【第25夜】
パレスチナ問題(3)
「ユダヤ人だけの国家」というイスラエルの矛盾
激しいパレスチナ人とイスラエルの衝突、報復が今なお続いている。こうした悲劇
的事件の繰り返しをマスコミで見聞する度に思い出すのは、1970年代、東京、青
葉台のPLO東京事務所であったファトヒ・アブデルハミード所長との会話である。
ハミード氏は、アラブの知識人の中に良く見受ける博学で、物静かな話し方をする
暖かい人柄の持ち主であった。同年輩だったこと、小生が近くに住んでたせいもあり、
彼の部屋で、あるいは買い物の手伝いをする時などに、パレスチナ問題ばかりか、日
本の文化など多様なテーマで話をする機会に恵まれたが、奇妙なことに、大国をバッ
クにしたイスラエルのパレスチナ人の抑圧を論じあっていたのが、どちらからとなく、
2人とも、イスラエルに住むユダヤ人の将来を憂いることになったことを思い出す。
これは、「ナチ・ドイツがユダヤ人に加えたと同じような非道な仕打ちをパレスチナ人に行なうことで、彼らユダヤ人には未来はないという」憂慮からであった。ユダ
ヤ人、パレスチナ人がともに、相互尊重を基礎に共存する路を見つけなければ真の平
和はこないという認識であった。
今回は、イスラエルという国家の有り様について考えてみたい。
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「ユダヤ人問題をつくり出したヨーロッパ社会がその解決を図る努力を放棄して、
アラブにその解決を押し付けようとしたことは間違っている」と発言したのは、確か
サルトルであったと思う。
そもそも、パレスチナは一体だれの国土であろうか?イスラエルは、古代エジプ
ト王国時代のダビデ・ソロモンの栄華を盛んに宣伝しているが、最初の先住民と見なされているカナン人(今のパレスチナ人の祖先)は、紀元前2000年にすでにこの
地に住みついている。また、パレスチナの原名になったフェルチナ人はこの国の南部に住んでいた。
ヘブライ人がエジプトから侵攻して来たのは、紀元前12世紀になってからのことであり、ユダとイスラエルの王国が200年続いたとはいえ、フィルスチナ人は征服
されなかった。それに、ダビデ・ソロモンの最盛期にしても高々78年にすぎず、これらの王国も紀元前70年には、ローマに亡ぼされ、132年には、ハドリアヌス皇
帝に鎮圧されて事実上滅亡、ユダヤ人は世界に離散した。
一方、今日のパレスチナ人はカナン人の時代から4000年の間、この地に住み続
け、ローマの支配下、キリスト教徒に改宗し、637年のイスラム教徒であるアラブ
人の占領によってアラブ人となり、その一部の人々はキリスト教徒になったとはいえ、その基本的な構成には変化はなく、その根底においてアラブ的性格は保持されてきたのである。
さらに重要なことは、1918年の調査によれば、パレスチナに住んでいた5万人
のユダヤ人のうち、4万人は祖父伝来、幾千年にわたってこの地に住み、自らをアラ
ブ人とみなすセム族のユダヤ教徒であり、僅か他の一万人だけが、1881年以来、
ロシアや他の東ヨーロッパからパレスチナに移住して非セム族系のユダヤ人であったという。
1948年にイスラエル国家が創られた時、全世界の1500万人のユダヤ人のうち、僅かその5%しか集まらなかった。現在でも、イスラエルのユダヤ人口は1948年
の建国当時65万人であったものが、ヨーロッパから追放されてきた大量
移民やアラブ 諸国からの難民によって最初の4年で2倍に増え、さらに1980年後半における旧ソ
連からのユダヤ人の大量移住の結果、今日では全人口の80%にあたる470万人余に増え
ている。
一方、非ユダヤ人の人口は20%といわれているが、1948年の15万6千人から1997年
に116万人に増えている。この急激な増加は主に高い出生率と死亡率の低下によると
いう。
しかし、世界シオニスト機構が、世界に散らばっているユダヤ人を”刈り込んだ”
結果、やっとこれだけ500万人足らずの人口に増やしえたとはいえ、なっと言って
もユダヤ人はアラブ人の広い海の中に集められた少数派にすぎない。周辺のアラブ人
の人権への思いやりがない限り、イスラエルはいつか、中世に十字軍によってアラブ
の地に創られたキリスト教王国が滅亡していった歴史を繰り返すことになるのではないだろうか。
イスラエルと言うのは、「ユダヤ人だけの国」を国是としている国である。そのた
めに、遮二無二世界各国からユダヤ人を狩り集め、できることなら、パレスチナ人を
ことごとく追放して、純粋にユダヤ人国家にしようとしている訳であるが、こうした
シオニズムにとっての最大の脅威は、(第23話)でも述べたように、ユダヤ人が世界の様々な国の中でその国民に”同化”してしまうことである。
つまり、イスラエルにとっては、ユダヤ人が世界各国で差別され、迫害され続けられる方がいいのである。世界各地のユダヤ人を犠牲にしてでも、離散しているユダヤ人を狩り込むためには、目的の為に手段を選ばぬ
非人道的行為をこれまでしばしば積み重ねて来ている。
例えば、ナチ・ドイツの迫害を逃れてパレスチナに移住しようとするユダヤ難民を
乗せた輸送船の沈没事件ーー1940年の「パトリヤ号」(250人)、1942年
の「ザシュトルマ号」(769人)を男、女、子どももろともシオニストの手によっ
て沈没させられているし、また1947年には老朽船「エクソダス号」(4500人)
の場合は、海上封鎖中のイギリスの艦船にわざと制止させ、乗船していた移民の抵抗
による絶望的な戦闘で3人が死んだあと、彼らはハイファに上陸させられ、3隻の囚
人船でフランスに送還された。しかし、これら一連の事件はユダヤ人の悲劇を世界のマスコミに書かせるためのシオニズムの芝居であったという。
また、イスラエル建国後もイラクのユダヤ人はイスラエルに行きたがらなかった。しかし、l950年に突然イラクのユダヤ教会が爆破されて、ユダヤ人たちは恐慌に陥リ、イラクで反ユダヤ主義が広がるという噂が流された。ユダヤ人たちは先に争ってイスラエルへ逃げ出した。あとで、この爆破事件は、実はイスラエルから送られた秘密の使者の手によることが明らかになった。
それでは、実際には、世界のユダヤ人は、いまでもイスラエルが唯一の祖国だと思い、イスラエルに移住したがっているのだろうか。
アメリカの例をあげてみよう。
アメリカ・ユダヤ教協議会の副会長だったラビ・エルマー・バーガー博士によれば、
550万といわれるアメリカ人といわれるアメリカのユダヤ人のうち、シオニストで
も反シオニストでもないユダヤ人が500万もいるという。現に別
名「ジューヨーク」 とも呼ばれている程ユダヤ人の多いニューヨークのブルックリンの裏町の貧しいユダヤ人でも、イスラエルに行きたがらないし、ヨーロッパの場合はECの成長につれて、ユダヤ人でも能力があればそれぞれの技能に応じて職場につけるような環境ができて
いる昨今、ヒトラーの悪夢のまだ色濃く残っていた時代とは違って、イスラエルに移
住するどころか、むしろイスラエルからの逆移住のケースが多くなろうとしている。
最近読んだニュースでは、イスラエル空軍の操縦士の中には、その高い技術的知識の
生かし、欧米の会社への就職を求めるものが増えていると言う記事を読んだ。
時代錯誤の人口国家イスラエルを創ってしまった国連は、パレスチナに住むユダヤ人とパレスチナ人の平和的共存を重要性を討議する機会をもっともっと開くべきではないだろうか。そのためにも、国連加盟国全体が、パレスチナ問題の真の解決のため
に真剣に討議する場をつくることが、「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する
悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救」おうとする国連憲章の目標である筈である。
パレスチナ問題では、欧米諸国よりも一歩踏み込んだかかわりを持ち、口を開けば
国連外交を口にする日本こそ、こうした国連を中心としてパレスチナ問題の解決に努
力してほしいものである。
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