の軍隊が駐留目的でやってきたことは、今ではあまりに明白である。彼らは自発的にイラクから撤退することはない。撤退を迫らなければならないのである。
米軍はベトナムでも自発的には撤退せず、大衆的で全国民的なレジスタンス運動によって撤退が迫られたのだった。似たように、イスラエル軍もレバノンから自発的には撤退せず、イスラエルは民族的なレジスタンス運動によってレバノン撤退を迫られた。
※訳註:レジスタンス運動は、Resistance movement とRが大文字で記されており、抵抗一般ではない。
アメリカのイラク占領を終わらせる唯一の方法は、占領に反対する大衆的な抵抗である。イラクのレジスタンスは、それが独立したものであり、自分たち自身の力量に依拠しなければならないことを理解している。レジスタンスは「反戦」運動の指導者や、左翼あるいはリベラルなエリートたちの戦争と占領への「反対」について、決して錯覚すべきではない。彼らの「行動主義」は中味のないスローガンであり、「何かを考え行動しなければならないというのではなく、人々の良心を静めるため」の手段でしかないのである。それは帝国主義陣営のプロパガンダの道具になっている。西欧流の「デモクラシー」は、「楽しめる」ライフスタイルとしての行動主義を伴わず、むきだしの暴政となっている。そこで彼らが、権利を奪われた民衆むけにオブラートで包んだ幻想と精神安定剤を提供しているのである。
知的な欺瞞(ぎまん)の産みの親である『ニューヨーク・タイムズ』は、「反戦運動」を不正確にも「第二のスーパー・パワー」と表現したが、それはいったん「衝撃と畏怖」というアメリカのテロが始まると、日光を浴びたアイスクリームのように溶けてしまった。さまざまな形態があり、いわゆる「人間の盾」や「反戦」活動家のなかには、米・英がバグダッドを攻撃しているとき、重要な秘密情報を渡すことによって米・英軍と親密に協調する者もいた。彼らは戦争が始まると、すぐに姿を消してどこにも見えなくなった。デモをしていても自国の帝国主義政策と戦争に反対する理念に欠けていた証拠である。
いったん占領がおこなわれると、「反戦」運動と左翼、リベラルのエリートの多くは「ブッシュにノー」の楽隊に飛び乗って、ジョン・ケリー支持に回った。彼らの反対姿勢が値打ちのない偽物(にせもの)なので失敗すると判ってくると、今度は彼らは米国がでっちあげた違法なイラク選挙を支持する方向で動いた。彼らの新しいヒーローは、アヤトラ・アリ・アル・シスタニだが、伝えられるところでは、彼が「米国を選挙に向かわせた」と言う。これは完全なウソである。真実は、シスタニは早期の選挙と政権委譲という姿勢を撤回して、米国が提案した選挙の引き延ばしを受け入れたのだった。さらに、シスタニは米軍のファルージャへ攻撃と破壊を支持したという証拠がある。彼が病気でロンドンに行ったのは(アフマド・チャラビ同伴)、何千人ものイラク人が虐殺されたのと同時であった。宗教指導者を操ることによって民衆を操ろうとするのは、帝国主義の政策である。
そしてさらには、ファルージャの破壊は、「反戦」運動には違法な侵略戦争に反対する姿勢と戦略が弱いという証拠となった。戦争を止め占領を終わらせようとする彼らの運動は欺瞞である。このことについて議論するのは難しいが、それは今日、重要であると思われる。「反戦」運動と左翼・リベラル指導者のすすめる新しい戦術は、「内戦」を回避するために「良い」占領を求めるものである。この種のアプローチは主流メディアで採用されており、米国の利益になるように設計され、長期の暴力的な占領を合法化するものである。
別の形での「良い」占領の扇動者がクリスチャンの宣教師とNGOであり、それは最も古く効果的な帝国主義の道具である。彼らは戦争あるいは危機があると、イラクばかりでなく、発展途上諸国のいたるところで騒いでいるが、政府の責任を引き継いでいる。ほとんどの宣教師とNGOが西側諸国のものである。彼らは人々の抵抗(resistance、小文字)の調停者となっている。彼らは民衆と外国の占領のあいだで「緩衝剤」となっている。インドの小説家アルンドハティ・ロイは、NGOについて正確に「仲裁者、解説者、まとめ役」と記述した。彼女は言う--NGOは「抵抗運動の活動家となるべき現地の人々を雇用する資金を持っているが、そうする代わりに、さしあたって何かをして生活の糧を稼ぐのに時間を割いている」と。
ファルージャで人質となった日本人の援助スタッフであるタカトー・ナホコはあるインタビューで、「特に若者にとっては、仕事をつくることと子どもへの職業教育は、彼らを市民兵の採用と反米運動から遠ざけることを助けると語った」(マツモト・チエ、Zネット2004年10月6日付からの引用)。西側の「人道的」援助ビジネスの背後にある哲学は、依存と受動性であり、「人道主義」ではない。それでもなお、「善意のもの」と「悪意のもの」とを区別することは重要であり、民間NGOの一部が戦争と占領の時期にも現地のコミュニティと一緒に有益な仕事をしていることを記憶にとどめておくことは重要である。
米国の占領が不人気であり、暴力と破壊がイラク社会をおおっているにもかかわらず、西側世界とくに米国においては、占領への反対は口にされず受動的な状態を続けている。イラクで米国の残虐行為が続いていることは西側世界ではアクビで迎えられている。ちょうどバートランド・ラッセルが、かつて、「帝国主義国の市民が植民地の状況について知り、注意をむけるようになるのは、いつも最後になってからである」と書いたように。
イラク社会の計画的な破壊と占領が始まって以来、西側世界の「反戦」運動は、「原理主義者」による「暴力的な」レジスタンスを支持しないふりをして、沈黙を守っている。この主張を広げているのは、不幸にも、占領軍とブッシュの右翼政府である。暴力は占領によってもたらされており、占領を終わらせるために戦っている人々によってではない。武力的な抵抗は、外国の軍隊による乱暴な占領から生じているのである。祖国とその国民を守るために(侵略者を)殺す人々が「テロリスト」呼ばわりされ、一団となって暴虐な統治を押しつけようと殺人をしている者が西側「文明」の高貴な男たち(女たち)というわけだ。アメリカの公民権が叫ばれたとき、キング牧師はこう言った--「世界で最大の暴力調達者である自分の国を最初に批判することなく、・・・抑圧された側の暴力に反対する声を再びあげることは、私には決してできない」。
イラク・レジスタンスの原則的な目的に反対して、占領軍とともに行動する犯罪分子がいる事実は強調されるべきであろう。イラク・レジスタンスのイメージを歪めるこのような行為は、目的をもってレジスタンスの信用をおとしめるよう計画されたものである。イラクからのレポートは、違法かつ暴虐な占領に反対して戦う合法的で大衆的なレジスタンス運動の歪曲されたイメージとは相矛盾する。(Molly Bingham、ボストングローブ2004年12月15日)。「イラク・レジスタンスを軽視するのは誤りである」--米軍人キム・ケスラン中佐は2003年10月、『ウォール・ストリート・ジャーナル』にこう語った。さらに、「もし誰かがテキサスに侵略したら、われわれは同じことをするだろう」とも付け加えた。
レジスタンスの目的は、イラクから外国軍隊を無条件で撤退させることであり、イラクの主権を取り戻すことである。レジスタンスのなかに外国人がいるという証拠はない。外国人はむしろアメリカ、イタリア、ポーランド、イギリス、オーストラリアの軍人である。もしレジスタンスと一緒に戦っている外国人がいるならば、彼らはイラクの同胞とともに戦うことを歓迎されるであろう。ジョン・ハワードのオーストラリア政府は、圧倒的多数のオーストラリア国民の意志に反して、伝えられるところではアメリカ、日本、イギリスの「同胞」を「助けるため」に、イラクに450人の兵士を派遣する。それなのに、なぜ、イラク国民はイスラムとアラブの同胞に助けを求めることはできないのか? イラク国民は外国の侵略者に反対して、自分たち自身と自分たちの国を守るための合法的な権利を有している。
国連憲章および数多くの国連決議によると、国際法はみずからの国の占領を終わらせるために、「処置に必要なあらゆる方法」を用いて、不法な占領に抵抗する国民の権利を保証している。レジスタンス勢力は、「支援を求め、支援を受ける資格がある」のである。武装したレジスタンスはアメリカにおいてイギリスに対して用いられたことがあり、フランス、ユーゴスラビア、ノルウェーにおいてナチに対して用いられた。イタリアの判事クレメンティナ・フォリオは2005年1月24日、ミラノにおいて開かれた予審公聴会の裁判官をつとめ、彼によって下された歴史的な判決は米国の占領に反対するイラク国民の闘争にもう一つの合法性を付け加えた。フォリオ判事は、被告人(5人の北アフリカ人)はテロリストに分類することはできない」が、レジスタンス戦士であるという裁決をおこなった。彼女は言い渡した--「戦士を派遣することによってイラクで米占領軍に抵抗することはテロには当たらない」と。この判決はイタリア法曹界の圧倒的多数によって支持された。
米国のイラク占領は失敗した。戦争前から始まっていた普通のイラク国民の生活分野における基本的な改善さえ、今は見えなくなってしまった。多くのイラク国民は、以前よりももっと生活苦と不幸が増えている。保健制度は悪化し、イラクの社会基盤は崩壊しつつある。不安定と失業が危険レベルに達しつつある。イラクの将来は、今日、イラク国民によって決定されるものではなく、腐敗した無能力な米国の政府によって決定される。アメリカが設置した長期国外居住者と売国奴による傀儡(かいらい)政府は、中東地域を支配するのに新たな装いをアメリカに提供するのは誰か、そして誰が占領者により良く奉仕するかをめぐって、その内部で互いに地位を争っている。
違法な選挙と結びついたアメリカの新戦略は、占領と国際化の外観を変えようとしている。そこでブッシュ政府は、新たな戦争を追求し操作するための基本方針を持ちたいと望んでいる。アメリカはクルド民兵をもっと訓練し、小さくなった「有志連合」からの軍隊増派を要請しているところだ。この化粧用の変化はお笑い劇のPRである。占領統治は、イラク国民の意志に反して、アメリカとイギリスの軍隊による占領を維持している。占領とは「自由」と「解放」ではなく、占領とは抑圧と恐怖のすべての特徴を備えた暴政である。
その間に、英雄的なイラク・レジスタンスは臆病な自称アラブの統治者(実際はアメリカから設置された)や、アラブ知識人の破産とは好対照であることを際(きわ)だたせている。イラク国民は米国の占領と人工的な分断政策のもとにとどまりそうにない。
西側諸国の首都で戦争に反対してデモをした人々とのあいだに「連帯」があるにしろ、ないにしろ、イラク人の大衆的なレジスタンス運動は米国主導の占領に反対して、米国がイラクから撤退させられるまで続くであろう。米軍の撤退のみが、イラクに真の自由と民主主義の可能性をもたらすだろう。
外国の大国から独立した自決権は、イラク国民が自己を統治する権利である。いったんそれが達成されると、外国の統治から離れて、イラク国民はみずからの社会とみずからの国を建設する機会を手に入れるであろう。イラク・レジスタンスが中東その他の場所でアメリカ帝国主義を阻止するであろう。
※Ghali Hassan ガリ・ハッサン:西オーストラリアのパースに住んでいる。
(訳者による補足;パースにあるカーティン大学の科学・数学教育センターに勤める。これまでもイラク問題やパレスチナ問題で多く発言している。)
参考:http://www.selvesandothers.org/view645.html
URUK NEWS イラク情勢ニュース(山本史郎) (転送・紹介歓迎)
エジプトの英文有力誌アハラーム・ウィークリーの729号(2月10日-16日)は、イラク人元外交官のサラーフ・アルモフタール氏の小論を掲載した。
アメリカがイラクにおける選挙実施を主張する裏にある究極的な目標の評価において、多くの人々が過ちを犯している。よくある誤解の一つは、選挙実施によって、イラクで誰が権力を握るべきかという問題に対する民主的な解決がもたらされるだろう、という仮説だ。
二つ目の仮説は、選挙はイラク内戦を食い止める助けになるというもので、三つ目の主張は、選挙を実施することで、合法的な政府当局からそうするよう要請されれば占領軍も、より容易に撤退できるだろうから、選挙こそが、イラク人が占領から抜け出せる唯一の現実的な方法だというものだ。
こうした類は皆政治理論であって、イラクにおける出来事のうわべのみかけを論じているにすぎない。そうしたものは、一見、いかに厳密、かつ、しっかり研究しているかのごとく見えようと、事の核心、つまり、アメリカが選挙実施を言い張る背後に隠された、戦略的目標を覆い隠すものでしかない。ここで今必要なのは、より大きな戦略的構図に関する、イラクにおける出来事についての熟慮した客観的な分析であり、占領を続けるか、或いはイランの利益を実現するか、のいずれかに利害関係をもつ様な連中が良く使う、陳腐な単純化のやりすぎを避けることなのだ。
ワシントンはなぜ、ひどい治安状態にもかかわらず、選挙を行うべきだと主張するのだろう?
アメリカの本当の狙いは、もはやかつてそうであった程、神秘的なものではなくなっている。過去20か月間にわたる事態の展開で、アメリカが、万一激烈な武装勢力の抵抗によってイラク退去を強いられた場合に、イラクにおける特定の戦略的目標を確実に実現できるよう工作をしていることを示す明白な徴候が。
選挙を行うべきだという主張の最も重要な理由の一つは、アメリカが合法的だと言えて、自由選挙のたまものだとして国際社会に提示できる様なイラク政府を樹立することである。そうした政府は、決定を行い、国際的法規の元で施行可能な条約に署名する権限を持つのだ。これこそまさにアメリカが、二つの基本目的を達成するため、どうしても実現する必要があるものなのだ。猛烈なイラク武装勢力の抵抗によるこれ以上の人的物的損失を避ける為のイラクからの迅速な撤退、及び、長期的な戦略的及び経済的条約の締結だ。
計画されている軍事条約の中には、国内にアメリカ軍基地をつくることができるという条約もある。その中には、アメリカがイラクの油井を管理を確保し、アメリカ軍がこの国の他の地域に容易に接近することを可能にするよう14の主要な基地が含まれる。経済的条約のもとで、イラク政府はアメリカの企業に対してイラク石油採掘の長期的な利用を認可し、そこには、十中八九この国の石油産業の民営化が含まれよう。
サウジ・アラビアの様なこれまでの供給国が、生産量を削減する一方で、アメリカの石油消費は今後10年間で倍増することになっているので、こうした条約の期限が25年より短いということはまずあるまい。アメリカは、政治的な障害の対処に煩わされずに利用できる、新たな、比較的未開発の石油資源が必要なのだ。イラクはそうした資源の一つだ。
この問題のもう一つの側面は、中国やインドのような新興大国もますます大量の石油を必要とするであろう点で、それは市場の石油備蓄に対する競合をひきおこすが、これはCIAが、今後15年間のエネルギー問題についての報告で指摘していた通り、需要は満たせない。
アメリカ軍基地をイラクに築きあげ、国際的に拘束力のある条約で同国の石油を支配することによって、アメリカは、二つの主要な目標を達成することになるが、その両方とも、アメリカ帝国の勃興と、潜在的ライバル排除の礎なのだ。
そのような条約の本当の価値は、例えば、アメリカと革命前のキューバ政権との間でグアンタナモ湾を巡って締結された条約を思い出すことによって初めて明らかになる。その条約の元、この地域は、アメリカに対して99年間賃貸された。革命後、キューバは、アメリカにこの湾地域の返還を要求したが、前の政府が署名したを根拠にして、アメリカは激しく拒否した。
したがって、ソ連と国際的な支持にもかかわらず、アメリカの合法的な主張を前に、キューバがグアンタナモ湾返還を実現することが出来なかった事を念頭におくと、万が一「選出された」イラク政府がそうした条約に署名するようなことがあれば、どれほど危ういことだろう。
アメリカの占領は、そもそもの端緒からイラク分割を狙っていたものの、アメリカが去れば、おそらくは再度中央集権化し、再統合するであろうこともまた分かっていた。したがって、イラクを内部から弱める為には、中央政府は弱く、北や南、さらに中央三角地帯に、提案されているような強力な自治権をもった行政区がある、連邦国家樹立を狙う事が不可欠なのだった。イラクの人的、経済的資源をうまく活用し、他の第三世界におけると同様な形で、科学的、技術的な進歩を達成でき、回復力に富んだインフラストラクチャーを確立するような、強力な中央集権的政府があって初めて、イラクはこの地域における重要な権力としての役割を演じることができる。ワシントンの戦略は、イラクという国家を分割することだった。
政府を転覆するだけでは満足せず、占領軍はこの国のインフラストラクチャーを破壊し、歴史的な場所(例えば、イラク国立博物館)や文化的に重要な場所を破滅し、学びの場所を略奪した。
この三部構成の連邦国家は、合法的な政府と憲法によって承認されることが必要だ。被占領国家の法律及び経済制度に対するいかなる変更も行うことを禁じるジュネーブ協定に定められた通り、いかなる占領国も、イラクという国家の基本構造に対するこのような根本的変更を認める権限を持たないということを、占領者はいやというほど分かっている。
選挙はそこで、弱められた国、連中の言い方によれば「連邦」イラクを創り出す上で、不可欠だったのだ。連邦政権は、選挙によって、北と南からの支持を得、特にもしも国連、或いは安全保障理事会が、選挙結果を支持すれば、国際社会からの外的な支持をも得るだろう。
抵抗勢力の攻勢が激化する中、1月30日にイラク選挙が強行されました。主流メディアにはちょうちん持ちの報道が多く流れ、2月2日の一般教書演説でもブッシュ大統領は明るい未来を描いて見せました。スンニ派はボイコットし、実施された選挙そのものにも問題点が多すぎるこの選挙に対して、国際行動センター(International Action Center、IAC)が選挙翌日、声明を出したので紹介します。IACはアメリカのクラーク・ラムゼー元司法長官が立ち上げ主宰し、平和・連帯・真実を目的として国内外で共同行動を提起している、ニューヨークに本拠を置く団体です。(TUP/寺尾光身)
「大ばか者が、何の意味も無い話を、こわ高く大仰に語っていることよ」
-ウィリアム・シェイクスピア≪訳者註:『マクベス』5幕5場≫
メディアもブッシュ政権も調子に乗って、この週末に行われた選挙を民主主義の勝利と吹聴している。だが、この選挙はイラク現地では何の変化ももたらしていない。選挙翌日の1月31日月曜日、イラクの人びとが眠りから覚めたとき、自分たちの国は15万の米軍の占領下にあり、CIAお抱えのアヤド・アラウィは大統領に据えられたまま、さらに14箇所に常設軍事基地を建設するペンタゴンの計画が依然として進行中であった。
民主主義とは、「人民による支配」を意味している。この日曜日の出来事は、単に軍事占領と傀儡政府による支配の引き伸ばしに過ぎない。
この一場の政治劇は、正確にはとても選挙と言うことさえできないものである。選挙といえば、いずれ就任して何らかの権力を行使する者を、有権者が候補者から選ぶことができるものだ。今回の選挙では、有権者は任意の候補者に投票することも、政党に投票することさえもできなかった。そうではなく、リストに投票することを許されるだけだった。そのリストにどんな複数の政党、どんな複数の個人が記載されているのか、知るすべが無かった。これらのリストはブレマーに指名された選挙高等弁務団が承認したものだった。7700人の候補者の名前は公表されておらず、したがって実際に一票を投じられたのが誰なのか、わかるはずがなかったのだ。
このような手続きで結果として選ばれた候補者に、行政権、立法権を執行することなどできはしない。暫定的国民議会を構成し、その議会が占領軍の監督の下に憲法草案を作成することになる。
イラク国民には占領反対に票を投ずる機会は与えられなかった。匿名の候補者リスト、イラクを植民地化しようとする米国の計画を改変する力もない、米国の承認を受けた候補者のリストに投票することしか許されなかったのだ。
もちろん、イラク国民は自己の未来を決定するのだから、自由で開かれた選挙で投票することを望んでいたのに、占領側は候補者名簿に載っていなかったので、選挙に対するどのような主張も、無意味になっていた。
この戦争でアメリカに殺された10万以上の人びとには投票する機会は与えられなかった。むろん、アブグレイブの拷問部屋の中の囚人にも。
伝えられるところによると、ブッシュ政権はこの選挙は、過去50年間で初めての民主主義的選挙であると言明している。ここで、この前の民主主義的選挙と言っているのは、米英によって政権の座に据えられた独裁政権の下での、行政権も立法権も持たない諮問機関を選ぶという代物だった。この諮問機関の唯一の機能といえば、傀儡政権に正当性の仮面をかぶせることであって、この選挙はイラク国民が米英石油企業の支配下におかれているという事実を変えるものではなかった。その後3年も経ずして、この腐敗した独裁政権は、圧倒的な人民の革命的蜂起によって倒された。そのとき以来、米英はイラクを以前のような半植民地状態に戻そうと努めてきた。今回の選挙は米英のこの計画の一環なのだ。
米政府は中東に民主主義を持ち込みたいと表明したことなど、一度たりともなかった。元米国務長官ヘンリー・キッシンジャーは、米国の中東政策を、「中東の石油は極めて重要なので、アラブ諸国の手に委ねることなどできない」と要約した。アメリカは、米軍を駐留させている中東諸国のどの国においても、民主主義を持ち込む努力などしたことはない。クウェート、サウジアラビア、アラブ首長国連合の国民はみな、封建独裁政権の下、自由選挙も、市民的自由も、市民的権利も、労働者の団結権も、女性の権利も、一切無い所で生きているのだ。
この選挙がどのような状況の下で挙行されたかをはっきりさせることが重要である。15万以上の米軍がこの国を占領し、イラク国民に銃口を向けてパトロールしている。イラク全土で、米占領軍は前例の無い治安対策をいくつも強行している。発見即発砲の夜間外出禁止令、国境閉鎖、自動車禁止、イラク国内での旅行制限、その他である。
この選挙は米国大使ジョン・ネグロポンテの采配の元で行われた。ネグロポンテは1981年から1985年まで駐ホンジュラス米大使を務め、コントラ・テロリストと暗殺団に関わった人物である。ネグロポンテが大使であった間のホンジュラスは、レーガン政権がニカラグア、エルサルバドル、グアテマラ国民にたいして暴虐な攻撃を行うための出撃基地であった。≪訳者註:ネグロポンテについては、『TUP速報310号 新・駐イラク米国大使の暗い経歴 04年5月16日』[TUPアンソロジー『世界は変えられる』第II集(七つ森書館)に所収]に詳しい。コントラはレーガン米大統領がCIAに作らせたニカラグアの反革命武装組織で、多数のサンディニスタ民族解放戦線メンバーを暗殺し、その政権を崩壊に導いた。≫
ネグロポンテの前任者であるポール・ブレマーがこの選挙の諸規則を作った。選挙の実行組織、選挙高等弁務団はブレマーが指名し、米政府の認可条件に適合しない政党にはすべて資格を与えない権限を持っていた。退任する前にブレマーは、選挙によって無効とすることのできない一連の条項を公布した。国際法に違反するその条項の多くは、イラクの天然資源の略取と経済支配に関するものである。イラク国民がどの候補者リストに投票しようとも、イラク国民の未来に影響を及ぼす決定が、ウォールストリートからの司令で動く占領政府によってなされ続けているのである。
ネグロポンテを支援しているのが、米企業のために外国の選挙を不正に操る長い経験を持ち、政府からも資金が出ている二つの組織、米国民主党国際研究所と共和党国際研究所である。両組織とも、米国民主主義基金および米国際開発庁と密接に連絡を取りながら仕事をし、外国での秘密活動のためにCIAに利用されてきた。例えば、民主的に選出され人気もあったベネズエラ大統領ウゴ・チャベスを失脚させようとして、クーデタや罷免国民投票の画策に関わったのが両組織である。また、ウクライナで確実に親米の国家元首を据える工作にも加わった。
ベトナム人民に対するアメリカの戦争の最中にも、似たような選挙が行われた。軍の占領下、アメリカが管理して行われたもので、真のベトナム自身の政府を成立させるようなものでは決してなかった。ベトナムでアメリカが画策して行ったどの選挙でも、占領下政府に正当性を与えたり、抵抗を終わらせたりすることはできなかった。同じように、イラクのこの選挙も銃を突きつけられながら行われたものであり、戦争犯罪人によって管理され、CIAのトンネル会社の演出によるものだった。これが民主主義といくらかでも関係があるなどと装うとは言語道断である。
この選挙は、国際監視団が来ていない点でほとんど類まれであった。投票行動、投票用紙が正規のものかどうか、開票行動などの部外者による監視が全く無かった。唯一行われた監視も米国民主党国際研究所のような機関によって訓練を受けた監視者によるもので、言ってみればCIAによるものだ。
選挙過程を見守る国際監視団がいないのだから、選挙自体、選挙を実行している主体-ブッシュ政権-の信用度と同程度の信用しか得られはしない。ブッシュ政権こそ大量破壊兵器のことで嘘をつき、アルカイダとイラクの結託のことで嘘をつき、この戦争と占領に関すること全てに嘘をついていたではないか。
米国で占領反対が勢いを得てきている。下院議員を含め、多くの人びとが占領を終結せよと要求し始めた。
この選挙は、事態が前進しているという幻想を作りだすべく演出されたものであり、昨年6月28日に行われたまやかしの政権移譲と変わらない。狙いは占領を正当化する新たな虚構を捏造(ねつぞう)することだ。大量破壊兵器に関する数々の嘘が明るみに出されてきた。9月11日の攻撃にイラク人が関与していたということも嘘だったとわかった。そこで今度は、ブッシュ政権は占領継続を正当化する大義として民主主義にとびついたのだ。
アメリカはイラクに民主主義をもたらさなければならないとか、アメリカがいなければこの国は内戦に陥るしかないという主張は、人種差別以外の何ものでもない。それは大英帝国や他の帝国が他国をまるごと植民地とすることの正当化のために使った議論の焼き直しである。
投票した人の多くは、自分の国の占領終結を確かなものとする過程の一部であると思って選挙に参加したのだ。どの世論調査も、イラク人の圧倒的多数が占領の即時停止を求めていることを示している。ひとたびこの選挙が占領延長と国土の不法占有の正当化に役立つだけであることを悟れば、これまでにない激しい憤りと抵抗を起こさずにはいないだろう。
投票率が圧倒的な高さだったとメディアは報じているが、多くの地域で投票所が開かれなかったり、投票所には人影も無かった。ファルージャ、サマッラ、ラマディでは投票したのは一握りの人びとにすぎなかった。在外イラク人では有権者の80%が投票しなかった。このことは低投票率は安全に問題があるからであるという神話を否定するものだ。投票率が低かったのはイラク国民が占領に反対し、この選挙が自国を占領している者の広報活動の一つであることがわかっているからである。
本当に民主主義のことを思うのであれば、イラク国民が占領に反対していることは素直に理解できる。イラクの人びとが軍隊の即時引き揚げを求めており、それも選挙を演出し、傀儡政権を樹立させておく前に、引き揚げるよう求めていることは、世論調査が繰り返し示してきた。
国内全域で抵抗が強まっていることは、イラク国民が占領軍についてどのように感じているかを示している。占領軍は民主主義をもたらすためにいるのではない。むしろ、それがもたらしたのは、死、破壊、拷問である。イラク国民と世界中のますます多くの人びとが占領の終結を求めているのである。
2005年1月31日