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【第15夜】

今年、10月、世界的オペラ『アイーダ』ピラミッド前で公演

10月12ー17日間で、今に生きる古代の恋物語をテーマにしたイタリア歌劇の最高傑作『 アイ-ダ』が、カイロ郊外ギザのピラミッド前で上演され、日本からの観劇の誘いが行われている。

この公演には、総勢1、000名(出演者・オーケストラ・スタッフなど)が参加、アイーダ、ラダメス、アムネリスといって主役歌手は、イタリア人が演じるが、ディレクターは、カイロバレー団の指揮者、A.モネイム・カーメル(1984年に日本のスターダンサーズと共演するため来日)が担当する。

『アイ-ダ』は、1869年のスエズ運河の開通記念式典に上演しようと、マリエット・エジプト考古局長がメンフィスでノ神殿発掘から考えた筋書をもとに、デュ・ロークルが書き直したものを、当時58才の最高円熟期にあったイタリアの作曲家ベルディ-が作曲したものである。

ストーリー

エジプトとの戦いに破れ奴隷とされたチオピア女王アイーダは、エジプトの将軍ラダメスの侍女となり、いつしか2人は相思相愛となる。エジプト国王は、再度エチオピア軍を敗って凱旋したラダメスに王女アムネリスとの結婚を命じた。アイーダは捕虜の中に父アムナスロを見つける。婚礼前夜、アムナスロはアイーダに、ラダメスからエジプト軍の進路を聞き出すように迫り、機密を聞き出したアムナスロは、ラダメスにエチオピア王であることを明かし、3人で逃げようと誘う。その様子をアムネリスに発見されたラダメスは、2人を逃がし死を選ぶ。地下牢で死を待つラダメスの前にアイーダが現れ、2人は天国での幸せを願いながら息絶える。

その制作費用も豪華なもので、舞台装置、衣装、宝石、軍隊の行進用の武器などに莫大な費用がかけられたといわれている。当時の金で25万フラン金貨、ベルディは15万フラン金貨をうけとったという。古代エジプトを舞台として、考証も十分行い、時代的および異国的な雰囲気の効果 も大きなねらいとされている。祭典にふさわしいスケールの大きな豪華なもので、バレエも含むグランド・オペラ風に作られていて野外での上演も多い。

この劇の中では、「清きアイーダ」「おお、わがふるさと」などの絶唱の外、第2幕の凱旋の場は、全てのオペラの中でもっとも華麗とされるもので、国王を迎え神と祖国をたたえる大合唱、エジプト・トランペットの勇壮な響き、戦勝を祝う踊りの数々。

「凱旋行進曲」は、エチオピアに遠征し、勝利をおさめた将軍ラダメスを迎えるときに奏されるもので、民衆のどよめき、歓喜の大合唱、近刊を主としたなんとも力強い行進曲だ。

そのあと、民衆の踊りが華やかに繰り広げられ、東洋的な旋律がつぎつぎとあらわれるが、特に曲の途中で、金管がおどけたリズムを刻み、木管がエキゾティックな旋律を奏するくだりは、極めて美しく印象的である。

そのあと、民衆の踊りが華やかに繰り広げられ、東洋的な旋律がつぎつぎとあらわれるが、特に曲の途中で、金管がおどけたリズムを刻み、木管がエキゾティックな旋律を奏するくだりは、極めて美しく印象的である。

前述の旧「カイロ・オペラ座」は、明治維新の年にあたる1868年の翌年に当たる1869年に建設された。

このカイロのオペラ座では、1869年11月11日に、スエズ運河の開通 を記念して初公演が行われた。この時出席したのが、ナポレオン三世の妃ユ-ジェニ皇后、オ-ストリアのフランシス・ジョセフ皇帝、プロシアの皇太子や多数の貴族、政治家、芸術家などであったという。

『アイ-ダ』は、そのこけらおとしで初演されるはずであったが、1870年におきた普仏戦争、パリ・コミニュ-ンなどの事件の影響でその初演は1871年までのばされた。こけらおとしに公演されたのはベルディの”リゴレット”であった。 

この旧オペラハウスの建造に要した日数は6カ月、イタリア式建築の美しい建物で、音響効果 も優れていた。

(この歴史的な旧オペラハウスのl971年における消失、その後日本の力で再建された現在のオペラハウスについては、この新アラブ千一夜で近く紹介)

ちなみに、日本での初演は、大正8年9月1日、帝国劇場でロシア大歌劇団によって行われた。指揮はワシリエフ。日本人による初演は昭和l6年5月26日、歌舞伎座で藤原歌劇団(堀内敬三訳)、指揮M.グルリット、井崎嘉代子、藤原義江、佐藤美子ほかであった。


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