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【第31夜】

武士道については、『第24夜』アラビア語に2度訳された新渡戸稲造著『武士道』 を紹介しましたが、今のような大国の顔色ばかり見て日本の政治の舵をっているふが いのない日本の自称政治指導者の姿を見ていると、「日本人の精神」とはとい命題が 真剣にとい直してみたくなる。

 そこで日本人の精神、「武士道」について、前回書き漏らしたもの紹介しながら、 小生なりの解説を加えたいと思う。

「貴方の宗教は」

小生もイスラム教徒の多きアラブ諸国に行く機会に「日本人の宗教は何か?君は 神を信じるか?」という問いに出食わしたことがよくあった。 ただ、そうした質問を受ける度に、漠然としてではあったが、日本人にも道徳律 はある。西郷隆盛の『敬天愛人』に篭る精神こそ、日本人の心に宿る基本的倫理では ないかと思ったものであった。

武士道の動機

新渡戸博士は、『武士道』の序文の中でこの本の執筆の動機を次のように語ってい る。若き日、博士がドイツ留学中に、散歩の途上で、ベルギ-の宗教学者ド・ラブレ -博士から「宗教教育のない日本にどうして道徳教育が授けられるのか」と問われ、 その場で即答できなかった博士が世界に日本人の伝統的倫理を知らせようとこの『武 士道』(1900年、英文)を書いたという。

 博士は、その後十年の歳月をかけ、一見、封建的で時代遅れの感を与える「武士 道」という名の下に、日本古来の神道、仏教、儒教の中から日本人の守るべき道徳律 --義、仁、惻隠の心、誠、名誉などの徳目を上げ、また博士自身クエーカー教徒と してキリスト教の精神も接ぎ木して、西洋の宗教や騎士道に決して劣らぬ 日本の道徳 の精髄を”武士道”として、古今東西の聖典、名著からの豊富な引用文をちりばめつ つ、雄けいな英文で解明したのである。日清・日露の戦争の間に発行されたこの『武 士道』であった。この本は、たちまち、日本の精神文化を知最良の書として判を重ね、 最終的には世界16カ国に翻訳されたこと派、先にも述べた。  博士はまた、封建時代には武士が道徳の体言者と見なされていたため、武士道とい う名こそついてはいるが、それは日本人のあるべき倫理観にほかならない。武士道で なく”平民道”といってもいいと博士は述べている。

 ところで『武士道』の日本語訳には、三笠書房の奈良本教授の『武士 道』(口語 訳)が一番讀み易く、文庫になっている。岩波文庫の矢内原訳は名訳ですが、今では やや古風の日本語になってしまっている。講談社インターナショナルの『武士道』は 英語との対訳になっているので英語を勉強するのに便利。ともに千円以下です。この 本や若い女性にも人気があると倉持編集長から聞いたことがある。)

 坂本竜馬の伝記の中でとりわけ、強く印象づけられるのは、彼が長州藩の草下玄 瑞の「尊藩も蔽 藩も滅亡しても大義なれば苦しゅうからず 」という手紙の中にある 大義によって日本の政治の根本的命題にに開眼していくくだりである。

 今振返ってみても、あの戦争末期に自分の命を投げ出すのも止むなし、「ようし、 特攻隊となった国のために準じよう」と言う気持ちが芽生えたことがある。それは、 今の豊田市の郊外の飛行機工場を襲ってきたアメリカの艦載機に森の中に逃げ込むわ れわれ旧制中学高学年の学徒を追い回してびしびしと機銃掃射をしてきた時であった。 1発弾が当れば、頭はすっ飛んで行ったことであろう。それに終戦の年の3月、4月 ともなれば、豊田の山の上から、南の大平洋の海外沿いに、B29の爆撃によって、 夜空に赤々と火の手が燃え上がり、10日前は豊橋だ、5日前は岡崎、今夜は浜松当 たりと、その空襲の下で子どもの手を引いて逃げまどう家族を思って無念な思いが今 甦る。

 もう17才に近い頃だったが、やっと国のために命を投げ出そうと思ったのは、そ の時であった。小学校時代から、天皇のために死ぬのを最高の名誉と教育され、中学 一年の時、真珠湾攻撃やマレー半島沖でイギリス主要戦艦を特攻隊員が撃沈した頃は、 祖国に殉じたこうした若き軍神たちに続き、「桜の花のように潔く散れ」と励まされ 続けきたが、矢張り、夢多き青年として命を投げ出す覚悟はとてものではなかった。 自分の命を投げ出す気持ちが目覚めたのは、あの機銃掃射の恐怖と呵責ないアメリカ の航空機の大編隊の文字どうり、雨、あられのように焼夷弾を振り落として来る空襲 であり、そうだ自分の父母や、そして、名古屋の工場で働いていた頃、工場の片隅で、 ふとすれ違った戦闘帽をかぶり、日の丸鉢巻きをして、カキー色の作業服をきた勤労 動員の女学生であった。その頃は男女の中学生が話しをすることなど、国家の非常時 の際として、とても許されまい不心得名行為として厳しい監視の目が光っていたから、 余計印象に残っていたのであろう。  
(戦時下の灰色の青春については、またいづれ機会を見て書いておきたいと考えている。)

 サーチライトによって映し出される夜空を舞い飛ぶ怪鳥のようなB29の編隊の姿 は、終戦後3、4年頃まで、夜まくらに頭を置き、目を閉じたとたんに甦ってくるお ぞましい姿であった。今、アフガンに繰り返されるアメリカの空爆を見ていると当時 の恐怖感がまざまざと甦り、こうした非道なやり方で、国のために殉ずる決意を抱く 人々が次々に現れて来るのがよく判る思いがする。

 当時から、小生が知った武士道の大事な教えは、陽明学でいう知行合一、すなわち 実践窮行の精神であると思う。 新渡戸先生は気付かれたことは、すぐ実行された。しかし、極く自然あたりまえ のことをしているような、水が低きに流れていくような自然さで行なわれている。そ の行為の結果はいつも相手を生かす、育てることにあったという。これは、『汝がもっ とも手近に横たわる義務を果せ。第二の義務はおのずからわかってくる。』説いたイ ギリスの哲学的作家、カ-ライルの衣装哲学の基本であった。

 前にも紹介したが、「武士の魂」といえば、国会議員、代議士は今話題の人々で あるが、博士は、随筆の中で、代議士、弁護士、税理士はその言葉に 士(さむらい)という文字を付けている以上武士のもつ高い道徳を持つべきではないかと言っている。国会議員は少なくとも、武士の「武士に二言はない」、「名誉を重ん じる」、「知行合一」などという気概をもち、「政治家に徳目を求めるのは、八百屋に 行って魚を求めるようなもの」というような情けない風評を立てられないようにして ほしいものだ。しかし、今の国会議員は、小数を除き、武士ではなく、政治業者であ るのは無念の極みである。


 テレビ番組の中で悪代官や悪徳商人を懲らしめる『水戸黄門』や『遠山の金さん』 、忠 臣蔵の中で義に殉ずる武士の姿がわれわれ庶 民の間で絶大な人気を博している のも、武士道へのノスタルジャという庶民の健全な精神の表れであろう。その正義感 が、単なる傍観者から「義を見てせざるは勇なきなり」という実践者に脱皮するエネ ルギ-に転化しないものかと思う。

名誉を重んじる

 今少し、武士道の内容に触れてみよう。日本の憲法のなかにも、名誉という言葉 は一再ならず出てくる。「武士の名誉にかけて」と誓う武士の言葉は重みがある。 憲法にも書いてある名誉だが、そんなのが財テクに何の役に立つと反論してくる ような 代議士も多いような気がするが、新渡戸は、「武士道とはどんなものかとい えば、色々説明せねばならぬことが沢山あるが、要するに、その根本は、恥を知る、 廉恥を重んじることではないか」と言い「日本国民は、殊に名誉を重んじる」国民性 を持っていることを強調している。そして「名こそ、我命なれ、一たび死すれば、身 体は亡くなり、魂は何処にいくかわからぬが、独り、名のみ永く地上に残る」とシェ イクスピアの作中の科白を引用している。「この顔がウソつく顔かとウソを言い」と 言わんばかりの大勲位の政治家もいる日本の政界を思いと坂本竜馬が姉乙女に送った 手紙に書いた『日本の洗濯が必要で御座候う』である。

 戦後、アラブとの交流の仕事をこれまで、45年の間にわたり続けてくる中で、 アラブにも「アラブの大義」と呼ばれるパレスチナ 問題が存在することを知り、 「現代日本にとっての大義とは何か」を絶えず考えるようになったのは幸福だったと 思う。

 アラブ人と付合う際は、『誠意』と『ヒュ-マニテイ』を唯一の信条としてしてき た。誠意を尽くせば、貴方は立派なモスレムだ、つまり、イスラム教徒であると言われたことがよくある。

アラブの騎士道と日本の武士道

 中世アラブの騎士道(フルセ-ヤ)と日本の武士道の共通点については、かって アラブ首長国連邦の公使、上智大学の国際法教授、セイフ・ワディ・ロマ-ヒ博士は、 講演や小冊子の中でしばしば指摘している。

 「日本の歴史を学ぶとき、日本の古来の伝統や遺産にも、また、現在の文化や慣 習にも深く感動をせれるをいわざるをえない。観察されるこれらの事象の一つに『武 士道』(侍精神)がある。偶然にもこれにはアラブのForossyah (フルセーヤ)と共 通するところが多々ある。近代 欧州諸国が西洋の”騎士道”の原則を十字軍時代に イスラム帝国のアラブのForossyah から学んだことは言うまでもない。」

 かって中世期11世紀に、十字軍に占領されていたエルサレムを陥落させアラブの 英雄サラハデイン・アイユ-ブは、キリスト教徒がエルサレムを占領したときアラブ 人を皆殺しにしたにもかかわらず、ヨ-ロッパのキリスト教徒を殺すようなことをせ ず、賠償金を受けとった釈放したという。このアラブの騎士道こそ武士道の共通 する ものである。

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それでは、今宵の夜伽物語も、東の空があけ染めて参りましたので、また、いづれの 日にか、話しを続きをさせて頂きことといたします。(アラビアンナイトのシェヘラ ザ-ド姫なら、さしづめこういう風に述べたことでしょう。


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