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笠井一朗20040804生活ホットモーニングを見ました

佐藤真紀200707イラクのこどもたちは今 Audio20070705 20070706

先日、大嶋愛さんに紹介していただいたラジオ番組を録音しましたので、聞き逃した方は上行をクリックしてください。音声ファイルをダウンロードできます。

一朗20070706佐藤真紀さんのインタビュー番組「イラクのこどもたちは今」を聞いて

「劣化ウランは安全だ(あるいは、使っていない)」と言い続けてきた自民党政権と政府機関だが、その言質(ゲンチ:のちの証拠となる言葉)を無視するかのように、躊躇することなく、佐藤さんは劣化ウラン(DU)が小児ガンなどに直接影響があることをサラッと言ってくれた。有り難い。

彼は、一九六一年生まれ。早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業して大手タイヤメーカーの研究者として勤務。その後、青年海外協力隊を皮切りに、JVCなどで中東の各地で平和教育、開発教育分野で活躍、イラクの白血病を支援するJIM―NET事務局長として現在に至る。科学技術の研究者としての彼の視点は、陳腐な政治家に見られるような詭弁を弄することもない、科学する目をもって事象を観察する。

「米国や英国など戦闘行為実行国では、自国民を説得するために戦争の大儀をきちんと説明する必要があるようだが、日本など戦闘行為支援国では、そういった大儀はさほど必要ではないのだろう、国益に適うということを自国民に示すことが出来ればそれでいいような風だ」とする彼の観察は興味深かった。コスタリカのように違憲訴訟を起こされ軍を撤退した国もあったし、スペインのように左派が政権奪取を果たした国もあったことはあったのだが、、、

パレスチナの子供に平和をどう考えるかと尋ねたところ、「ユダヤ人と仲良くするのが平和だとは考えない。家族が健康で、今迄住んでいたところに安心して住み続けること、それが平和だ」と答えたそうだ。それはちょうど「敵対するものが一見仲良くすると平和が到来するようなイメージを日本人は好むが、それは軍事占領という構造的な暴力を覆い隠すものであり、たいへん危険なメッセージである」と日本人意識の隠蔽構造に警鐘をならした土井敏邦氏(ジャーナリスト)の言葉を想起させる。

番組の最後の方で「早く『暴力の連鎖』が終わって欲しい」といった趣旨に流れていったが、実は、私はこの言説が好きではない。軍事超大国でテロ国家である米国を兵站支援する日本国、その国民にとって「暴力の連鎖」という言葉は、中東での戦争をまるで対岸の火事のごとく眺めていられる精神構造を支援するからだ。

「対テロ戦争」「宗派間対立」「貧困が戦争の根源」という論調が番組を通じて話の折々に混ぜられていたが、これでは植民地主義を遂行する立場からの目線でしかなく、軍事侵略に続く占領行政の中での支援活動を超えるものではない、と強く感じる。佐藤氏は、米軍のイラクに対する軍事侵略の目的が、イラクの地下資源や軍産複合体の売り上げに貢献する、といった理解までは良かったが、「対テロ戦争」という植民地主義を遂行する資本主義陣営の側のプロパガンダにスッポリ納まっている。つまり、戦争というイベントを必要とするシステムに抗うことを辞めた姿勢であろう。

白血病患者が化学療法で治癒する可能性はあるものの、内臓に沈着した放射性重金属であるウラニューム238が除去されるわけでもない、その後も環境からたえず摂取され続けるDU238、この残酷な現実を我々は、軍事侵略兵站支援国の側の人間として、絶えず気に留め置く責務がある。

さて、イラク国民にとって我々に何が出来るか。唯一、軍事侵略を止めさせ、撤退させることでしかない。しかる後に、イラク国が米国に対し、戦争犯罪を訴追し、戦後補償を求めたいところだが、、、「対テロ戦争」という軍事侵略する側からのプロパガンダに、見事に瞳孔が開いて集団催眠に陥った状態にある、奪う側の立場にある日本国民は、論理的思考を取り戻して正気に戻ってもらいたい。「日本の美しい心」を取り戻すなどと情緒過多になって自画自賛しては、とうていイラクは救われない。(一朗20070706)

大嶋愛20070704さっぽろ自由学校「遊」メーリングリスト

こんにちは東京の大嶋愛です。今日の夜といいますか、日付が変わった朝のお知らせです。NHKラジオ深夜便は朝4時台・・・。朝早いですが、日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)の佐藤真紀さんが、イラクのがんの子供たちの様子などを2日に渡り両日とも45分たっぷりとお話されます。友人の歌詞に私が曲をつけて歌っている「空に小鳥を地に花を」がほんのちょっとですが紹介してもらえるそうです。ぜひ聞いてください!


ラジオ深夜便「心の時代」

7月5日、6日の2日にわたり日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)の佐藤真紀事務局長がラジオ深夜便に出演します。この仕事を始めたきっかけや、イラクの癌の子どもたちの様子、そして、支援者の方々の活動の紹介として、秋田の聖霊高校ハンドベル部が、バグダッドのヌハッドさんの詩に曲をつけたチャリティCDや、白血病の子どもの詩に曲をつけた「青い空と白い鳩」木嶋康晃作曲、歌ミュウや、札幌で生まれた曲「空に小鳥を地に花を」高橋伸枝作詞、大嶋愛作曲などを紹介。チャリティソングとしてコンサートなどで歌われています。朝の早い時間ですが、聞いていただけたら幸いです。


一朗20040804生活ホットモーニングを見ました

NHK御中、赤尾様、谷澤様、今井様

8月4日朝9時頃にNHKが放映した「生活ホットモーニング」を見て、メールを差し上げました。今井さんのアドレスが分からなかったので、赤尾さんと谷澤さんにだけメールします。NHKに対しては、本文を「生活ホットモーニング」の「御意見フォーム」から送信しました。以下は、番組と出演者に対する意見文です。

1、2003年3月20日に始まった米国のイラクに対する軍事侵攻は、国際法でいう「戦争」ではありません。米国議会が宣戦布告をしたわけでもなく、また、国連決議もありませんでした。

2、米国は5月2日の「戦闘終結宣言」をもって、形式上、戦争が終わったということにしており、日本政府もこの形式に則っています。つまりイラク特措法で定められているところの「戦闘地域」は、イラクには存在しないというのが日本政府の本音です。この番組や出演者の方々もその解釈に従っているようですが、前述の如く、宣戦布告をしたわけでもない「戦争」に対して、イラク国の元首が降伏文書に調印もしない「戦闘終結宣言」をもって「『戦争』が過去の物であった」とする考え方に、私は協調できません。

3、この「戦争」が必要悪であったかとするような二元論を皆様が展開または反論しないでいましたが、「戦争」はフセイン大統領の悪政から解放するために必要であったのではないかとする論法は、「戦争は悲惨なもの」「仕方がなかった」と結論づけるだけです。この「戦争」の目的や、非道な手段を、「イラクは遠くにある国」程度の認識にしてしまいます。それでよいのでしょうか?

4、「戦争は終わったけれども治安はなかなか回復しない」といった言い回しが使われてましたが、侵略行為に対する自衛権は国際法でも認められており、米国はそれを逆手にとって、「英国が45分以内に攻撃される状況におかれていると判断したがため、集団的自衛権を行使した」わけですが、正論からすれば、イラク国内での米軍に対する「(巷でいわれている)テロ行為」は侵略軍に対する自衛行為にほかなりません。彼らはテロ集団ではなくレジスタンスです。国際法でも認められています。NHKやマスコミ諸氏におかれては、レジスタンスの発表した公式声明(コミュニケ)に注目すべきです。そうでないなら、米国の侵略掠奪と占領統治に荷担することと同意です。ちなみにレジスタンスのコミュニケに日本語の字幕を入れてみましたので、是非ご覧下さい

上記映像はダウンロードして配布していただいても、かまいません。コミュニケの原文は英語です。英国が宗主国であったと感じさせる発音ですね。原映像の著作権はイラクレジスタンスにありますが、全世界へ拡がることを希望しています。

日本語訳は私がしました。意訳している部分が多分に含まれます。が、その理由は、日本人が侵略の加担者であるという意識が低いため、レジスタンスの語りかける矛先(二人称)が、日本も含まれているという認識を持てないだろうと想像できる場面では、代名詞を明確にした場面があります。

ビデオファイルの配布に際して、訳者(笠井一朗)の紹介は加えなくても構いません。配布する場合、その旨をお知らせ頂ければ、修正やコミュニケが追加される際、ご連絡差し上げることが出来ます。

以上、乱文にて失礼します。


さっそく、感想を頂きました。

関係者の方からもメールをいただきました。抜粋して掲載します。


--------論点1、2に対して--------

「法的」にあれが「戦争」であったかどうか、に関しては、確かにおっしゃる様な解釈もありえるとは思います。ただ自分はその点に関して興味を持てませんし、こだわりません。「戦争」であれ「紛争」であれ、実際にそこに住んでいる人間が戦闘に巻き込まれている、或いはその危険を感じているというのであれば、それは十分に「戦争」「紛争」たりえます。国際法的に云々、といった議論は彼らのものにはならないと思います。そういう意味では未だにイラクも場所によっては「戦争」が終結してはいないわけで、イラク戦争が過去のものになったなどとは考えておりません。

--------返答--------

国際法や憲法は大方、人々が健康で文化的な生活を営むことが出来るに必要な権利を権力機構から保全する性格があります。権力機構側にしてみれば都合の悪い項目もあるので、別途、法律で自らを拘束しようとはせず、法的拘束力を規定しないように努力します。ジャーナリストを含め権力を持たない人々にとって、法的拘束力の如何に関わらず「法」が拠り所になるのは自明です。

内閣総理大臣名で靖国神社に参拝することは憲法20条3項の政教分離に違反する旨の判決が出ましたし、昨日の衆議院解散は憲法7条3項の天皇が主体であるはずの国事行為の乱用に当たります。こうした権力者側の横暴に対する法的拘束力は往々にして効かないのが実情です。

それでもイラク特措法の適用に当たり、憲法9条1項の規定する武力行使に当たらないとするために、「イラクは戦闘終結宣言を持って戦争状態でない」という解釈が必要なのです。英国は自国自衛のため、そして米国は英国(同盟国)を守るためにそれぞれの個別的並びに集団的自衛権を行使したわけですが、日本政府はイラク侵攻当初から、英国が45分以内に攻撃されるだとか、大量破壊兵器を持っているだとかが、論破された後もなお、米英は国連決議1441に基づいた行動であるという認識を崩していません。もちろん、米英政府はそんな主張はしていませんが、日本政府にしてみればそうしないと、交戦権(集団的自衛)の行使という憲法違反となるからです。法的拘束力が脆弱であるにも拘わらず保身の姿勢をとるのです。民主主義の法治国家に属する権力を持たない人々が「法」を重視すべき理由がここにあります。イラクでの「戦争」や「紛争」を止めるため「国際法的に云々」するのは我々が出来る有効な手段の一つです。


--------論点3に対して--------

番組が「二元論」という次元にとどまっているとおっしゃるのであれば、恐らく発言趣旨を読み違えておられるか、或いは編集加工の結果ではないかと思います。(あいにく私は放映をチェックしておりません)

--------返答--------

発言の流れ、3名の方々をインタビューした取材役の女性(名前を失念しました)の問いかけや番組の流れなど、全体から受ける印象でそう感じました。多分に「編集加工」によるところが大きいと感じています。


--------論点3に対して--------

自分自身は、戦争を否定ないし肯定するという単純な選択からは極力身を遠ざけたいと思ってますし、その間の「よくわからない」という灰色ゾーンにとどまっています。そして自分をそのような位置に持っていったのはやはりイラクでの体験です。イラク戦争に関して言えば、戦争の非道、に対する想像力を、独裁の非道、に対しても巡らしてみるべきだ、自分はそう思っています。それが抜け落ちると、それこそおっしゃる「二元論」の片側に嵌まり込んでしまうのではないでしょうか。

イラク人、少なくとも自分の付き合いのあった人たちの、感覚では過半数が、幅はあるとはいえ、先のイラク戦争を「必要悪」或いは「もう過ぎたこと」として捉えていました。だから「必要悪」なのだと言うつもりはありません。けれども、「遠い」ところから我々は、いや少なくとも自分は、彼らの内側にある葛藤を見たい、そこに思いを馳せたいと思うのです。是か非か、の結論を出す必要は必ずしも無いし、或いはそんなものを求めたところで、それはその人個人の「結論」でしかないし、自分にとってはそれは「思考停止」のサインにも見えるときがあります。

蛇足ですが、私自身はイラクは「遠い」ものであると思っています。心理的なものも含めて、その距離だけはどうしようもない。「遠い」という認識をしてから初めて、「どう考えるか」というステップに行けるのだと思います。世間の大勢が「イラク、遠いな」という認識でいることに関しては、全くその通りであろうと思いますし、それが問題だろうかと逆にお伺いしたい。近い遠いは個人の感覚であり、イラクに行ったことのある人間が「遠い」と感じようが、行ったことのない人間が「近い」と感じようが、そこに対して周りが干渉できるものではないでしょう。

--------返答--------

「イラクは遠くにある国」という表現が舌足らずでした。「遠い」というのは私の周りの人がよく口にするものですから。それは、地理的に「遠い」だとか、心理的(文化的)に「遠い」だとかいうのではありません。私の周りの人方がいう「遠い」というのは「関心があまり無い」という意味合いが強いのです。日本が他国(イラク)において(対して)、米国とタイアップして交戦権を行使している状況が如何に由々しき問題であるかという点が抜けているのです。


--------論点4に対して--------

マスコミだけではないと思いますが、「テロ」という定義のはっきりしない単語の「アホの一つ覚え」的使用は、非常に危険な傾向だろうと考えます。この点に関しては同意しますが、果たしてその「レジスタンス」の中身が「レジスタンス」たるのかは大いに疑問です。つまり、本当にイラク人が行為の主体となっているのか、という点です。

そしてそれ以上に、彼ら(と言えるほど単体であるとは思いませんが)が今まで関与した攻撃において、一体どれだけの人間が巻き込まれ死んでいったのかを思うとき、それは果たして「自衛」なのかどうか。本来「まもる」べきはイラク人でしょう。けれどもそのイラク人が圧倒的大多数犠牲になり続けているわけで、この類の無差別攻撃に対して自分は支持を表明できない。そもそもこの「レジスタンス」は一般の(という大雑把な括り方は避けたい限りですが)イラク人にどこまで支持されているのでしょうか。

--------返答--------

資源の略奪と抵抗勢力の粛正を目標とする米国の軍事行動に対抗するレジスタンス軍の軍事行動は、必然的なものです。先の大戦後、日本において存在を許容された軍属のもたらした日本の現在を省みれば、レジスタンス軍を支援することが地球規模での平和を希求するのに必要だと分かります。侵略軍側にしてみれば、ゲリラ戦を得意とするレジスタンス軍を囲い込むために、CIAやモサドなどの工作員による攪乱作戦に出るのは常套手段です。私は米国に留学したことがありますが、大学2年生レベルの「国際政治学」の授業で常套手段の数々を教えています。びっくりすることですが、事実です。ルイジアナ州立大学でした。


--------論点4に対して--------

レジスタンスのコミュニケを見て、それが報道で登場するような「テロリストの犯行声明」などと違って、われわれの理解しがたい世界観で行われる一方的な宣言ではなく、伝える相手の価値観を知ったうえで、それに訴えるよう十分配慮されていることを知って、正直おどろきました。

これを見て、「プロバガンダである」と一蹴する米高官の顔が目に見えるようではありますが、この相手(わたしたち)の倫理観や価値観に触れずにはおかない「問いかけ」に、アメリカと、アメリカに従うべく行動しているわたしたちの国はどう応えたらいいのか....?

このコミュニケの映像は、日本の従来の報道媒体では一度も(少なくとも全部は)紹介されていないと思いますが、アメリカの「コミュニケ」にはいやというほど接しているわたしたちにとって、「ことの次第」を偏りなく知る意味で、途方もなく重要なんじゃないかと感じました。

--------返答--------

今まで幾人かの人にビデオを紹介したことがあります。絶讃してくれはしましたが、それ以上に拡がっていません。「共産主義に対する赤狩り」のような恐怖感が日本人に植え付けられているのではないでしょうか。あなた様のような反応を頂いたのは初めてです。有難うございます。


--------田中哲朗氏から--------

イラクレジスタンスのメッセージ、翻訳ご苦労様でした。

「アメリカの暴挙に対して世界中から声を上げて行かなければならない。」オーストラリアの2人組が言っていました。

DVDを見て一つ疑問に思ったのは、このレジスタンスはフセイン政権下ではどういう立場にいたのだろうか? という事でした。その説明が入っていると説得力が増すと思いました。

--------返答--------

恥ずかしながら、2003年の3月まで、そして日本政府が自衛隊を派兵するまで、私のイラクに対する知識は皆無でした。詳しい方にうかがってみようと思います。(20051227)