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【第16夜】

アラブと日本の歌謡の歌詞の類似性

今年8月20~28日までの間カイロで「第6回 国際ソング・フェスティバル」が開かれる。(日本からの参加も呼び掛けているこのフェスティバルについは観光の項参照)。

エジプトはもちろん、アラブ諸国の著明な作曲家、作詞家、歌手、学者が一同に会するこのフェスティバルと会議が始めて開催されたのは、1995年11月であった。

このフェスティバルの目標は広く世界諸国民の友好、相互理解の促進にあるが、同時に青年の間に広がっている無意味な、ポップ音楽に抗して伝統的アラブ音楽から創造的音楽をつくろうとしている音楽家を表彰しようというもの。

このフェスティバルの大きな成果の一つは、今青年の間で好まれている歌は、古いアラブの歌でなくて西欧の音楽に基ずくものだという主張が間違っている事を証明したことであった。

(このようなカイロでの国際ソング・フェスティバルの開催について思い出されるのは、日本歌謡界の大御所だった古賀政男氏の事である。1975年に脳溢血で倒れられる直前にその秋にカイロで「古賀メロディーを中心に日本の歌謡の発表会」を夢見ておられた古賀先生が御存命であったら、きっと第一級の歌手を伴って参加されたであろうにと無念の思いがする。「新アラブ千一夜第4話」参照)

さて、今回は日本の演歌とアラブの歌謡の歌詞の類似性について紹介したい。

オム・カルス-ムは、1975年に亡くなる2年前の75歳までの60余年、アラブ諸国民の心を魅了し「東洋の明星」とうたわれた、アラブ世界随一の女流歌手であった。若い時コ-ランの朗誦で鍛えたという喉とアラブ独特の伝統的な発声によって、彼女は、アラブ人の心をしびれさせる力を備えているようだ。そして、オム・カルス-ムの声は、恋人の嘆きを的確に表現し、無限の慰みを与える響きがこめられていた。

彼女の代表的な歌は『エンタ・オムリ』(あなた、わが命)を紹介しよう。この歌の作曲はエジプトの最高の作曲家アブデル・ワッハ-ブ(古賀先生もl995年初頭カイロで交歓されている)で、この歌は1960年代に最高の人気を集めた。 

『あなた、わが命』
あなたの瞳によみがえる昔、
悔まれる生命なき過ぎし日々
あなたにめぐり会う前の私など
何の意味があったのだろう
私の生命を灯したのはあなた
私は、生命を今いとほしむ
ああ、私は恐れる、時の経つのを
夢み、憧れ続けた喜びを
やっとかなえてくれたあなた
愛しいあなた、私の命にいや優る
早く会えればよかったものを

この歌は「あなたをほんとは さがしてた ー あなたのひとみに虹を見たーー」という1967年に日本でヒットした「君こそ我が命」(川内康範作詞、猪俣公章作曲、水原弘歌)を想起させる。

日本の民謡や艶歌のように小節(こぶし)のきいた歌い方で歌われるアラブの流行歌には、恋をテ-マとした歌が多い。まさに、日本の艶歌と言えよう。

コンサ-トでのオム・カルスームの歌いぶりは、聴衆は一節終わるごとに感極まって「アッラ-」と感嘆の声を発し、カルス-ムは聴衆の反応にこたえて楽団に右手でサインを送り、その同じ歌詞を3回も4回も繰り返して歌った。  

また、カルス-ムが、その持ち歌として常に最高の詩人と作曲家の手になる歌を選んだことも、その人気の大きな原因であり、彼女のために作詞した詩人、アハマド・ラ-ミ-の詩は、歌詞に託した彼女への恋文であったともいう。アブデル・ワッハ-ブ教授やズンバ-ディなどが美しい曲をつけている。

もう一つ、1976年40才の若さで亡くなったエジプトの男性歌手、アブデル・ハリ-ム・ハ-フェズの歌を紹介しよう。彼は、アラブ民族主義をたたえる愛国的な歌謡を数多く歌ったことでも有名であるが、彼の歌謡はギターの弾き語りによる多分に民謡調であった。今でも若い人々の間で人気が高い。

『愛』
愛がこんなに危険だったら
あなたに恋などしなかったろうに
海の深さに気づいていたら
起きに船など漕がなかったろうに
もしもあなたに愛があるなら
あなたのもとから去らしてほしい
あなたの恋に溺れる私に
思いきる術を教えてほしい
涙振り切る道があるかを
漕ぐに船なき私にとって
余りに青いあなたの瞳
その海原を泳ぎ切れない
わが身の果てを知っていたなら
きっと恋などしなかったろうに


アラブの歌謡と日本の演歌の比較の研究を力説されていたのは、世界の民族音楽の調査・研究の先駆者、小泉文夫教授であったが、この問題への取り組みは、もっともっと学際的に多くの人々によって進められなければならないのではなかろうか。


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